第36話

「しっかりしてください、チェルシー嬢」


突然、深海から真昼の海面に連れ出されたかのような気分だった。

口と鼻からこれほどかという勢いで空気を吸い込み、陽射しの眩しさに目を閉じる。

耳からは金属音、甲冑のこすれる音、爆発音、時々混じる美しい声。


「今、首の傷を癒しますから」


セフィラスの優しい声に頷き、少しだけ顔を動かすと。


心臓が止まりそうになる。


エルフの騎士に交じり、一人だけ、圧倒的なオーラを放つ若者の後ろ姿が見えた。


サラサラのアイスブルーの髪、はためく純白のマント。

俊敏な動きと迷いのない太刀筋。

スラリと長い脚が、はためくマントの合間に見える。


なぜかその姿を見て、胸のドキドキが止まらない。


「!」


魔女の背後に見えたのは、サール王太子!?

どうして!?


「北の魔女がチェルシー嬢、あなたにまさにとどめを刺そうとしたその時。サール王太子が背後から一撃。槍を貫通させたのです。まさに北の魔女はあなたのことでいっぱいで、すっかり油断していました。なんの防御魔法を発動することなく、槍が貫通したのです。相当なダメージだったようで、わたし達エルフにかけられた魔法は、簡単に解くことができました」


「それはつまり、北の魔女の命は、風前の灯火ということですか?」


首に優しい温かさを感じ、声が出るようになっていた。

北の魔女に首を絞められた時の激痛と、喉に何か詰まったような違和感も落ち着いていく。


「魔女の魔力はその傷口からどんどん流れ出て、チェルシー嬢とレイン殿下にかけられていた呪いも解呪(げじゅつ)目前となったのです」


北の魔女の呪いが解ける寸前。

そのことが意味するのは……。


「レイン殿下が目覚めました。見えたでしょう、彼の後ろ姿が。あれがクロ様の本当のお姿。レイン・リム・エヴァンズ。今も存在する、この森のはるか南の地にあるエヴァンズ王国。彼はその国の数世代前の王子なのですよ」


あのアイスブルーの髪の青年がクロ……いや、レインなのね!


あんなにもふもふで可愛いクロが、シュッとした青年なんて。

でもあの動きの速さ、足首のばねを感じさせる動きは、クロそのものね。


というか、クロは生き返ったの? それとも生きていたの……?


「クロ様はチェルシー様を守り、確かに命を落としました。その結果、反呪い魔法が満たされる要件が九十%整ったのです。つまりチェルシー様とレイン様が結ばれるまで、残り十%という状況。あとわずかであることから、レイン様の復活に繋がったのかと。ただまだ十%足りません。それは北の魔女の敗北です。恐らく、レイン様は完全復活されたわけではなく、なんらかの制約を受けているのだと思います。ここで北の魔女を倒せば、完全復活となるでしょう」


そしてレインから押されている北の魔女は、まさに敗北目前だった。


「もう、諦めてください。最後に罪の告白を。きちんと許しを請うていただけるなら、むごい最期にはいたしません」


これがレインの声なの……?

少し甘さを含む、優しく耳に響く声だった。

この声を聞くだけで、なんだかくすぐったい気持ちになる。


顔も見たいな……。

でもこちらには背を向け、北の魔女と対峙している。


「もう、大丈夫でしょう。立てますか? 抱き上げましょうか?」

「ありがとうございます。立てます!」


セフィラスと小声で話し、立ち上がる。

追い詰められた北の魔女は、遂に自身の罪について、打ち明けている。


「……男爵令嬢とチェルシーが街で接触したところを見ていた。レッドダイヤモンドを巡り、二人が対立していると知った。対立……ではないわね。男爵令嬢がチェルシーをライバル視し、蹴落とそうしているのが分かった。そこで男爵令嬢の後をつけ、さら詳しく彼女について知ったのよ。その結果……使えると思った」


「話を続けてください」


クロの声とは全然違う。でも聞いていると、知っている声に思える。


レインの声にはどこかで懐かしさを感じた。

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