クロ視点
第23話
●クロ視点です●
ジル・ローダー。
チェルシーの父親と昔から取引があるカーラン国のローダー男爵の長男だ。
仕事もよくでき、有能だとチェルシーの父親はよく言っている。
柔らかいダークブラウンの髪に、切れ長のセピア色の瞳。
ボクから見てもハンサムで、えくぼが似合うチェルシーより年上の男性だ。
そして声もいい。
少し低音の深みのある声は、頼れる大人を感じさせる。
カーラン国のローダー男爵家の屋敷へ行く時。
ボクは留守番だった。
でもローダー男爵とジルがマーネ王国へ来ると、バークモンド伯爵家に滞在する。
そこで見ていたジルとチェルシーの関係。
それは兄妹だ。
チェルシーは王太子妃教育の一環で経済や経営について学ぶにつれ、父親の商会にも興味を持っていた。そしてジルは自身の父親を手伝い、宝石商としてその手腕を発揮している。六歳年上で、チェルシーより経験も豊富。だからチェルシーはいろいろと質問し、えくぼが目を引くジルは、いつも笑顔でいろいろ教えていた。
チェルシーは、サール王太子という婚約者がいる。
それはジルも分かっていた。
だからだろう。
完璧に自身の感情をコントロールしていた。
それにチェルシーよりも、年上だからだろうか。
落ち着いて自身の感情と向き合い、兄としての好意しか見せていなかった。
だからボクも……油断していた。
まさかサール王太子と婚約破棄したチェルシーに、ジルがプロポーズするなんて!
セフィラスだけでも強敵だっていうのに。
あのジルが新しい婚約者として名乗りをあげるなんて。
ノーマークだっただけに、ボクが受けたショックは大きい。
何よりも、サール王太子と違い、ジルのことをチェルシーは信頼している。
兄として頼っている=心を許しているのだ。
ただ、異性としてこれまで意識していない。
それが恋愛対象として認識したら……。
恐れていたことが起きる。
父親からジルのプロポーズの件を聞いたチェルシーは、気恥ずかしそうにして、奴と目を合わすことができない。その恥じらう様子は、見ていてドキドキする。
チェルシーが可愛い……。
いや、そうじゃない。
あの愛くるしさは、ジルによって引き出されているものなのだ!
これは実に由々しき事態。
ジルとチェルシーの父親が、プロポーズに関する話をしていると気づくと。
チェルシーの目が泳ぎ、ボクの視線とぶつかる。
その時のチェルシーの甘い瞳に心が溶かされ、同時に大いに不安になった。
ボクへ向けた甘さではない。
ジルのことを想い、浮かんだ感情。
チェルシーがまた誰かの婚約者になってしまう。
せっかくあのサール王太子がいなくなったのに!
ジルと二人で庭園へ向かうというチェルシーには、当然だが、同行することにした。
不安と、チェルシーの気持ちを自分に向けたい気持ちで、甘えたりツンツンしてしまったり、ボクの行動は定まらない。そんなボクを見て、チェルシーとジルが顔を見合わせ、微笑んでいる……!
焦燥感にかられ、チェルシーに密着するように抱き上げてもらった。
紳士として。
チェルシーに密着するのは、控えようと思っていた。
でも今は全身でチェルシーを感じないと、不安で、不安でならなかった。
ボクの想いとは裏腹に、ジルとチェルシーは、お互いの距離が縮まるような会話を続けている。
――「チェリー。君と婚約し、結婚したい――という提案を出したのは、自分だ。両親がすすめたわけでもなければ、バークモンド伯爵が頼んだことでもない」
ジルの言葉を聞いたチェルシーの心音が、これまで以上にトクトクと反応している。
苦しい……。
チェルシーの気持ちが、明らかにジルに呼応していると分かった瞬間。
全身から力が削がれるように感じた。
たまらずチェルシーの腕から逃れる。
ジルにときめくチェルシーを感じたくない。
――「チェリー。自分は君に初めて会った時から、好きだった」
――「自分のことをチェリーはよく、“お兄さんみたい”と言うけれど、自分はチェリーのこと、一度も妹みたいだと思ったことはないよ。ずっと一人の異性として見てきた。結婚するならチェリーだって、ずっと思っていたよ」
次々と告げられるジルの愛の言葉。
それは止まることなく紡がれている。
本当は、チェルシーが十五歳になったらプロポーズするつもりだった。それなのにサール王太子の婚約者となってしまい、ショックだったとジルが告げている。
さらに恋は気づいたら落ちるものだと語り、チャンスは逃したくないと、ジルがチェルシーに畳みかけた。
絶好の機会を逃したくないのは、ボクだって同じだった。この森で、チェルシーとボクとで、ずっと一緒に生きていけると思ったのに!
チェルシー以外、考えられない? それはボクだって同じ。
ボクには……ボクには、チェルシーしかいない。
チェルシーじゃなきゃ、ダメなんだ。
――「いきなり好きになってほしい――とは言わない。自分は片想いの期間が長く、もう我慢と待つのは慣れっこだ。婚約したら、結婚は早くしたい。でもチェリーの心が決まるまで、無理強いはしないつもりだ。チェリーが大切だからね。チェリーの心身共に準備ができたら、一つになるので構わない。だからまずは一緒にカーラン国へ行こう。そして婚約をして、一緒に暮らそう」
ジルの言葉に眩暈がした。
この森で、チェルシーはボクと暮らすと決めたのに!
カーラン国に行くなんて反対だ。
チェルシー……。
「みゃぁ……」
なんてか弱い声なんだ。
ボクは……どうしたってもふもふな猫で、チェルシーに抱きしめられても、彼女を力強く抱きしめることができない。
自分の無力さを自覚する。そしてボクがチェルシーにできないことをすべてできるジルに、敗北を感じた。さらにチェルシーの気持ちが……ジルに向かっていることが伝わってきて……。
全身から力が抜け、立っていられない。
「クロ! どうしたの!?」
チェルシー、ボクには君しかいない。
君がいればそれでいいから。他には何もいらない。
お願いだからボクのことを……
「クロ、クロ、しっかりして!」
遠くでチェルシーの声が聞こえた。
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