第10話 マイカは問いかけられる

 そうさせたのは、心の機能だった。刺激に刺激を接ぎ木することで、いま自分が加担した殺害行為を、いますぐ直視することから回避させたのだろう。


 そういう心の動きが、マイカをエムジィに振り向かせた。


 後ろには、盗賊の肢体が八つと、それを作ったカボチャ頭の怪物――ファック・オー・ランターン。人間でいえば息を吐くのにあたるのだろう。口の位置にある切り欠きを震わせて、そいつが言った。


「ファ~~~~~~ック」


 そして前には、エムジィ。

 正確には、少し斜めから見た彼女の後ろ姿。

 エムジィが言った。


「なるほど。これが『百足』の足というわけか」


 エムジィの足元にも、死体が転がっている。八つどころでなかった。人間ですらなかった。コボルトがほとんどで、オークが少し。ゆうに二十を超える獣人が、そこに屠られていた。


「………」


 エムジィと対峙する百足兄弟の弟――名前はアンディ。無言で、両手に持った剣を揺らしている。そんなアンディを、代弁するようにエムジィが言った。


「その双剣――ミスリルだな? 同じ形につくられたミスリルは、近づけると共振し、間に魔力の渦が出来るという。その状態でスキルを使うと――」


 アンディの後ろから、黒い影が跳んだ。

 エムジィに向けて――しかし。

 ぐさり。

 どさ。

 コボルトの死体が、地面に転がる。


「――スキルの波及範囲しゃていが広がるわけだ。お前のスキル、本当は触りながら・・・・・じゃないと使えないんじゃないか?」

「………」

「数も、せいぜい2,3匹か、多くて5,6匹といったところか」

「…………」


 ぐさっ。


 新たに宙で胸を貫かれた、これもコボルトだった。

 手に剣を握って、腰には束ねたロープをぶらさげている。


 テイムした獣人を、魔力で媒介した念話で指揮する。それが、百足兄弟の弟――アンディのスキル。すなわち、彼の操る獣人達こそが百足の『足』ということか。


 テイムも念話も、決して珍しいスキルではない。だがその二つを組み合わせ、しかも高い知能を持つ獣人に行使するとなると難易度、そして当然、能力者としての希少さも数倍することになる。


「これが……『布使い』」


 無口なのか、それとも念話に集中していただけなのか。

 ようやく口を開いたアンディに、エムジィが答えた。


「ああ。これが私だ」


 既に多数の獣人を屠り、いままた襲いかかったコボルトを、宙に縫い止めている。


 それを成しているのは――『布』だった。


 エムジィの上衣が変形し、槍となってコボルトを串刺しに屠ったのだった。


「……ミスリルか?」


 魔力によって硬度を変える――よく知られた、ミスリルの特性だ。そしてかつて存在したという特殊な術式を用いれば、魔力を通すことで自在に変形させることも可能だという。アンディの呟きは、ごくごく一部でしか知られていない、この知識から来た仮説だった。


 エムジィの上衣――生地に、ミスリルの糸が編み込まれているのなら?

 しかし、あえなくエムジィが打ち砕く。


「布だよ」


 何の仕掛けもない、単純なる布を変形させて武器にする。

 その姿こそが、彼女が『布使い』と唯一無二の二つ名で呼ばれる所以であった。

 

 アンディが言った。


「………だったら、安心だ」



「どうしてアンディあいつを、あっちに行かせたかっていうとだ――あいつのスキルは、乱戦じゃ賑やかしにしかならない。一対一じゃなきゃ、旨味を活かしきれないのさ。


 それとだ――


 あっちに『布使い』がいるって聞いたのもある。


 最初に『布使い』の噂を聞いた時から、思いついてた策があるんだ。で、俺よりあいつの方が、上手く出来るってわけさ――その、策ってヤツをな」



 だったら、安心だ――そう言って、アンディが懐から出した何かを口に含み、噛みしだいた。そして唾液と混ざった粉々のそれを、構え直した双剣の間に吐き出す。


 すると、それは剣と剣の間を漂い。

 球となり。


 そして、煙を吐き出し始めた。


 煙は球から地面へと這いずりだし、見る間に広がっていった。エムジィに――エムジィだけに向かって。一瞬で距離を詰めると、人の背の高さくらいまで立ち上り、ついにはエムジィの姿を飲み込み、覆い尽くした。


 彼女の立つ半径一メートル内だけ、濃霧が立ち込めたみたいに。まるで深海の青を、白へと置き換えたみたいに。


 煙が消えるまで、どれくらい経っただろう。

 十秒……二十秒……三十秒――


「……そういうことか」


――布が、失せていた。


 再び現れたエムジィの姿からは、布という布が、一切消え失せていた。辛うじて手首や足首に引っかかっている布切れも、火に炙られたように繊維を爛れさせている。


 アンディの放った『煙』の仕業であることは明白だった。


「まったく、きれいに布だけ溶かしてくれたものだ」


 あの『煙』――いったいどのような成分であったものか。エムジィがぼやいた通り、布以外の眼鏡や革の下着、靴には『煙』は溶かすどころか曇りひとつすら残していない。


「ああ……布だけだ。布だけを溶かす煙の術スキルを封じた丸薬だよ」


 アンディは、ちょっとがっかりしたような表情だった。エムジィが、もっと驚いて『どうして!?』なんて訊いて来るのを期待してたのかもしれない。


「……助かった。ミスリル鋼糸で編んだ服だったら、無駄になるところだった……こんな苦いのを、我慢したのも………兄貴の野郎」


 だからきっと、これは無口なこの男なりの、せいぜいの嫌味だったに違いない。


「……昨夜は、お楽しみだったようだな」


 そう言われて、エムジィは――


「っ!?」


――慌てた風に、胸元を押さえた。陽光に曝されたしなやかな肢体は、下着の黒と相まって真珠のごとく眩い。ただ、いま手で隠した胸から首筋にかけて、いくつか小さな痣があった。


 昨夜リンザが、喘ぎ泣き悶えながらエムジィにしがみつき、残した痕だった。何を思い出したのか――リンザのどんな声や姿を思い浮かべたのか、するとエムジィは、頬を少女のごとく赤らめて、こう呟いたのだった。


人間ひとは、こういう時に思うものなんだな……『生きよう』って」


 そして潤んだ、その眼差しの先の誰かを慈しむような目でアンディを見返すのだった。そしてその誰かが誰かは分からないが、少なくともアンディでないことだけは、誰の――アンディの目にも明らかだった。


 今度は、アンディが顔を真っ赤にして言った。


「こんな……こんないい女が……相手は誰だ!? 畜生!!」


 感情が激するのに慣れてないのか、何度もむせながら、叫んだ。


「ちょっ……ちょっと好きになってたのに!!」


 その言葉に。

 逆にエムジィが、すっと冷静な顔になった。


「え? なんだそれ。わけが分からないぞ」


『好きになってたのに』って……この状況でだと、その好きになった相手というのはエムジィ以外ありえないのだが……ないのだが。


「いや……会ったの今日が初めてだよね。っていうか、五分も経ってないし。もしかして、オマエはアレか? 『会って○秒で〇〇』とか、そういう時間感覚に生きてる人間か?」と捲し立ててから「って古いか」と、エムジィは周囲から見えない角度で、ちょっと舌を出すのだった。


 今度は、アンディがこう言う番だった。


「わ、わけの分からんことを……!


 困惑しながらも、恋を破られた怒り、悲しみ、逆恨みは収まらないみたいだった。


「ぶ、ぶっ殺してやる!」


 途端にアンディの背後の草むらで輝き出す目、目、目。

 温存してた分を全て投入したに違いない、何十もの獣人達。


 一方、エムジィはといえば『布使い』の武器である布を、溶かされ失っている。


(理不尽極まりない……)


 エムジィは、もはや声に出すのも億劫なくらいに憤り、それ以上に呆れていたのだが、それは、この絶望的にも見える戦力差に対してではない。あくまで――


(勝手に好きになって、勝手に怒り出して……甘ったれるな! 私はオマエのお母さんではない!!……ああ、理不尽だ)


――そっちの点について、エムジィは怒っているのだった。


 ところでそんなエムジィの後ろで、頷いてる人がいる。

 マイカである――


(分かるわ~。これがお母さまが言ってた『自分を凹ませた女を好きになっちゃう男現象フェノメン』……確か『昇華』って言うんだったっけ?)


(自分より優れた女性が現れた時)


(その女性を好きになることで自分が彼女より劣っていることを棚上げし)


(『女より劣ってる自分』=『男は女より優れているという常識に適合していない自分』を正当化する)


(でもアンディこのひとの場合、好きな女性が欲しい――誰でもいいから女性を好きになりたいって思ってるところへ、誰がどう見ても美しく魅力的な女性が現れたのに乗じて『自分はこの女性のことが好きなのだ』ということにしてしまった)


(というのもあるか)


(多分、その両方が合わさった感じなんだろうな)


――と、つらつらマイカが考えてる間にも状況は進む。


「お、俺が本当の男の良さを教えてやる!」

「お前ぇぇぇ、ぶち殺すぞ!」


 どうやらアンディがエムジィの地雷を踏んだらしく、再び戦いの火蓋が切られようとしていた。


 その時だった。


(あ、これ不味い……)


 マイカは気付いた。こんな風にどうでも良いことを考えてるのは、本当に考えなければいけないことが手詰まりになってる証拠だ。考えても考えてもどうしようもないから、関係のないことに考えを移してしまう。まっすぐ考えても、どうにもならないから。どこかにある、突破口を探して。そうして関係のないことを考えているうちに、本当に考えなければならないことから思考が離れてしまう。


(……考えを元に戻さなきゃ)


 マイカは、傍らに立つ巨大な影を見上げた。

 エムジィを指さして、


「救けて」


と言ったが、駄目だった。


 既に何度もそうしていた。やはり今度も、ファック・オー・ランターンは、中指を立てたまま、マイカの側から動こうとしなかった。「エムジィさんを救けて。お願い」もう一度言っても、駄目だった。マイカを護るという、その使命を離れるつもりは無いらしかった。


 エムジィを救けようとしてマイカに考えつくことが出来るのは、ファック・オー・ランターンに頼むことくらいだった。考えても考えても『マイカに出来ること』という枠から出られない限り、辿り着くのはそこしかなかった。


 でも、駄目だった。

 ファック・オー・ランターンは動いてくれない。

 駄目だから――だったら?


(良いわけがない)

(駄目だから、どうしようもないから――)

(だからって、それで、良いわけがない)

(このままじゃ、エムジィさんが……)

(どうにか)

(どうにかしなきゃ!)


 でも、マイカに出来ることといったら――

 再び、ファック・オー・ランターンを見上げようとして。

 マイカはやめた。


(私に……私だけに出来ることは!?)


――その時だった。

 

 エムジィも、アンディも、獣人達も。

 全てが止まった。

 全てのものの、時間が。


 ただ一人――この人を除いて。


「さあ、お待たせしたね」


 そんな声を、マイカは聞いて、横を見た。

 猫がいた。

 しゃらりとした毛並みの黒猫――トレンタが言った。


「種明かしを始めるよ――約束通りね」


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