第4話 峠を越え、日の長くなった高梁川沿線をすり抜けて

 伯耆溝口を出ると、次は根雨で運転停車。この列車、一応臨時扱なので停車駅は少なめ。ただし、運転停車は普通にあります。まあその、客扱してもしょうがないところでドア開けても仕方ないですからね。

 根雨で反対からきたやくもを待ち、それからいよいよ、谷田峠に向って少しずつ勾配を上げていきます。蒸気機関車時代ならそれこそ、なんだ坂こんな坂の体もありまして、それはなんだかんだで気動車時代も同じような感じでしたが、電車のしかも振子電車ともなれば、もう、すいすいと行っている感覚。苦しい中がんばってどうこうという感じはありません。

 そして今度は、往路でには停車した生山も通過し、県境の上石見も通り過ぎたあたりでいよいよトンネルへ。生きには谷田峠が高梁川と日野川の分水嶺である旨の解説もありましたが、今回はありません。

 まあ、そう客も乗っていないし、というところでしょうか。


 私のほうは、既に3本目の350ミリのサクラビールも飲み終えました。

 一杯ひっかけて気分良く、列車に身を任せてぼちぼち進みます。

 こうなると、不思議とノートとペンに向いたくなるものです。パソコンで仕事できる状態ではないし、まあその、日帰りだから持ってきていないというきらいは差し引くとしましても、ってところですが、あったとしてもバッテリーの関係があるからあまり仕事になりません。でも、昭和から平成初期まではどのみちこんなものだったわけですから、文句言うほどのこともないでしょうよ。

 ということで、相も変わらず普通車特等席のビジネスルームで、ゴソゴソ。

 では、ペンを持ったらどうなるのかと言うと、メモもしますが、なんだかんだで単価や俳句を書きまくるようになりまして。

 昨年11月頃に思うところあって短歌や俳句を始めて、程なく都都逸や、ときには長歌までたしなんでおる次第ですが、それがここに来て、体で実践できるレベルになっていることを確認。なお、質については保障の限りではありません。


 そうこうしているうちに、トンネル内とは言えもはや下り坂になったことが体感できる場所に来た模様。トンネルを超えたら、もう岡山県。兵庫県側は幾分残雪も残っていましたが、岡山県側はもうほとんど残っていません。

 トンネルを超えると、新郷、足立と県北の集落に面した駅を通過し、芸備線と合流する備中神代を通過。駅前には店があったようにどなたかが書かれていたのを詠んだ記憶がなくはないのですが、確か焼肉屋だったかな、焼肉どころか商店さえも営業しているところはなさそう。

 ただ、この駅前は国鉄時代には栄えていただろうなというのは感じられます。

 すでに17時を過ぎて暗くなりつつあるところですが、冬至を過ぎて1月も超えてもうすぐ立春に至ろうとする今日日、この時間はまだ明るい。

 とはいえ、この時間にもなると布原には人はいませんでした。

 そして、県北西部の中心地・新見に到着。ここで、少しばかり客の乗降あり。とはいえ、この車両全体を見れば3割も乗っているかどうか。行きの活気はどこへやら。空気輸送とまではいわないが、まあぼちぼち、ゆったりと移動です。


 新見の次の石蟹ではなんと、新車のやくもの試運転中に遭遇。外は小雨もぱらついています。あたりはだんだん、暗くなっていきます。

 次の井倉駅、そしていささか岡山寄りにある井倉洞の入口を過ぎ、高梁川と交差して、方谷でまたも運転停車。今度は、朝乗ってきたスーパーやくもとすれ違い。雨も幾分降っています。

 方谷を出た後は暗くなりかける単線区間をひた走り、備中高梁へ。ここで18時を少し過ぎました。高梁を出ると、外はさらに暗さを増してきました。しかし、ここからは複線区間となり、いちいち運転停車をする必要もなくなります。振子電車はさらに勢いを増して宵の帳の下りつつある川沿いの複線区間を川幅に比例するかの如く速度を上げ、各駅を通過。今回は、総社も通過です。井原鉄道との分岐点の清音を過ぎて間もなく、倉敷到着の案内。鉄道唱歌がまずは響き、それから乗換の案内に。進行方向左手の今なお分譲中の住宅地をすり抜け、山陽本線と合流して倉敷駅に到着。雨はほぼ止んだ模様。

 ここでも幾分の乗降客あり。ただ、乗ってくる人はいませんでした。


 倉敷を出ると、あとはひたすら山陽本線の15.9キロを爆走し、わずか10分で岡山に到着予定。中庄、そして庭瀬を過ぎた頃から、ついに最後の鉄道唱歌のオルゴールが流れ、程なく丁寧な乗換案内を聞かされます。

 貨物駅のはずれに設けられた北長瀬も全速で通過し、岡山操車場の北側を近郊電車を横目に見つつ、やがて速度を落とし、かつては下り出雲市行が出発していた岡山駅の現上りホームへと入線。ほぼ定刻で無事に岡山着。

 時刻はすでに18時40分の少し前。


 岡山到着後、この列車は19時5分発の列車となって出雲市に戻ります。出雲市に戻れるのが定刻で22時11分。そこから西出雲の車庫に戻るのは23時の少し前くらいになるでしょう。

 かつての気動車時代は、19時10分発の松江行が設定されており、何と食堂車まで営業していました。その列車の松江着が22時30分少し前だったかな。少し遅いが食事時間帯にかからないわけでもなく、まあ一杯ということで利用も多かったのではないかと思われます。

 なおこれは1980年10月ダイヤ改正後の情報です。


 岡山に着いた現在の振子電車は、少しばかりかつての下り発車ホームで全乗客降車確認と準備の後、いったん東側の側線に引上げます。

 出雲市側の非貫通のほうは回想の方向幕に変えていますが、どうやら反対側の貫通対応のほうはやくものままです。

 要はこれ、誤乗防止ということなのかなとも思われますが、違うかもね。

 それはともあれ、この日の仕事はこれにておしまい。


 この後私は、岡山駅前にある良く行くつけ麺の店でビールを一杯飲みながらラーメンを食べて自宅に戻りました。いやあ、この店はこの時間帯、麺類注文者には瓶ビール半額セールをやってくれていますので、助かっております。

 あとは自転車を回収し、かごに荷物を置いて何とか19時過ぎには無事帰宅できました。


 これでさあ、ルポを書いて本に仕上げようと思っていたのですが、もう少し取材が必要かと思えましたので、この約2週間後、再び玉造に行くことに。今度は泊まりがけの取材となりました。

 そちらについても、近くこちらで御紹介してまいります。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る