クロ視点
第7話
●切なくキュンとなるクロ視点です●
正直、ボクは前世での記憶が、チェルシーみたいにしっかり思い出せていない。
その代わり、この世界で目覚めてからの記憶はしっかりある。
だからむしろこの世界の方が、ボクにとっての全てでもあった。
何より、この世界に来る前の記憶は……とても悲しいものだから。
今でも思い出す、体を刺すような雨。
雨だけではなく、砂粒も舞い、容赦なくボクの体に打ちつけていた。
風は、風なんてレベルではない豪風で、呼吸すらまともにできなかった。
小さな子猫のボクには、どうにもできない自然の猛威。
そこから助け出そうとしてくれたのが、前世のチェルシーだった。
今とは全く違う姿のチェルシー。
名前なんて分からない。
でも黒髪で、眼鏡をかけていて、優しい瞳をしている。
その目を見ると安心できたし、なんだかとても懐かしく感じた。
そして実際、とても親切な人だった。
なぜならあの竜巻の中、ボクを助けようとしてくれたのだから。
彼女の胸に包まれた時。
助かる……!
心から安堵して、その直後に絶望を見た。
飛んできたトタン屋根。
それがボクの恩人の命を奪う。
天国から地獄に落ちた瞬間だ。
こんな理不尽、許されていいわけがない。
あの時、なんであんなことが起きたのか、本当に分からなかった。
でもチェルシーの魂はこの世界に導かれてくれた。
ただ、チェルシーは幼い子供の体で転生していて、ボクは彼女以上に小さかった。
お互いこれでは何も認識もできない。
だがチェルシーはどんどん成長し、言葉も話せるようになった。
その一方で、ボクはなかなか成長しない。
悩むボクにヒントをくれたのは、庭にやってきた鳩だ。
この世界のもふもふは、人間と意思の疎通をはかれる者が、稀にいるらしい。そういったもふもふは、成長が遅いとのこと。ここは、エルフもいるような世界。世界のあちこちに、不思議が転がっている。そしてこの話を聞いたボクの心に、希望の光が灯る。
焦らず、チェルシーと話せる日を楽しみに待った。
彼女が前世の記憶を取り戻すことを期待した。
でも……。
時間だけがどんどん過ぎて行く。
チェルシーは美しく成長し、婚約者までできた。
彼女の前世の記憶が覚醒することはない。ボクとの意思疎通もはかれない。
ボクは十八歳のチェルシーと変わらない年齢のはずだった。
しかしとても成猫とは思えない姿であり、チェルシーと話すこともできない。
焦燥感だけが募った。
学校を卒業したチェルシーは間もなく二十歳になり、そうなったらあの婚約者サール王太子と結婚してしまう。そうなる前にチェルシーと話したかった。もし話せても何も変わらないと思う。チェルシーは人間で、ボクは猫のまま。
何も変わらないとしても、チェルシーと話したい。この世界で過ごす日々の中で、チェルシーと意思疎通を図りたいとずっと思い続けた。とにかく話すことができたらと願い、それが一つの目標になっていたのだ。
だからそれが思いがけず叶った時。
さらにはチェルシーが前世の記憶に目覚めた時。
ボクは天にも昇る気持ちだった。
しかもチェルシーは、あのサール王太子と婚約破棄できた! あんな浮気男、婚約破棄で正解だ。チェルシーと婚約しているのに、ルナシスタなる令嬢と仲良くしているんだからさ。
サール王太子はチェルシーを手放してくれた。
なんとなく、これでチェルシーはボクだけもの。
なんて気持ちになっていたけど。
エルフのセフィラス。
彼は自身の身分を明かしていないが、エルフ王の血筋に間違いない。
だってこんな城みたいなツリーハウスに住んでいるのだから。
もふもふの森はかつてもっと広大で、そこにはエルフの王も存在していた。だが人間が森を焼き払い、もふもふたちが住む場所を奪われる姿に心を痛め、遥か西の世界へ旅立つことを決めたのだ。多くのエルフが、かの王に従い、沢山のもふもふも彼に従い、西の地へ向かってしまった。
もふもふにだって王はいた。でも今、もふもふの王はエルフの王と同じ。この森にはいない。セフィラスのように、エルフ王の血筋を引く者は、まだこの森に残っているようだけど……。もふもふの王の血筋なんて、既に残っていないのだろう。
ともかくだ。
セフィラスはあのサール王太子よりも、それ以外のチェルシーの周りにいたどの令息よりも。格段に美しい。なにせエルフなのだ。人智を超えた存在。それだけ美しくても当然だ。姿だけでなく、声も美しく、森の木々にも、もふもふからも愛されている。さらに森の木々にも、もふもふに気を配るぐらいだから、とても優しい。穏やかで、落ち着きがあり、まさに癒しだ。
そう、セフィラスは……非の打ち所がない。しかもエルフ王の血筋。完璧過ぎる。
でもそのセフィラスを見て、チェルシーがあんな顔をするのは……。
見逃せない!
セフィラスに敵うかどうかは分からない。
そもそも同じ土俵にいないと思う。
それは分かっている。
分かっているけれど……。
でもせめて、こんなもふもふではなく。
ボクも……人間に生まれたかった。
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