第17話 マイカは夜に想う
マイカがドニィのケチっぷりにげんなりしてた頃、エムジィはといえば、マイカのほぼ真下の場所にいた。
地下室である。
正確には、地下牢――かつてそこにぶち撒けられただろう血や吐瀉物も、全て苔の餌になり果てたような古びた石の小部屋。
しかし、住人は未だいた。
檻の中で鎖に繋がれた人影は、よく見れば肉も皮もない白骨だ。しかし、それでもバラバラにならず骨の集まりを人の形にさせているのは、全身を包む蟲のようでもあり煙のようでもある、黒くもやもやした『何か』。
エムジィが言った。
「恨むか?」
骨が、ぴくりと動いた。
「恨むよな――私が来なければ、お前はこの屋敷から人を遠ざけ『不死の王』であり続けることができわけだし……」
音もなく。『何か』が黒い手を伸ばした――エムジィに。だが彼女に届く前に断ち斬られ、霧散する。これもまた黒い、エムジィの『布』によって。
「だけどね、こっちは感謝してるんだよ。お前のおかげで、私は自分の
淡々と話すその間にも、『何か』は切り裂き削られていく。
「――また来るよ」
声が去った後。
『何か』の輪郭が緩み、骨が崩れかけた。
まるで、安堵したかのように。
あるいは、別れを惜しむかのように。
●
それからドニィの馬車でパーティー会場に向かい、幸いにもマイカはドレスを汚さずに済んだ。マイカと同じ学園に入学するという少女を紹介されたりもし、マイカにとっては得るものの多いひとときだったと言えるだろう。
ひと通り挨拶を終え、エムジィとも離れてテラスで涼んでいると声が聞こえてきた。間にある植木に塞がれ、マイカには気付いてないみたいだ。声からすると、さっき挨拶した中の、若くもなく年寄りでもない何人かの貴族の男達。
よっぽど彼らだけで話したいことがあったらしい。テラスに出てくるなり、声は潜めながらも強い調子で会話を始めた。
「聞いたかい? ドンタチミの間諜の件」
「ああ。あれは、うちも動いたんだ」
「絵を描いたのは?」
「分かってるだろ?『裏主席殿』さ」
「おお。我らが『ドニィ=フォン=ブリバリーノ』!」
「で、どんな段取りだったんだ?」
「我が国とドンタチミ――ゴタゴタは済んだが、損害賠償についての協議はいまも続いている」
隣国であるドンタチミとの関係が悪化し、戦争寸前にまでなってから、まだ半年しか経っていない。
「それで、相互に損害を計上しあったんだが、ドンタチミ側から非公式な申し出があってな。『間諜による被害は賠償の対象から外したい』と言うんだ。で、そのために言質を取り合うことになった――『双方の国ともに、間諜は用いていない』ってな。この流れを源から作ったのがドニィだ。で、この言質を利用して……」
「……間諜の作った盗賊団を取り込んだ」
「そうだ。正確には盗賊団を率いるドンタチミの間諜をだが――しかし、ドニィが怖いのは――」
「――その間諜が
「決して無為に取り込まれたわけでなく、戦闘で破れて――」
「――戦闘の目的は、戦争回避の立役者となったドニィ=フォン=ブリバリーノとアリサ=フォン=ブリバリーノの妹を攫うため」
「そんなことをしてどうなる?」
「さあな? それは
「しかし、そんな手間をかけなくても、いきなり捕らえて従わせたっていいんじゃ――」
「ドンタチミ側には、それでいいだろうな。しかし、取り込まれた間諜は? ドニィは、こういう段取りを作る手間をかけてやることで、これから手駒にする間諜に、あらかじめ負い目を背負わせたんだよ。これがあると無いとじゃ、
「そのために妹を囮にして?――今日、
「正確には囮という体にしてだ――可愛い娘だったな」
「力づくじゃ手に入らない物ってのがある――ああ。可愛かった」
「例えば、情報ってやつはな。卵を割るのと同じだ。力加減を間違えれば手に入れたところで使い物にならなくなる――しかし、ドニィやアリサの妹だと思うだけで、あの娘も
「……なあ、憶えてるか? 学校で剣術を習ったときのこと」
「ボコボコにされた記憶なら」
「同じく」
「同じくだ」
「そうだな。俺達、目茶苦茶にやられたよな。強いやつに打たれて打たれて、そのうち思うようになったんだよ。俺の身体に、強いやつにしか見えない印みたいなものが出たり消えたりして、強いやつっていうのは、それを見て叩いてるだけなんじゃないかって」
「ふむ――どういうことだ?」
「わかる」
「俺もわかる――つまり、最初から見えてる世界が違うってことか」
「そう。彼らは、俺達とは違う世界に生きてる」
「確かに……俺達には立ち入ることすら許されない、そっち側の世界ってことだ」
「まあ、俺達が幸運だったのは、十代の早いうちに、自分がこっち側の世界の住人だって思い知らされたことだろうな――我らの『裏主席殿』によって」
「確かに。気安くそっち側の世界に憧れる愚かさも」
「そっち側の人間がこっち側で暮らすことの辛さも」
「確かに」
「確かにだ」
頷き合う気配の後、そこへ新しい声が入ってきた。
「おいおいおい。どうした同期諸君。こんなところで同窓会か? 私を仲間外れにしないでくれよ。頼むぜ?」
「はは。そんなわけないだろう?『裏主席殿』」
そして笑い声とともに、テラスから男達の気配が消えていった。
植木の陰を出て、マイカは空へと近付くように歩き出した。
いま聞いた話を、反芻してみる。
自分が囮に使われてることは、気付いていた。
その裏にあることについても、単なる捕り物では無いのだろうな、と。
トレンタが、隣に来た。
黒い毛並みを、月明りが濡らしている。
「ねえマイカ」
「なあに?」
「空を見て」
「うん」
夜空は、いつもと変わらなかった。暗いわけではない。青が無いだけだ。空にかかる透明な天蓋がお日様の青だけをそこで止めて、だから昼間の空は青いのだと。母から聞いた酸素だの窒素だの光のスペクトルだのといった説明を、マイカはそう解釈していた。
「『明日の灯り』って呼んでたんだ」
「誰が?」
「
「そしてあれを――」
テラスの端。そこから更に離れて、建物や庭木をいくつも挟んだ向こう。そこでは家々の小さな灯りが、夜に張り付くようにしてぽつぽつと灯っていた。
「――あれを見て、言ってたんだ。『今日の灯り』って。全部、あそこにあるんだって。今日まで
そのとき思い出されたのは、エミリオのことルンナのことダッカスさんのことエムジィのことリンザのことトリスタンのことイゾルデのことドニィのこと、さっきの男達のこと。この、ほんの数日で起きた様々なことがマイカの中で浮かんでは沈み、最後に浮かんだのは母の顔だった。
「そうなんだ……そうなんだね」
なぜだか流れてきた涙を、マイカは拭った。
パーティーに戻ったのは、そのもうちょっと後だった。
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