第21話 代償

 春人のウィルスをどうにかして見せる。そう決めてからのタオは寝る間も惜しんで研究へ没頭した。それは、未来への春人を振り切るかのようでもあった。


「タオさん!ちゃんと寝てください!」


 春人が何回注意しても、タオは走ることを止めなかった。明確なタイムリミットがあり、研究すればするほど、壁が大きくなっていくようなウィルスだった。


 そもそもこれはウィルスという「生物」ではなくて、ウォルトが作った「兵器」だった。弱点がないのだ。発症しているウィルスがないのも痛かった。


 また、解明できないなら、発症している間春人を隔離しておけばいいのでは、という考えも甘かった。これは熱にも殺菌にも効かない。やるとしたら、春人を完全に密閉した空間に入れておくしかない。発症期間はたった2週間だが、空気の入れ替えもできないところでは窒息死するだろう。


 さすがウォルトが作った細菌だと感嘆するしかなかった。彼が生物学より量子力学に興味がある人間でよかったと心から思う。彼を射止めた謎が、生物学だったならば、研究を確かめずにはいられなかっただろう。


 お手上げだ、という言葉をどうにか飲み込みたくて、タオは研究に没頭した。彼女は続きが見たかった。春人との続きが。


「研究成果はどうですか。タオさん。」


「…。」


「ひどい顔ですね。せっかくの美しい顔が台無しですよ。」


 ウォルトはいつもの天使の笑顔を浮かべていた。


「解けないですよね。量子力学の世界では負けても、生物学なら負けません。」


「…勝ち負けの問題じゃない。研究は。そういうもんじゃない。」


「なぜ?解かれてしまった問題はその美しさを失うじゃないですか。早く解いたもの勝ちだと思いませんか?」


 ウォルトというこの人が怖い、この人が憎い、そうタオは思うと泣きそうになった。彼女を、自由に研究できるこの場所に引っ張り上げてくれたのもまた、この人だから。


「いい加減諦めたらどうですか?春人さんも"こうするしかない”と言って、死んでいったではないですか。」


「…はい?」


「あと、少しで終わってしまいますね。」


「…ウォルトさん、今なんと?」


「諦めなさいと。」


「そうじゃないです!春人さんは何と言ったといいましたか?」


「"こうするしかない”ですよね。発症直前の春人さんを連れてきて、事故を起こす飛行機に乗せたじゃないですか。」


「何を、言ってるんですか?」


「何を、とは。ああ、まだタオさんにも相談なしで春人さんを飛行機に乗せたこと、まだ怒ってらっしゃるんですか?」


「本気で言ってらっしゃいますね?」


「タオさんと、話しが合わないのは初めてですね。寝不足が過ぎます。今日はゆっくり休んでくださいね。」


 タオは愕然としていた。タオの記憶では、春人は誰にも相談せずに飛行機に乗った。


「春人さん、春人さん、春人!」


 タオはモニターを叩くように繋げた。


「タオさん!大丈夫ですか。ああ、今日はもう寝てください。」


「お前は会ったよな?春人に未来の春人に会ったよな?会って、話しをして…。」


「未来の俺?なんの話ですか?タオさん、働きすぎです。タオさん、タオさん?」


 何を言ってるんだ、とタオは思った。春人が未来の春人と話した覚えはない、だと。ここはどこだ。私は、本当に頭がおかしくなったのか。


 けれど、タオの知性は冷静にこの現象の名前を脳内に出してくる。


 タイムパラドックスだ。


 ここは、春人がウィルスを発症して、タイムマシンで戻ってきた世界ではない。ウィルスがどうしようもないとわかって、春人自身が発症前に死んだ世界なのだ。


 どこだ、どこで変わってしまった。なぜ"タオだけがこの世界に飛ばされた”?変更点はどこだ。春人が死んだ日、間違いなくウォルトは"申し訳ないと言っていた”といった。あそこまでは間違いなく前の世界だ。それから、今と何が違う。何が変わったから"過去も未来も変わった”?


 春人を救うと決めたからだ。


 それまでのタオは、最悪の場合は春人が死ぬことを覚悟していた。でも未来の春人が死んでから、タオは絶対に春人を救うを決めた。


 それが叶わなかった世界に飛ばされたのだ。それが、なぜか。タオはわかってしまった。


「ははは。」


 タオは泣き笑いをしていた。


「タオさん。ねえ、タオさん、働きすぎですって。休んでください。こんなんじゃ俺、ゲームするのも申し訳ないです。」


「どの春人も心配してくれるんだな。」


「どの春人?どういうことです?タオさん、やっぱりおかしいですって。」


「この春人は、タイムマシンの存在を知らないんだな。」


「タイムマシン!?すごい、そんなものまであるんですか?」


「ああ。あるんだ。作ってはいけなかったんだ。過去も未来も、簡単に書き換わってしまうから。」


 タオはモニターの春人を撫でた。愛しい形を。中身が違ってしまった、愛しい形を。けれど、タオが本当に愛したのは、あの、未来の春人だった。


「私たちには今しかないのにな。春人、生き抜いてくれ。」


 タオは、まだ何かを言っている春人を残してモニターを消した。


 タイムパラドックスに入った人間は3人。ウォルトと、春人と、そして、タオだ。


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