第4話

「……え」


 コンビニから出てきた変装をしているような男性が驚いた声で、小さくそう言った。

ハイボール缶をコンビニの外で飲んでいた女性が男性の視線を向ける。

全て変わっていった街並みに、ただ一人だけ変化のなかったような聞き覚えのある声。

一文字の一言で誰がコンビニから出てきたのかに気づくほどに。

閉ざされていたあの頃の記憶が全て元通りになったかの様。


 美由紀は声のする方を振り返るが、ぎこちなくも彼のことに気づかなかったようなふりをして、少しだけお酒が残ったハイビール缶をゴミ箱に捨てて、その場から立ち去ろうとした。


「ちょっと、美由紀さんッ!」


 葵に名前を呼ばれて、なぜか少し安心した美由紀は彼のことをじっくりとは見られない。

久しぶりの再会とは思えないほど彼は明るく、

でも少しだけ照れ臭く、彼女のことを見た。

見て見ぬふりをした美由紀は彼に少しだけ怒られた。


そして二人は少し歩いた。


◇ ◇ ◇


 美由紀は葵のあとをついていきながら、ホストクラブの跡地に建てられた居酒屋に入った。

時刻はすでに10時を過ぎていた。

周りのガヤガヤした雰囲気とは裏腹に、彼らの座った四人席のテーブルは気まずくも静かだった。

対面で座り、目を合わせないようにしていた二人。

「注文、お決まりですか?」と店員が言ってきたので、

葵は「あ……じゃあとりあえずビール二本と焼き鳥四本ください」と言った。

それから周りのガヤガヤした雰囲気、大学生の喋る声を聞きながら、数分ほど彼らの席では沈黙が続いた。


「美由紀さん、久しぶりです。六年ぶりくらいですかね」


 葵が話を始めようとする。

頭を振って返事をした美由紀。しかし、ちょうど注文していたビール二本と焼き鳥を店員が持ってきて、話が遮られた。


「あ、あの! ……あの時は色々としてくれて、ありがとうございました。感謝の言葉をあの時言えなかったので、ずっと言いたかったです。美由紀さんがいなかったら、僕の今の人生はなかったです」


「やめてよ。私は別に最後まで手伝ったりしなかったし、俳優として再開できたのも今の事務所のおかげでしょ」


 美由紀は居酒屋に入ってから彼に初めて喋った。

葵はムズムズしながら何か言いたそうな顔をしていた。

美由紀は彼のことをじっと見つめると、葵は彼女に目を合わせ、彼は決意したような表情を浮かべた。


「なんであの日からホストクラブ来なくなったんですか。」


 直球な質問を聞き、驚いた顔で美由紀は葵を見た。

ついさっき持ってきてもらったビールを飲み干すと彼女はこう言った。


「ちょっと待ってて。もう一本分だけ酔わせて。」


もう一本、ビールを注文してそれを一気に飲み干すと、彼女の頬は若干赤くなり、可愛らしく頬杖をした。

酔いが回り、目がうつらうつらしながら、美由紀は葵のことをじっくりと見た。

まるで、今までの大人っぽさが嘘だったかのような眼差しで葵のことを見つめた。


「こんな素敵な時間がずっと続けばいいな……そう思ってたの。」


 少し大きな深呼吸をした後に彼女がそう言った。


「ダメなところも素敵に思える。そのくらいあなたのことが大切だったの。いやそうじゃないわ。好きだったのよ、あなたのことが」


「え、どういうことですか。恋愛対象として見てないからって言ってましたよね。あれは何だったんですか!」


「うん、そうだね。でも好きだったなんて関係ないのよ。どう足掻いても、あの時私はあなたを振っていたわ」


「ちょっと美由紀さん、もっとわかりやすく言ってください」


「もしも運命っていうものが本当に存在してるなら、それは私たちのことを指してるわけじゃない。私たちの間にある十一歳差なんてそう簡単に埋めることはできないのよ」


「歳の差なんて関係ないじゃないっすかッ!」


 葵はそう言うと、抑えていた感情を表面に出し、そして視界がぼやけるほどに涙を流した。

綺麗に流れる涙の数滴を美由紀は見ながら、こう呟いた。


「あなたはそう言えるかもしれないわ。でも私が恐れていたのは、世間の目よ」


 沈黙のまま、鼻を啜る音しか聞こえない。


「できれば、ホストクラブ以外であなたと会いたかった。何度そう思ったことか。冬には寒いねって言って、特別でもない道端で手を繋ぎながら夜のコンビニまで歩きたかった。お祭りで花火の光を浴びながら、君の楽しそうな顔を眺めたかった。家であなたと肩を寄せながらテレビを観たかった。でも、あなたがまた俳優になるって決めたんなら、私の存在は大きく目立っちゃうんだよ」


 涙を拭い、少し目が赤くなった葵はこう言う。


「今はもう違いますよ。十一歳の差があっても、どんな障害があったとしても、あなたと一緒にいることをバカにされたら、私はその世の中を否定します」


「だから、違うのっ」


「聞いてください。美由紀さんにそんな想いをもうしてほしくないんです。責任感は大人になったらあるべきものです。でも、それ以上に他の人を頼ることも大人っていうものなんです」


「えっ……」


「案外、人に頼るのって難しいと思います。泣きたい時には泣いてもいいと思います。自分の感情のままに従ってもいいんですよ」


 美由紀はまた一段と子供のようにテーブルに顔を置いて、泣きじゃくった。


「私が生きてる意味なんてないと思ってたから、」


 葵は首を振った。

そして優しく寄り添うように彼女にこう告げた。


「そんなことないです、美由紀さん。大人になることは、世間の決めたバイアスみたいなものだと思いますよ。だから今度は自分のためにもはっきり言わせてもらいます。僕は美由紀さんを愛しています。どうしようもないような愛しい時間を美由紀さん、貴方とこれからは過ごしていきたいんです」


「私も……愛してる。」


 泣き止まずとも、彼女は満面の笑みで葵に微笑んだ。


◇ ◇ ◇


 それから数年後——


「増田葵、三十代一般人女性と結婚」


         御報告

 平素より格別にお引き立てを賜り、心より御礼申し上げます。

 私事で恐縮ではありますが、この度かねてよりお付き合いをさせていただいている一般の女性と結婚致しました。

 二人の間には十一歳の年齢差がありますが、彼女と長年過ごした中で、年齢はただの肩書きだと思うようになりました。誰かを愛するのに、年齢はお互いにとって、障害であってはならないと感じております。愛を定義することは難しいです。ですが、誰が何を言おうと、私は彼女と共に生きてきた数年間とこれからの日々を愛と定めるつもりです。そして、歳の差恋愛の価値を彼女と日々証明しながら、生きていく所存でございます。

 これからもしっかりと毎日を大事にして、彼女と人生を歩んでいきたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

         増田葵



 私は家のソファでくつろぎながらそんなニュースを見て、今度こそ、心の底からおめでとうと思った。


 そして「大人でも我儘で、我慢しなくてもいいことを教えてくれてありがとう」と、隣で肩を並べる彼にそう伝えた。

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