破壊の祈り

元とろろ

破壊の祈り

「全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れがここにも来てくれたらなあ……」


 口から出た言葉の調子は軽いものになったけれど、本気でないという事はなかった。

 心からそう願っていた。


 昔から何かと不自由ではあった。

 幼い頃から食べ物や着る物は与えられた物しか認められず、他人と関わるのは神事に必要だという知識を教えられる時だけで、一人の時は絶えず祈祷を続けるようにと言いつけられていた。

 不自由ではあったけれど、私にとっては静かで穏やかな日々だった。


 事情が変わったのはごく最近、年老いた村長が亡くなってからのことだ。

 若い内にどこか遠くの都市へ出て行ったという村長の息子がなにかしらの手続きのためにこの村に戻ってきた。

 彼は村長の葬儀はほとんど形式を無視した簡素なもので済ませてしまい、それを終えてからもこの村に居残り、それから見知らぬ人間がちらほら村を訪れるようになった、らしい。


 社の外に出ない私がそれらを直接目にしたことはなく、全て人伝に聞いた話だ。


 村長の息子が相続した土地を使って村を再開発しようとしているとか、他の持ち主がいる土地に対しても地上げとかいうことをしようとしているのだというのも、社を訪れた人から教えられたことで、それが事実なのかどうかも私にはわからなかった。


 ただ少なくとも、一度だけ実際にこの社までやってきた村長の息子は、確かに私にもこの社を取り壊すか移転したいのだと告げた。

 自分が正しく村人は哀れなのだと心から思っている様子で、丁寧な態度で親切そうな物言いをして、どうやら善人らしくはあったが、社に対する敬意は欠けているように感じられた。


 村人たちの多くは実際に立ち退きを始めたようだった。

 そうでなくとも村長に限らず昔から見知っていた人はぽつぽつと亡くなりもしていて、村の様子というのは少しずつ変わり始めてはいたのだ。

 それでもこういう急な変化は全く想像していなかった。



 私は以前と変わらず日々の祈祷を続けていた。

 祀っているのはバッファローに乗った破壊の神だ。

 破壊を求める人々の嘆きを聞き入れて、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れを遣わすのだという。


 恐ろしい神ではあるのだろう。

 ありがたい神でもあると思う。


 人間には破壊を求める瞬間がある。

 全ての人間がそうだとは言わないし、本気でないこともきっと多いのだろう。

 それでも破壊が必要な時がないとは誰にも言い切れないはずだ。

 綿の塊を引き裂くような児戯ではなく、目に映るもの全てが更地になるような破壊だ。


 この社の立つ土地に関して、村長の息子は一度の話し合いで大人しく諦めた様子だった。

 村の土地利用ということに対して聞いていたほど熱意があるようには見えなかった。

 ただ、何気なく言われた一言が私の中で棘のように残った。


「しかし、この神社を残すにしても補修は必要なのではありませんか」


 純粋に心配しているだけという様子だった。

 決して的外れなことでもなかった。

 社は実際にあちこちが痛んでいたし、私がここの巫女となってからも補修をした前例はあった。

 だが正当な手順と形式を以てそれができる宮大工は既に亡くなっていて後継もいなかった。


 村長の息子とは無関係に、この社はいずれ滅びる定めなのだと、私はその時はっきりと覚悟せざるを得なかった。


 社がなくなり祀られることのなくなった神はどうなるのだろう。

 人から忘れ去られても神そのものは不変なのだろうか。

 なんだかそれも悲しい気がした。



 そして私は全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れの訪れを祈った。


 自身と社の滅び方を選びたかったわけではない。

 時の流れによって滅びるのが嫌だったというのとは違う。


 私はただ、一度だけ本気で祈ってみたかったのだ。

 日々の祈祷において形式や作法は固く守られるが、本心から破壊を求めることだけは許されなかったし、私自身も何かの破壊を望んだことは今までなかった。


 やがて地響きが聞こえてきた。


 人払いをしていてよかった。

 村の中で私――というより社の巫女――の発言にはまだ重みというものがあったらしく、今日一日は全ての住人が村を離れることを了承してくれていた。

 村長の息子や彼が呼び込んだ人々も渋々ではあるが従った。村長の息子は村の神事や葬儀のやり方について詳しくないということに少しの負い目があるようだった。


 社の外に出る。


 青空には雲一つなく、日の光は眩しく、真昼の空気は暑かった。


 私は全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れがなるべく物の少ない道を通って社に向かってくるように祈っていた。


 果たして全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れのものが起こしているらしい土煙は田畑も住居もない荒野から立ち上っていた。


 本当に来たのだ、と私は安堵していた。

 自分でも意外なほど落ち着いていた。


 ただ一つ、ふと、破壊の及ばない場所で誰かが見ていてくれれば良かったのに、とそんなことを思った。

 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れを目にした誰かが、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れのことをずっと覚えてくれればいいのに。

 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れのことを語り継いでくれればいいのに。


 それから私は経典の記述を思い出した。

 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れが通った後には、ただ蹄跡だけが残るのだと。

 蹄跡を目にした人々は、かつてそこに存在した物の痕跡を何一つ見つけられなくとも、ただ大きな破壊があったという事実だけは知るのだと。


 蹄跡が残るのなら、いいか。

 そうして私は今度こそ、心の底から安心したのだ。

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