第13話 マイカは伝説になる

「え?」


 どうやらナニカサレタヨウダとは気付いても。


「え? え?」


 耳に触って手のひらを見て、それでもまだアンディは、何をされたかまでは分かってないようだった。


 かまわず、エムジィは説明を再開する。


「そして魔物や動物、獣人にとっては、皮膚が服になるらしい。逆にいえば服が、人間にとっては皮膚の一部ということになるのかもしれないが、とにかくだ」


 言いながら、その場にしゃがんだ。

 足元にあるのは――


「私には、こういうことも出来るんだよ」


――獣人達の死骸。その皮膚に触った。


 すると同時に。


「これは、見ない方がいいね」


 トレンタの声がして、マイカの視界が一変する。

 それまで見えてた景色を、細かな四角形の群れが現れ覆い隠した。

 

 エムジィ、アンディ、獣人達。

 彼らの動きに合わせて、四角形も移動し模様を変える。


 モザイクである。


 その向こうで何が行われているかについては、


「逃げろ!!」

「シヌゥ!!」

「や、やめてくれ!」

「は、入ってくる! 入ってくるゥゥう!」

「チクチクして! 毛がチクチクして!」


 といった絶叫から察するしかないのだが、十歳の少女が目にするには余りに凄絶無残な光景が展開されているのは、想像に難くなかった――ちなみに時の流れが再開してから、マイカは獣人達の言葉が理解できるようになっていた。


 だからである。

 だからトレンタは、そんなものをマイカに見せないために、視覚に介入してモザイク処理を行ったのである。


 しかしである。

 考えてもみてほしい。


 モザイクとは我々の世界の技術、そして文化の産物なのである。

 当然、異世界を舞台にするこの物語の登場人物であるマイカが、そんなものを見たことあるはずがなかった。


 マイクがモザイクを目にするのは、これが初めてだったのである。


 つまり何が言いたいかというと――


「お、おえ、おえええええっっっ」

「え! そっちで吐く!?」


――モザイクを構成する細かい四角形の蠢きに、マイカは急性ぶつぶつ恐怖症トライフォビアを発症して気持ち悪くなってしまったのだった。


 これには、トレンタも慌てた。

 しかし、トレンタのその鼻の先に。


 チッチッチ……


 マイカは人差し指を立て、ゆっくり左右に動かしてみせたのだった。

『落ち着け』と言いたいらしい。


 激しくえづきながら、マイカは頭を高速回転させていた。


 慌てる前に、考えなければならない。

 いま、何ができるかをだ。

 どうしたらエムジィを止められるかを、考えなければならないのだ。


 まさかエムジィがここまで強いとはマイカも考えてなかった。いくら無抵抗とはいえ、相手は獣人でエムジィは素手。せいぜい軽い怪我を負わせる程度だろうくらいに思っていたのだが、蓋を開けてみれば……


「「「もうやだ~。お家に帰りた~い」」」


 これがアンディだけならともかく、歴戦の勇者っぽい獣人達まで泣き叫んでいるのである。悲鳴の中には、さっき獣人達をまとめ上げてた低い声も混ざっていた。


  目覚めが悪くなるどころか、このままでは、悪夢を見るのが怖くて眠れなくなってしまうだろう。


 では、どうする?


 考えてたら、結局、さっきと同じ場所に戻ってしまった。

 

 自分に、何が出来る?


 時間を止めて、念話でエムジィに話しかける? いや、戦闘中の人間にそんなことをしても、敵が見せた幻覚か何かだと思われる可能性が高い。さっき獣人達に話を信じてもらえたのは、トレンタがいたからなのだ。そして『万霊の王トレンタ』の威光は、人間であるエムジィには通用しない。


「「「許して~。何でもしますから~」」」


 アンディのだか獣人のだかは混ざりすぎてもう区別はできないが、悲鳴は、とっくに降伏を宣言している。


 つまりエムジィが攻撃を止めたところで、もはや何の問題も無いということなのだ。


 だったら――「ある」


 マイカに出来る方法が。

 いや。

 いまこの場所で、マイカにしか出来ない方法――それをもってしか、エムジィを止めることは出来ない。


「マイカ?」


 マイカは立ち上がると、不思議そうな顔で見上げるトレンタから離れ、比較的でこぼこの少ない場所に立ち、両手でお腹を押さえた。そして地面にごろんと転がり、こう叫んだのだった。


「痛い~~~! お腹が痛い~~~! 痛い~~~! お腹が痛いよ~~~!」


 数年後、この時点から分岐するいくつかの世界線において、マイカは女優を志すこととなる。そしてそのいずれの世界線においても大女優として名を馳せた彼女は、舞台で緊張しないコツを教授願ってきた後輩の女優に、こう答えるのだった。「私はね、舞台の袖で自分にこう言い聞かせるの。『失敗したって、恥ずかしいことなんて何も無い。恥なら、10歳のときに一生分かいたはずでしょ?』って」


「うんこ~~~! うんこが出ちゃいます~~~! うんこ~~~! うんこ漏れる~~~! うんこ~~~!」


 そしてこれが、マイカ10歳の叫びであった。


 エムジィが、即座に攻撃を止めてマイカに駆け寄ったのは言うまでもない。


 そしてマイカのこの行いは、この場にいた獣人達から広まり『黄金の少女マイカの献身』として、全世界の獣人達の間で、種族を問わず語り継がれることとなるのであった。


 ●


「六本には、ちょっと足りなかったみたいだな」


 膝からくずおれる百足兄弟の兄――ピーターを見下ろし、リンザは言った。


「確かにな。もう手は無いよ」


 倒れ伏しながらも、ピーターの斜めに被った帽子は、戦いが始まる前から一寸もずれていなかった。


 二人とも、目立った外傷はない。

 リンザ渾身の双撃がピーターの剣を砕き折り、その衝撃が立つのも困難になる程のダメージを、彼の主に肋骨とその周辺の筋群へと与えたのだった。


「聞きたいことは、沢山あるんだがな――」


 剣を突きつけながら、リンザは回り込んで位置を変える。それまで背後にあった景色が、目の前に来た。


 戦闘は、護衛の冒険者――という体で駆けつけたリンザの部下達『王都護衛軍遊撃第3部隊』――の圧勝に終わりつつあった。


 リンザは言った。


「オレの読み通りなら、オマエ、もう目的は果たしたんじゃないか?」

「なんのことだか……」

「オマエら、ずいぶんな数で来てくれたよな? 馬車一台を襲うには、ちょっと大掛かりすぎるんじゃねえか?」

「はっ。そりゃブリバリー家の令嬢にちょっかい出そうってんだから……」

「ほう、そうか。じゃあ言わせてもらうがな。オマエらも大した数だったが、オレらだって大概だったとは思わねえか? 馬車一台、令嬢一人を護るためだけにしちゃ多すぎる――だが、そうしろって言われたんだ――それだけ連れてけって、命令されたのさ。小娘一人馬車一台を護るためにわざわざ――なんでだろうな?」

「………」

「不思議なもんでよ。どっかから盗んできた情報ネタってのは、聞かなくても、向こうから出処を喋ってくれる。だけどよ、それ以外はダメだな。ちゃあんと対価おあしを払った情報についちゃあ、訊いたところで何にも教えちゃもらえねえ。うちの大将も、なんでこんな大人数で出張らせたんだか……おかげで、きっちりオマエらと張り合えたってわけなんだが」

「…………」

「さあ。とっとと仕上げちまえよ」

「ああ……そうさせてもらうよ」


 そう言うと、ピーターは大儀そうに身体をひっくり返し、地面に大の字になった。それだけでも、身体にかかる負担は相当だったらしい。息を吐くのも辛そうに、空を見上げた。


「あ……あ、あ――だりぃし痛えしでこりゃ……」

「寝ちまうんじゃねえぞ」

「わかってるってよぉ」


 そして――その時だった。


 まだ若いというよりは幼い、ニキビの痕が残ってるような青年だった。盗賊の一人が、敵味方入り乱れての叩きあいから弾き飛ばされ、ひっくり返り、慌てて起き上がって、顔を上げた。


 その眼差しの先に、リンザがいた。


 距離は、十メートル弱。


 斬りかかるのに近いのか遠いのか、青年の力量では判断がつかない。

 しかしその距離は、青年の蛮勇を絶妙に奮い立たせた。


「うゎああああ~~~~~~!!」


 叫んで、駆けて、斬りかかる。


 普段のリンザなら、難なく躱してみせただろう。その程度の腕前であり、斬撃だった。しかし、どこか呆けていたのかもしれない。それ以上に、アンディとの激戦の疲労が、彼女を鈍くしていた。


 それに最初に気付いたのは、リンザではなく、リンザから一番近い場所にいる人物だった。


 彼は叫んだ。


「止めっ――――っ!!」


 すでに剣は、リンザの脇腹を抉らんとしている。

 革の鎧を、銀色の線が叩いた。


 ちょうどマイカがこう叫んでるのと、同じ頃だった。


「うんこ~~~っ!!!!」

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