墓参り
よし ひろし
墓参り
「今日の花粉濃度は90。外出には向いておりません。不要不況の場合を除き、地下施設内にいることをお勧めします。こちらは東京都環境管理局――」
久しぶりに出た地上。流れる防災無線を聞き思わず辺りを見渡す。
半壊してるビル群。そこに絡む植物たち。道路のアスファルトは割れ、伸びた草草で覆われている。
「人などいるはずないのに律儀に流すのね……」
春、三月、花粉が一番濃い季節。地上に出るバカなどいるはずもない。
ウエットスーツのように体に密着した白い防護スーツに防毒フィルター付きのフルフェイスのヘルメット。この完全防備でもこの時期外に出るのは危険だ。
でも、あたしには用がある。
予備の交換用のフィルターを三つ持ち、スーツが破れた時のパッチセットも用意してきた。飲み物に携帯食料、その他もろもろ。準備は万端だ。大丈夫だろう。
地下から持ってきたマウンテンバイクに跨り、荒れた道を進み出す。
十年前には自動車が行きかっていた大通り。今は野生の草花で埋め尽くされ、虫たちが飛び回っている。
植物たちが突然毒性の花粉をまき散らし出したその原因は未だにわかっていない。そのことを調べるための多くの頭脳が初めのひと月で失われてしまったから。半年で人類の人口は半減し、今はかつての十分の一にも満たない数しか残っていないと思われる。遠隔地との連絡手段が絶たれて久しいので、実際どれだけの人間が生き残っているのかわからない。
毒性の花粉で覆われた地表から逃れ、人類は地下へと移り住んだ。ここ東京でも、地下に蟻の巣のように人の住処が広がっている。
あたしもその地下住民の一人だが、今日は用事があって外に出た。
両親の墓参りだ。
あたしの父と母は、あたしだけを地下施設に送り、自分たちは地上に残った。理由は簡単だ。生き残っていた全員を収納できるスペースがなかったから。地下施設の建造、管理維持などの技術者や毒花粉克服のための研究者、医療スタッフなど必要最低限の人員を除き、ほとんどの大人たちは地上に残った。地下に送られたのは、未来のある子供たちだけ。当時六歳だったあたしもその一人。
両親が死んだのは一年ほど後のことだ。正確にいつ亡くなったのかはわからない。聞かされたのが、三月の中頃だったので、それ以前ということだけは確かだ。
子供が地上に出ることはほぼ許されなかった。当然だ。未来を担う、大切な体なのだから。
なので、両親の墓を訪れる機会はなかった、今日までは。
「ええっと、こっちかな…」
方位磁石と
今日こうして墓参りをするために半年間、裏工作を進めてきた。闇市で必要なものを揃え、密かに地上へ抜ける闇ルートを探索し、短い時間ではあるが何度か地上に出てみた。そして今日、すべての条件を整え、計画を実行に移した。
「やっぱり春は、植物たちが元気になるのね」
前に試しに外に出た時はまだ冬だった。その時と比べると緑の厚みが違う。花粉の濃度も濃く、霞が張ったようになっている。
虫たちの動きが活発だ。が、動物の姿は見られない。犬や猫、ネズミなど都会には多くいたであろうその姿は全くない。
人類を死に至らしめた毒の花粉は、当然、他の生物にも多大な影響を与えた。特に人に近い哺乳類のダメージは大きく、鳥類もかなり死滅したと思われる。が、実際のところはわからない。調べる人間がいないから。
上空は花粉の濃度も薄いので、鳥たちには生き残るチャンスが大きかった。今も霞む空には、大空を舞う鳥の姿をいくつか確認できる。また昆虫たちには、花粉の毒がほとんど効かないようで、いまや地上は植物と昆虫の世界だ。
国道254号と呼ばれていた道を西へと進んでいく。目的地は朝霞の陸上自衛隊駐屯地のあった場所。その近くの寺の墓地に両親は葬られているらしい。
地上に残された人たちの多くが自衛隊の施設へと避難した。練間、朝霞、小平、立川、横田、入間――当初頻繁に連絡が取れていた東京近郊これらの自衛隊の施設も、今は音沙汰がない。数年前の調査では、生き残った人はいなかったということだった。
しばらく進むとその一つ、練馬の駐屯地の建物が横に見えてきた。植物に覆われていたが、思ったよりもしっかりとした建物が残っている。
これならもしかしたら生き残っている人が――そう思ったが、今日は別の目的がある。そのまま素通りし、先へと進む。
通りの両脇に立つ、ビルやマンションの多くが植物の寝食を受けて半壊していた。都心を離れ多摩、埼玉へと進むにつれ、緑の勢いが強い。
この日のためにトレーニングは積んできたが、成増駅の辺りで太腿が悲鳴を上げてきた。それに腰とお尻が意外とつらい。舗装は残っていたが、植物たちのせいでボコボコで、マウンテンバイクのサスペンションでは衝撃を吸収しきれなかった。
だけど、目的地は近い。ヘルメットのドリンク用の穴からストローを通し、スポーツドリンクで一服する。
「よし、行こう!」
自分に気合を入れ、ペダルをこぎ出す。
上り坂を気合で越え、道を塞ぐように倒れる看板をやり過ごし、ゆっくりと着実に前へと進む。
ほどなくして朝霞の陸上自衛隊駐屯地に到着する。ここも緑で覆われていた。道路側からでは、中の様子はわからない。
「お寺は――もう少し先ね」
マウンテンバイクを止め、地図を確認する。目的の寺は、朝霞駐屯地の更に先だ。父が生前その寺の住職と懇意にしていたので、墓地の都合をつけてくれたようだが、墓がどのような状態であるのかはわからない。
地図と周囲の様子を見比べ、向かうべきルートを頭に叩き込む。
「よし、もう少しだ」
再び進むためにペダルに足をかけた、その時――
風が吹いた。
駐屯地の方角から道路を横切るように、突風が吹き抜ける。
車体が横倒しになりそうになり、踏ん張る。
次の瞬間、視界がピンクに染まった。
「――!? さくら……」
桜の花びらが視界一面を舞い散っていた。
桜吹雪――
幼いころの記憶が急に甦る。
父と母と一緒に見た近所の桜並木の光景――
そよ風にはらはら散り、歩く散歩道はピンクの絨毯。
夜になるとぼんぼりでライトアップされ、三人で夜桜見物にも行った。
「誕生日、おめでとう!」
あたしの誕生日の夜、家族でいつも夜桜を見た。屋台のチョコバナナを頬張りながら、眺めたあの桜と両親の笑顔――
涙がふいに溢れた。
「お父さん、お母さん……」
両親に助けられたこの命――だけど、辛いことが多すぎた。何度死にたいと思ったことか。
現在の地下都市には希望がない。明るい未来など誰一人として思い描けていない。あたし自身もそうだ。人類はこのまま滅んでしまうのだろう――口にしないが、皆がそう思っていた。
今日、誕生日の今日に両親の墓参りに来ようと思ったのも、これからどう生きていけばいいのか、墓の前で考えたかったからだ。
思わぬ瞬間に両親のことを思い出し、胸中に抱えていた様々な感情が一気に噴き出した。
止まらない、涙が頬を零れ落ちる。
拭おうと顔に手を当てるが、ヘルメットのバイザーに邪魔をされる。
まったく、厄介だ。涙を拭うことも自由にできない。
大きく息を吐きだし、気持ちを落ち着かせる。
「……いま、行くから」
思い出の中の両親に声を掛ける。
行ってどうなるものでもない。多分、何も変わらない。もしかしたら、あたしはそこで、このヘルメットを脱ぎ、両親のもとへ――
そんな昏い未来を思い描いた時、目の前を横切る黒い影が見えた。
桜色の絨毯を歩み、道を横切る小さな生き物。
「ねこ――」
驚いた。
黒猫だ。
それも、小さな体の――子猫!
子猫は道を横切る途中で、こちらに気づいたようで立ち止り、じっとあたしを見つめる。
何か言いたそうな金色の瞳……
みゅあぁっ!
一声鳴くと、その猫は再び歩き出し、通りの向こうへと消えていった。
「子猫が生まれ…、元気に育っている……」
新たな命。
新たな世代。
「人にも希望はあるのかな……」
黒猫は不吉の象徴だという話もあるが、今見た子猫は希望の象徴だ。
毒花粉に耐性があるのか?
それとも、もしかしたら、毒性そのものが薄らいでいるのか――
理由はわからない。でもこの地上で新たな命が生まれ、元気に育っている。
我々人間も――
「帰ろう……」
あたしはマウンテンバイクを百八十度反転させ、ペダルをこぎ出した。
「ごめんね、お父さん、お母さん。墓参りは、また今度ね」
もしかしたら、防護スーツも、涙もぬぐえない厄介なヘルメットもない状態で来れるかもしれない。
そんな希望を抱き、あたしは帰途についた。
墓参り よし ひろし @dai_dai_kichi
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