第47話 強豪

 友樹はベンチスタートだ。


 青森山桜さんおうの先攻だ。遠園の一番手は左の沢。

 一回表。


 青森山桜の一番打者の堂々たる構えに、友樹は腕を組んで唸った。


 沢が思いきりのいいスリークォーターで一球目を投じた。

 あのアウトローに手を出すなんてと、一番打者が初球から手を出してきたことに友樹は驚き、それがヒットになったことにも驚いた。

 試合開始とほぼ同時に出塁され、遠園シニアの内野は緊張感を持ち、警戒する。


 二番打者は俊足巧打というより打てるタイプの選手に見える。沢が気を取り直していい球を投げ続けたが、打者はファールで粘りに粘り、フルカウントになった。

 ついにバットを気持ちよく振りぬいた。センター山口の足でも間に合わない、後方へ飛んで行く二塁打。


 一気に無死二三塁という大ピンチになった。


 三番打者が続こうと素振りを念入りにしてから打席に入った。汗を拭う沢に、何もできない友樹はひたすら応援する。


 三番打者がヒットを打ち、一点を入れられた。

 初回で得点したというのに青森山桜は軽く喜ぶ程度の落ち着きようだ。

 もっと喜べばいいのにと、友樹は眉間に皺を寄せた。


 新藤よりも大きい四番打者が遠くを見据えてバットを構える。

 あっさりと二塁打を打たれてまた一点入れられた。

 友樹は自分が何もできない歯がゆさにベンチで耐えるしかなかった。最も、試合に出ていたとしてもこの猛攻を止める手段は友樹にはないのだけれど。


 新藤が沢に声をかけに行く。沢の背をさすってやる新藤の優しい手。


 五番打者も四番打者同様に大きくどっしりしているが、沢は懸命に戦う。


 沢は決め球のスライダーをアウトローにきちっと投げられているし、百キロを超えるストレートもコーナーに決まっている。沢の調子は悪いどころかいいほうだ。


 それなのに青森山桜が強すぎる。いくら頑張っても相手がそれ以上に強ければ負けるという恐ろしさを、友樹は信じたくなかった。


 五番打者の打球が内外野の間に落ちるという弱い物になったのはきっと、沢の執念だ。レフト桜井が懸命に前に走ってきて捕った。相手のほうが強くても一矢報いることもあるのだ!


 六番打者の三遊間を抜ける内野安打に新藤さえ悔しがることしかできない。三点目。


 七番打者にまさかの四球を与えてしまう。これで一死満塁。


 八番打者のふらふらっと上がった小さなフライを、新藤が懸命に背走して捕った。友樹は思わず大きな音を立てて拍手した。これで二死だ。


 二死満塁の緊張感の中、九番打者のバットが鋭く振られた。しかしそこには新藤がいる。ショートライナーを押さえ込むようにして捕球した。


 打者が一巡し、三点取られたが、何はともあれ青森山桜の攻撃を終わらせることができた。


「きっと大丈夫です」


 新藤にバッターの防具を渡しながら、友樹は心を込めて言った。新藤の顔は強張っていたが、友樹の言葉にぎこちないものの笑顔を見せてくれた。


 一回裏。青森山桜のピッチャー一番手は左の鳥海とりうみ


「彼は青森山桜の中で二番目のピッチャーだ。おそらくエースは次の準決勝に温存する気だろう」


 遠園シニアの二、三年生は冷静な顔で監督に頷いているが、友樹は密かに口を尖らせていた。

 こちらは総力戦なのに、向こうはエースを出さないなんて、舐められているも同然ではないか。

 勝っても負けても野球をしているだけで楽しいが、圧倒的な力の差には悔しくなってしまう。


 新藤が一番打者である岡野の背をばちっと叩く。岡野は弾けるように笑顔になった。小学生の頃から繋がっている絆が友樹には羨ましい。


 岡野が打席に向かい、二番打者である草薙がネクストバッターサークルへ向かう。


 新藤が草薙のヘルメットをぽんと叩いた。


「塁に出てくれ。俺たちが還すから」


 草薙が頭を下げる。新藤さんは格好いいなと友樹はほれぼれする。


 鳥海の投球練習と、その背後で行われる青森の内野手のボール回し。それらの見事さに友樹は緊張で口の中に唾が張りつくように感じた。


 一番岡野、切り込めるか。

 鳥海の直球は百二十キロという、左投手にしてはなかなかのものだ。

 一球目、高めのストレートを見逃し。「打ち気見せろ!」と新藤が叫ぶ。


 二球目、低めのカーブ――直球との落差が抜群過ぎる九十キロ――に振り遅れる。新藤が何かを叫ぼうとしたが、やめた。


 三球目、四球目はボール球を見ぬいた。


 鳥海の五球目、インハイのストレートに岡野は反応した。

 芯には当たらなかったものの、意地で前に飛ばす。なかなか面白い当たりで、友樹を初め遠園シニアはヒットになることを期待したが、青森山桜のサードがうまく捌いてアウトにした。

 守備もいいが、何より肩がいい。


 友樹は青森山桜のスタンドで応援しているベンチから外れた選手たちを見上げた。


 あんなにたくさんの人たちの上に立っているレギュラーだということが、試合前から実力を示しているのだ。青森山桜のスタンドが鳥海を称えて手を打ち鳴らす。圧を感じて友樹は視線を下げた。


 岡野が草薙に変化球のことを話し、草薙が頷いた。


 二番打者、草薙。俊足の選手でありながら右打者であることを、左投手を相手にする今、いかせるか。


 どうか塁に出てくれと友樹は両手を握り合わせた。草薙が塁に出て、新藤が還す。それができればきっと、青森山桜に勝つことが現実味を帯びてくる。


 草薙が打席に入る前に素振りをする。力で勝負することを捨てて徹底的にミートを狙うスイングだ。

 打席に入り、草薙がいつも通りに構える。


 鳥海が第一球を投げた。


 草薙が直前でセーフティバントの構えに。虚を突かれた鳥海の横へ、ボールを押し出すようにバントする。うまくボールが飛び、草薙が一歩目から全速力に近い巧みな加速で一塁を踏みに行く。


 しかし鳥海がボールを捕った勢いのまま一塁へ投げ、間一髪のところでアウトにされた。


 遠園ベンチは素直に肩を落としてしまった。友樹もため息をつくのをこらえた。

 鳥海はバント処理もうまいではないか。草薙が塁に出てからどのように盗塁や走塁をするか見たかったのに……。


「すみません、新藤さん……」


 珍しく感情を露わにして謝る草薙のヘルメットを、またしても新藤がぽんと叩いた。新藤さんは格好いいと思いつつ、友樹は羨ましくなった。


「草薙さんが走るのを見たかったです」


「そうだね」


 草薙はそう言うだけ。


 頼みの綱、三番新藤。新藤が出塁できれば二死とはいえ四番桜井に繋げられる。


 新藤の素振りを見た鳥海が、少し余裕を欠いたようにサインを確認している。左打席に泰然と立った新藤の勝負が始まる。

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