第41話

地平線に太陽が接し、今日という一日が終わりそうなまさにその時。

父親と入れ替わりで、ジルがバルコニーにやってきた。

さっきまで父親が座っていたラタンチェアに腰をおろし、ジルが笑顔になる。

えくぼが彼の笑い顔を引き立てていた。


「驚いたよ。クロがまさかレインだったなんて。しかもクロだった時も、チェリーは意思疎通が図れていたのだろう? 自分がチェリーにプロポーズをした時、クロは近くにいた。全部理解して聞いたのだろうね」


そう、そうだった。

それを思うと、クロに……レインに申し訳なく思う。


特に、セフィラスからは「北の魔女の呪いはとても強いものです。一切の綻びも許されません。もしも王子の愛する女性が、他の男性に心動かされることがあれば、王子の命は弱まるでしょう」と東の魔女が言っていたと、聞いてしまったのだ。


それはつまり……。


「……急にクロの具合が悪くなったのは、自分のせいだ。でもそれは……チェリーの心が自分に動いた……ということでもある」


ジルが言う通りなのだ!

でもあの時はレインの存在を知らず、さらにクロは大好きだったが、あくまでもふもふだったから……。でもこの件、ちゃんとレインに謝罪しないと!


「残念だったな。もしこのままレイン殿下が現れなかったら……なんて気持ちになってしまったよ。こんな考えをした時点で、北の魔女と関係があったのでは?と疑われても仕方ない」


ダークブラウンの髪をかきあげたジルはそう言うが、実際、彼は北の魔女とは無関係だった。それなのに私は……。


「ジル様、その、本当に。ごめんなさい! 私、勘違いし、皆の前でジル様を疑う発言をしてしまいました。ジル様の名誉を汚す発言だったと思います……」


「チェリー、頭をあげて。バークモンド伯爵も、ひれ伏す勢いで謝罪してくれた。自分が怪しいと指摘したのは、バークモンド伯爵本人ではなく、伯爵に化けた魔女だったのに」


ジルは腕を伸ばし、私の頭に自身の手をぽすっとのせ、ニコッと笑う。


「それに状況証拠を考えたら、自分が疑われても仕方ない……それは自分でも思ってしまったぐらいだ。だから気にしていない。チェリーもその件で、もう自分に謝罪する必要はないから」


そう言うとジルは手を戻し、まさに地平線に沈む夕日を眺める。

目を細め、その顔をオレンジ色に染めながら。


「自分こそ、謝らないといけない。魔女に操られたとはいえ、バークモンド伯爵に手をかけようとしただろう? しかも伯爵を庇おうとしたチェリーのことまで、傷つけようとしたわけで……。深く反省している。ごめんな」


「それこそジル様、謝罪の必要はないですよ! 魔女に操られていたのです。不可抗力ですよ」


じわじわと沈もうとしていた太陽が地平線に没し、ジルの顔を照らしていたオレンジ色の光が、瞬時に消える。


「バークモンド伯爵も同じように言ってくれた。……でも魔女に操られるなんて、自分に隙があったのだと思う。どこかでチェリーを手にいれることができるなら、どんなことでもする……そんな黒い気持ちがあったのは事実だ。そこにつけ込まれたのかな」


「ジル様……」


「自分はチェリーとは、絶対に片想いで終わる運命なのだろう。何せこれで二度目だ。サール王太子に続き、レイン殿下。さすがに認めないといけないな。自分の相手は、チェリーではないのだと」


寂しそうなジルの表情に、心が痛む。

ずっと兄のように慕い、異性として意識したあの時、ほんの一瞬でもジルに心が動いたのだから。こんな顔をされると、申し訳ない気持ちになる。


「最初からこうなると分かっていたら、チェリーを好きになることはなかったのかな? いや、違うだろう。恋は気づいたら落ちているものだ。レイン殿下が最初からそこにいても、自分はきっとチェリーに……心を惹かれてしまうのだろう」


空は夜空でもない、青い空に染まり、何もかもが静謐な青色に包まれる。

ブルーアワー。

この時間、世界は水中に没したようになる。


「レイン殿下は、サール王太子の比ではない。さっき聞いた話から、チェリーの唯一無二が、レイン殿下であることは、よく分かった。レイン殿下にとっても、チェリーが唯一無二なんだ。……自分はチェリーの良き兄という立場で、これからは二人を応援するよ」


本当はまだ、そんな簡単に割り切れていないはずだ。

何せサール王太子の婚約者に私がなってからも、ジルは私のことを思い続けていてくれたわけで……。


「……ないとは思うが、レイン殿下の浮気で悩んだら、その時は自分に相談してほしい。もう遠慮なくチェリーのことを、レイン殿下から奪うことにするから」


最後は冗談っぽくジルが言ってくれるので、気持ちがうんと軽くなった。


「そろそろ夕食の時間だろう? 中へ戻ろう。……そうだ、チェリー。これは兄としてのアドバイスだ。レイン殿下と結婚するなら、式はちゃんと挙げた方がいい。こじんまりでもいいから、素敵なウェディングドレスを着て、バークモンド伯爵とバークモンド伯爵夫人には見せてあげないと」


……!

まだそこまで考えていなかった。

でもサール王太子との結婚を踏まえ、ウェディングドレスの用意を進めていた。

その時を思い出しても……。

やはりあのドレスは、別格だ。

そうね。

ウェディングドレスを着た姿は……ちゃんと両親に見せてあげないと!

後は……うん。

間違いなくウェディングドレスを着たチェルシーは素敵だから、クロに……レインに見せたい!

だって絶対に喜んでくれるはずだから。


「親というのは、いつだって子供の幸せな姿を、その目に焼き付けたいと思っている。まあ、それができていない自分が、こんなアドバイスをするのは変な話だけどな」


ジルにもいつか、素敵な出会いがあるといいな。この人のウェディングドレス姿を見たいと思える女性との出会いが。


そんなことを思いながら、部屋の中へ戻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る