第53話 ショート

 エラーした選手に問いつめるべきではないが、友樹はエラーだけでなく草薙の様子がおかしいと思っていた。


「檜さんの打席を見ないし、話しかけられても答えないし、どうしてしまったんですか」


 草薙は何も言わない。


「もしかして、プレッシャーを感じているんですか」


 草薙が頷いたことに、友樹は驚いた。草薙はショートの経験があるはずなのに。


「ショートを守れてるじゃないですか」


「ショートの位置を守ることはできるけど、皆を守るショートにはなれない」


 草薙の言葉に、友樹は束の間、混乱した。


 位置を守る、皆を守る。だけどすぐに友樹は少し理解できた。


「位置を守れるだけでいいんだと思います」


 新藤の代わりにはなれないから。それは当たり前のことで、悲しむべきことではない。


「他の皆だってショートになりたいはずだった」


 確かに、草薙がショートだと言われたとき、空気は硬直していたが、それは友樹のときもだ。


「新藤さんがいいといったのだから、いいんです」


「私には皆を守れない」


 草薙ははっきりそう言ってショートの定位置に戻った。友樹もセカンドの定位置に戻る。


 分からない。草薙の気持ちが分からない、分かることができない。


 二番打者の打球が三原の横に飛び、土に跳ね返り大きく軌道を変えた。イレギュラーか。

 友樹はボールを追いかけない。追いかけたい気持ちをぐっとこらえる。

 ボールの方がこちらに来るのを待ち、グラブに入れるのだ。

 福山にトスしてアウトにした。


 友樹たちをぐるりと囲む観客席から拍手が巻きおこった。


 草薙のことでもやもやしていた気持ちが束の間、晴れた。

 だが束の間のことだ。


 ベンチに戻り、俯きながら打席に入る準備をする草薙に、なんと声をかけたらいいか分からない。

 友樹は草薙が打席に入ると同時にネクストバッターサークルに入るので、隣で一緒に準備する。


 そもそも声をかけていいのか? それも分からない。


 だけど友樹は身を乗りだす。一度、踏みこむと決めた人なのだ。


「あの、草薙さん」


 バッティンググローブをつけている草薙は何も答えない。


「さっきのエラーは酷いものではないです。打球に力がありました。あれは誰だってこぼす可能性があります」


 違うのだ、こんなことはどうでもいいのだ。


「こんな形とはいえ、草薙さんと二遊間になれて俺は嬉しいんです」


 草薙が顔を上げた。


「こんな形でも?」


 友樹は気圧される。


「……はい」


「新藤さんがこんな目に遭ってるのに?」


「新藤さんは元気になります」


 血はだいぶ止まってきている。血を流していても、ゴム手袋をつけた手に面倒をみられていても、健康な人間が放つ空気というものがある。


「俺は本当の病人を知っているから、分かります」


 余計なことを言ってしまった。母は関係ないのに。ちょっと怪我や病気の人を見るとすぐに心の中で持ちだしてしまう。


 草薙は事情だけは人づてに聞いていたらしく、真っ直ぐに友樹を見て神妙な顔をした。


 その顔は本来、友樹をいらつかせるものだ。かわいそうだと思われることは好きではない。

 かわいそうだと思われたら、母がささやかでも幸せを感じて暮らしていることを否定されるような気になる。


 だが今の友樹に腹を立てている余裕はなかった。草薙のことばかりを考えている。


「ノートに書く練習は、リトルに入れなかったから?」


 草薙のほうから踏みこまれたことが意外で、友樹は束の間、目を丸くして言葉が出せなかった。


「……はい、そうです」


 まさか草薙に同情されるのかと、嫌な予感がした。


「できることをやってきたんだね」


 同情ではなくて友樹は安心した。


「草薙さんはどうして書き始めたんですか」


「女子のチームが遠くて入れなかったから、ここでやるしかなくてね。負けないために書き始めたよ」


 環境に阻まれていたのは友樹だけではない。その中でもできることをし続けたのも友樹だけではない。


「そうだよね、ここまでこれたことを喜ばなきゃ駄目だよね」


「はい」


「こんな状況でも」


「はい、そうです」


 草薙は微笑みはしなかったが顔を上げた。


「行かなくちゃ」


 草薙がバットを持ち、打席へ踏みだす。友樹はその背をネクストバッターサークルから見つめる。


 軽やかだった今までの打席の草薙と違い、構えに重みを感じた。大きく開く両脚のふんばりが強い。

 どんな投球も最後まで見ぬくのだという意思を見せる。

 立てたバットとコンパクトなスイングに、絶対に当てるという気迫がある。


 草薙の表情が暗い。


 一球目から振っていく。いつもより、やや上向きのスイングだ。バットが空を切る音がいつもより激しい。


 草薙は元気になったのだろうか。顔は必死で、楽しそうに見えない。

 それでも守備のときと違い力がある。

 俺の言葉は何かの役に立ったのか、それとも足を引っ張ったのか、友樹は考えたが分からなかった。


 執念のようなカットの後、打球が三遊間を抜けた。


 草薙の心配をしている場合ではない。友樹の番だ。


 三番は重過ぎると正直思うが、打席の中に入ると、戦うしかないと友樹は観念した。

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