第55話 友樹と草薙

 六回裏は打順九番高見から。


 ピッチャーだが打てる高見は構えからして他のピッチャーと違う。

 コンパクトでありながらしっかり振りぬき、レフト前ヒットだ。


 一番岡野。

 前回の打席より岡野の肩の力が抜けているように見えた。

 新藤の出血が落ちついたからだろうかと友樹は考えてみたが、きっとそれだけではない。


 岡野は先ほどの草薙の一連のプレーをよく見ていた。

 草薙がショートになったことに納得がいったのだろうと、友樹は考えてみる。


 無理に長打を狙おうとした前回と違い、いつもの岡野のスイングだ。ライト前ヒットを打った。

 これで無死一二塁。

 

 二番草薙。

 彼女もまた、力んでいた前回よりリラックスしている。

 友樹には何もできない会話だったけど、草薙の力みが取れたのなら本当によかった。


 草薙が打席に立った途端、友樹はいい予感がした。


 草薙はレフト後方への二塁打を打った! 遠園は一得点。計六点。

 一点ビハインドにまで縮めた。


 これでエラーの失点も帳消しですねと、友樹は本人以上に喜びながら素振りした。


 友樹は打席に立つ。恐れるものは何もない。憧れた人の隣でプレーして、打席にも立てる。これ以上何を望む?


 今の自分ができる最高のスイングを、超える星野の最速が、キャッチャーミットに音を鳴らした。


 自分より強い人ばかりだ。


 ふと、そのことが困難でも重圧でも絶望でもなんでもないことに気がついた。


 きっと、これが欲しかったのだ。何と言ったらいいのか分からない。浅見コーチと会うまで封印していた気持ち。手に入ったのだ。


 星野の直球が全力で友樹を封じようとするが、相手との力の差なんて見ない。


 今のうちから単打狙いをするなと潮コーチに言われていた。思いきりやるってのを繰り返していくのだと。


 これから何度も何度も繰り返すことができるなんて、夢のような現実を手に入れた。


 浅見コーチから貰った練習用のバットで何度も練習をした。


 何度もプロ野球選手の動画を見て身に着けたスイングで、投球を捉えた。


 硬球ならではの音が響き渡り、友樹は必死で一塁を目指す。相手の肩が強く、すぐにボールが返ってくる。


 友樹は草薙のようにぎりぎりまで走ってからスライディングをした。


「セーフ!」


 三遊間に内野安打となった。


 友樹は涙が出そうだった。


「井原ー!」


 ホームに還った岡野が、大きく手を振り、満面の笑みを見せる。


 遠園ベンチで皆が総立ちになった。


「よくやった!」


「今のよかったぞ!」


 遠園シニアの皆に本当に認められたのだと友樹は思った。


 その中心にはもちろん新藤がいて、彼は力強い笑みを浮かべていた。


 遠園シニアにきてよかった。


 四番桜井が四球を見た。


 五番坂崎が二遊間を破る勢いの打球を放ったが、青森のセカンドが追いつき、二塁のショートに投げる。ショートがファーストに転送、ダブルプレー。


 今のを自分ならどうしただろうかと、友樹は胸がざわっとした。

 喜んでばかりじゃいられない。たくさんの競争が始まったのだ。


 同点で七回表。


 青森の六番打者と七番打者が連打した。


 八番打者の打球が二遊間へ来て、友樹が捕球し、アウトを取ったが草薙と衝突寸前だった。

 危なかったと、二人は顔を見合わせる。


「ごめん」


「いえ」


「もっとちゃんと見るよ」


 そう言って草薙が友樹に背を向けた。

 衝突しそうだったということより、草薙の位置からあの速さでここまできたことが凄い。

 一緒のグラウンドにいるのだ。友樹は誰にも見せることのない笑顔になった。


 九番の代打が打った。一番打者が二塁打を打ち、二得点。またしても引き離されたかと、遠園ベンチの空気が険しくなった。


 二番打者の打球が二塁ベースの後方に。

 これならなんとか追いつく、捕ったら草薙さんにトスしてゲッツーコースだと、友樹は考えた。


 打球が土の硬いところに強く跳ね、角度を変えて弾んだ。


 こんな時にこんなイレギュラーか!


 友樹は歯を食いしばり、跳んだ。


 バウンド後に落ちる位置を予測してグラブに入るのを待つのだ。

 ダブルプレーは諦めるしかない。


 草薙が二塁でアウトを取れるように備えていたが、友樹のカバーに回ろうと考えたようで一歩、進路を変えた。


 友樹と草薙の目が合ったのは一秒にも満たない時間かもしれなかったが、これは捕れます、と言いたくて友樹は草薙の目をじっと見た。


 草薙がカバーに入るのをやめた。


 通じたのだ。


 その時の位置。

 友樹は二塁ベースの後方に倒れこもうとしている。


 友樹が立ちあがって自分の腕で投げるより、このボールを草薙に渡して彼女が投げるほうが速くバックホームできるのでは?


 リトルじゃ見ないと浅見コーチが言っていたグラブトス。


 草薙は捕れるか。


 捕れる。


 捕れるに決まっている!


 友樹はボールを右手に持ちかえない。左手のグラブから直接、草薙にトスする。


 何回草薙の姿を巻き戻したか。何ができるか分かっている。


 草薙の茶のグラブが白球を包んだ。

 そして脊髄反射かのような速さでベースを踏み、福山へ転送した。


 これには友樹が驚いた。このタイミングでバックホームではなくダブルプレーを狙うなんて。


 審判のアウトのコールに――ダブルプレー成立に――球場の人々が驚き、身を乗りだす。


 どよめきはすぐに歓声になった。


 草薙が空になったグラブを驚いた顔で覗きこんでいる。


「あんた、グラブトスを?」


 反射のように送球したのに、心が追いついていないらしい。


「どうしてできたの?」


「草薙さんが捕ったからです」


 草薙さんは何を言っているのかと友樹はグラウンドに両膝をついたまま、首を傾げた。


 全ては今のためにあったのだ。


 友樹の日々は友樹にとって正解だった。一から作るのではない。既に作ってきたものがある。


 浅見コーチと出会う前から、とっくの昔から友樹の野球は始まっていた。


「やりましたね!」


 友樹は土を払いながら立ちあがる。草薙は自らのしたことに驚いていて、球場の熱気に押されている。どこか上の空で友樹に頷いた。


 高く青い空から降り注ぐ光を浴びる友樹の心に風が吹く。目を閉じる。満たされている。


 球場を自分たちのものにしたとようやく気づいたらしい草薙が、晴れやかな顔で空を見上げている。


 どちらからともなく互いを見つめて笑い合う。


「草薙さん」


 友樹は思うままに呼びかけた。


「ずっと選手でいてください」


 草薙はわずかに首を傾げた。


「どうして井原はそんなに私のことを考えるの?」


 友樹の頭の中にたくさんのことが浮かんだ。


 冬の公園で動画を初めてみたときに心惹かれたこと。

 何度も再生を繰り返して憧れていたこと。

 女子でびっくりしたこと。

 草薙のプレーが美しいということ。

 ずっと野球をしてほしい。


「草薙さんがショートだからです」


 出てきた言葉はそんなものだった。


「なにそれ」


 草薙は笑ったが、半分は納得したような顔だ。


 二人でベンチに戻ると、椅子一つ開けて隣に座った。


「……お母さんにもう一度、話してみるよ」


 友樹は大きく頷いた。

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