第50話 覇気
手からボールが滑り出す軌道を描く。
新藤が身を捻ろうとするも遅かった。
肉の鈍い音。微かな呻き声。
倒れる新藤。
デッドボール。
三塁ベンチから、左打席の新藤の頬にボールが打ちつけられて、鼻から真っ赤な血が出るのを見た友樹は脚がすくんだ。遠くから見てもはっきり分かる鮮血。
ネクストバッターサークルの桜井が駆け寄るが、苦しむ新藤を心配して触れられない。
ランナー三人は新藤に駆け寄りたくても駆け寄れず、辛そうな顔をしている。
マウンドで鳥海が青白い顔になっている。
青森山桜のベンチが慌ててブルペンに次のピッチャーを向かわせている。
友樹を始め、遠園ベンチは凍りつく。
桜井が肩を貸し、新藤をベンチに連れ戻した。
皆が心配して新藤を囲む中、友樹は怖くてあまり近寄れなかった。それは、新藤の状態を見るため浅見コーチがつけたゴム手袋が、病状が酷い時の母を見る父がつけるものと同じだったからだ。不穏なイメージが友樹の中に付き纏ったのだ。
「俺は大丈夫です」
新藤が一塁ベースに視線を送る。あそこに今すぐにでも行きたいと。
「骨は折れていない。でも駄目だ」
浅見コーチはゴム手袋で血を吸い込んだティッシュ数枚を片付けた。まだ血は止まっていない。浅見コーチはしばらくゴム手袋をつけることになるだろう。
「大丈夫ですか?」
声をかけてから、友樹は慌てた。
「無理に喋っちゃ駄目です、すみません」
新藤が辛そうに笑顔を見せた。
「大丈夫だ」
言わせてしまったと、友樹は後悔した。いつもの後悔だ。
デッドボールの押し出しで一得点。
「臨時代走は藤井だ。しっかりやってこい」
押し出しで還ってきた藤井がそのまま臨時代走として一塁走者に。
監督の冷静な言葉で友樹は目を覚ます。今は試合中であり、悲しい時間ではないのだ。
新藤は自分が走れないことを悔しそうにする。
「任せてくれよ」
藤井は新藤に軽い調子で話しかけた。そのほうが新藤としてもやりやすかったようだ。新藤は藤井の背を叩いた。
新藤さんを心配するばかりではなく、戦わなければならないのだと、友樹も気がついた。
まだ心がざわざわするが、動き始めた皆の様子を見ているうちに、友樹も落ち着いてきた。
藤井が相手のファーストと何か話している。雰囲気を見るに、心配いらないとでも話しているのだろう。相手のファーストは少し安心しているようだった。
鳥海はマウンドに立ち続けるが、明らかに元気を失っている。経験がない友樹には分かることができないが、当てたほうも辛いということなのだろうか。
打席には四番桜井。
ユニフォームの肩に僅かながら新藤の血が付いているが、彼は気にしていないようだ。彼の胸中は分からないが外側から見ると動揺していないように感じる。
綺麗な弧を描くスイングがボールを弾き返す。
気持ちいい弾道のレフト前ヒットだ。
動揺していないのではなく、集中していたのだ。
新藤のこともベンチのざわめきも、当然気にしていた。それでもなお、ボールだけに意識を向けた。一塁に立った桜井は少しほっとしているようだった。
一点追加だ。
五番坂崎がバッテリーたちの応援を背に打席に立つ。
思いきったスイングで、レフトに大きなフライを飛ばす。
青森のレフトが捕球すると同時に、草薙が三塁ベースを発つ。
バックホームが風に乗る。
草薙も加速する。
レフトの送球はキャッチャーを少しも動かさない見事なものだ。
友樹は送球の軌道と草薙のスピードを見比べ、やきもきする。
キャッチャーはホームベースから足を離さないまま捕球した。
草薙は恐れない。
キャッチャーから回り込み、避けてホームに還って来た!
またしても一点追加だ。遠園ベンチが大騒ぎする。新藤も騒がしさを心地よさそうにしている。
友樹は声もうまく出せずに、ホームをタッチした草薙のバッティンググローブに付いた土を見ていた。
心臓がばくばくして、興奮しすぎて思いを言葉にできないし、息を声にできない。
「新藤さん、戻ってきましたよ!」
いつもと違い、覇気を感じさせる草薙の声。
新藤は満足そうに頷いて少し身を起こした。浅見コーチが新藤を心配しつつも、草薙に笑顔を見せた。
友樹は新藤を心配する苦しさがいつの間にか消えていた。
山口と福山がアウトになり遠園の攻撃は途絶えてしまった。
新藤はこれ以降試合に出られないことになった。
それでも戦う。
新藤は椅子に深くもたれかかり、本人の意思ではないだろうが時折目を閉じている。
監督は少しの間考えた末に、皆をベンチの奥に集めた。
「選手交代だ」
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