第32話
サール王太子の黒くなった両手を見て、ルナシスタが悲鳴をあげる。
「その手の黒いものは、魔女の……北の魔女の魔法の残滓です。一生落ちることはありません。まさかわたしの館であの魔女の魔法が発動するとは。屈辱以外の何物でもないです」
セフィラスが初めてその表情を歪め、吐き捨てるように呟く。
「あのイヤリングにつけられていたレッドダイヤモンドは、偽物です。北の魔女の魔法が込められた魔法石だったのでしょう。精巧であり、今のように魔法が発動しない限り、それが魔法石とは分からないでしょう。いえ、人間では魔法石、ということさえ分からないでしょうね」
魔法石は通常は本物の宝石に魔法を込めるが、本物の宝石と変わらない偽物に魔法をかけることもできるという。かけられる魔法はいろいろあり、レッドダイヤモンドの偽物にかけられていた魔法は、セフィラスの予想では……。
「北の魔女がかける魔法です。恐らく、負の感情を助長する魔法が込められていたのでしょう。無理に外そうとすると、魔法が暴走するようになっていたのだと思います。あの炎は、炎に見えたかもしれませんが、実際は魔力の塊です」
確かに炎ではなかったようだ。サール王太子の手は真っ黒だが、ルナシスタの耳や顔や髪が焦げている様子はない。
「ほら、やっぱり偽物だったじゃない! しかもこんな恐ろしい魔法をかけたイヤリングを売りつけるなんて! 殿下の手もこんなに真っ黒になって、ひどいわ! そ」
ルナシスタは私にありったけの怒りを向けようとしたが、セフィラスに睨まれ、さらに部屋に入って来たエルフの騎士にじっと注視され黙り込んだ。
「チェルシー嬢があえて魔法石のイヤリングを渡すような人間には、わたしは思えません。そしてその男の手が黒くなったのは咎人だからです。北の魔女の魔法の残滓は、穢れのようなもの。魂に穢れがあるものに残ります。つまり、他者の命を奪った経験を持つ者に残るのです。そこにいる男は、罪のない命を奪ったことで、その魂が穢れてしまった。ある意味、罰を受けたのです」
「で、殿下は、ま、魔物から、わ、私を守ろうとしたのです」
ルナシスタは震えながらもそう答えると、セフィラスはため息をつく。
「普通、魔物相手に攻撃を加える人間はいません。恐怖で体が動かない。よってそちらの男はある意味、勇気はあったのかもしれません。ですが、罪なき者の命を奪った事実は変わらない。残念ですが、その手は黒いままです。ただ、黒いだけで、普通に機能しますから、我慢するしかないでしょう。文句があるなら北の魔女に言ってください」
「あれは……魔獣だったのではないのですか?」
サール王太子が声を絞り出すようにして尋ねると、セフィラスが答える。
「違います。そう見えていただけで、実態はチェルシー嬢の可愛がられていた猫です」
「……そう、だったのですね……」
絶句したサール王太子は私を見て、頭を下げた。
「チェルシー、申し訳なかった。私は……私には恐ろしい魔獣に見えていたんだ。君の……君が大切にしていた猫を……すまなかった」
まさかサール王太子にこんな風に頭を下げられるとは思っていないので、驚いて言葉が出ない。同時に。さっき一度引いた波が再び胸に迫って来るように感じた。
「チェルシー嬢。今は悲しむ時ではない。よくよく思い出してみてください。あなたが用意したのは、本物のレッドダイヤモンドだったのでしょう? でもそれは魔法石にすり替えられていた。誰がどうやって? そこにあなたがつけるべき決着があるのでは?」
セフィラスの言葉に気持ちを立て直す。
そうだ。
北の魔女は、想像しているより私の近くにいる人間を、操っていたのかもしれない。
「失礼します」
部屋の扉は開けっ放しのままだった。そこにエルフの騎士が姿を現した。
「セフィラス様。森の外にチェルシー嬢の父君とジル殿がお戻りになりました。ジル殿が率いていた兵は、カーラン国の国境まで撤退したようです」
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