第45話「思いきりやるってのを繰り返していくんだよ」

 放課後。


「おまたせ!」

「よろしくお願いします」


 浅見コーチは軽自動車にこれでもかというほど荷物を積んでいる。後部座席の荷物の間にちょこんと友樹が座ると、なんとなく重そうに発車した。


 グラウンドには新藤の父や岡野の母がいる。他にも何人かいて、一軍の半分ほどがここにいる。


 草薙がいない。


 浅見コーチがスマホで電話を誰かにかけている。通話はすぐに終わった。


「今から香梨も来る」


「草薙さんと電話してたんですか?」


「俺は香梨の親代わりでもあるんだよ」


 草薙の家はグラウンドから近く、自転車で来ることができる。親がついてこれないのだろう。


「草薙さんのお父さんとお母さんも忙しいんですね」


「お母さんはいつも家にいるよ」


 浅見コーチの声色が何かを言いたそうだったが、さすがに何も言わなかった。友樹もおとなしく聞かなかったことにした。


「すみません、遅くなりました」


 草薙は自転車を飛ばしてきた。

 数時間前に文芸部室で追い出した友樹とまた会ったことに、草薙は驚いている。友樹としてはおとなしく頭を下げるしかない。


「俺たちも今来たところだよ。さ、行こうか」


 グラウンドの扉を開け、浅見コーチが新藤の父たちに挨拶をする。


 恵まれていない人に与えるというのはやはり正しいと、嬉しそうにグラブをつける草薙を見ながら思った。


「三人でキャッチボールしようよ」


 浅見コーチの提案に友樹は喜んで頷いた。草薙の表情が特に動かないが、嫌がってはいないと読みとれて友樹は嬉しかった。


 浅見コーチは肩がいい。草薙のグラブにも友樹のグラブにも、他ではなかなか聞けないいい音を出す。


 草薙はグラブから右手にボールを持ちかえると同時に投げる握りにしているみたいだ。友樹は真似をすることにした。

 三角の形でキャッチボールをしていると、人と繋がっているような不思議な気持ちになった。


 棒の上にボールを置くスタンドがくっついた台。それに置いたボールをネット目掛けて打つ、『置きティーバッティング』をする。


 草薙がインコースの位置に台を置いた。

 友樹が打つたびに草薙が次のボールを置き、リズムよくネットに打っていく。


 友樹は弾んだリズムに楽しくなってくる。だがこういう日々の練習にいかに気を配れるかが上達するかそうでないかの別れ道だ。


 楽しいだけでなく、自分が今きちんと体重をかけられているか、体が開いていないか、一打ごとに考えなければならない。頭を使えばますます疲れるが、こうしないとうまくなれない。


「交代ね」


 気がつけばカゴ一つのボールを打っていたみたいだ。


 次は草薙がインコースの練習だ。やはり草薙も一打一打考えているようで、毎回僅かに動きが変わっている。最善の動きを真っ先に探すというより、まずはいろんな動きを試しているように見える。


 草薙も書く練習をしているのだから、今やっていることも今夜、文字になるのだろう。友樹だって言葉にするために考えている。動作を言語化するのは難しい。一連の動作でも言葉にすれば区切られてしまうこともある。たった一瞬の動作の説明に何文字も費やさなければならないこともある。語彙の拙さに悔しい思いをすることもある。


「今日の練習は終わり!」


 帰りの車で浅見コーチが嬉しそうに言った。


「香梨は優しいね」


「はい!」


 一軍唯一の一年生である友樹に、最も声をかけて一緒に練習してくれる二年生は草薙だ。


「女子一人なのに、しっかりやってくれていて頼もしいよ」


「中学生の女子野球のチームは無いんですか?」


「岩手には少なくてね。近くには無いんだよ」


 浅見コーチが残念そうに言う。浅見コーチは草薙を応援しているのだと感じて、友樹は嬉しくなった。


 夜、友樹は自室でアラームをかけず、思いきり野球ノートに没頭している。今週の夕食作りは全て父がやってくれる。


 草薙の動きを書く。彼女がこまめに直していた部分ばかり注目していたが、逆にあまり直していなかった部分もある。その部分に自信があるということか、意識が向いていないということか、それは分からない。


 明日は勇気を出して他の人と練習してみよう。その人と草薙を比べれば、もっと分かるはずだ。


 火曜日、友樹は草薙たちのノックをよく見てみた。

 草薙が疲れにくい動きかたをしていると分かった。腰を低くしすぎていない。グラブを持つ手に力を入れていない。力を入れなければ力を消費しないということだろう。


 腰を低くしすぎないこととグラブの手に力を入れすぎないことは、偶然にも友樹と一致している。嬉しくなった。他の人もやるということは、同じことを効果的だと思う人がいるということだ。


 草薙が他の人の動きを見ている。とりわけ新藤の動きと、岡野の動きを。


 それだけでなく、浅見コーチの動きもよく見ている。まさか、マネージャーになるためにノックの打ちかたを見ているのだろうか?

 選手としての練習中にもいずれマネージャーになることを意識しているのか?


「おい、やるぞ」


「すみません!」


 見ているばかりではなく、やらなくては。


 友樹は今日、勇気を出して福山に声をかけたのだ。表情は怖かったがあっさりいいよと言ってくれた。昨日と同じ置きティーバッティング。


 友樹は福山のバッティングを見て驚いた。まるで福山の改善点を取り入れたのが草薙のバッティングのように見えたのだ。


 木曜日は二軍監督兼打撃コーチである潮コーチも来てくれた。


「ありがとうございます」


 礼を言う浅見コーチの声がかすれている。二百球近くノックを打つのを月、火、水としたのだ。仕事に支障が出ていないか心配である。


「奥さんに店を任せてきたんだよ」


 潮コーチが皆の打撃練習の様子を見てくれる。


 友樹は檜と共に練習していた。やはり檜の動きを改善したものが草薙のバッティングに似ている。


「井原、ちょっと見せてみろ」


 何度か素振りをすると、潮コーチは腕を組んだ。


「守備のときと同じようにするんだ。軸足に体重をかけ、そこでキープするように」


 守備のときと同じように。守備になら自信がある。その動きをバットを持ったまま思いだす。


「そうだ。ボールを待てるように、すぐには振らない」


「はい!」


「前も言ったけど、今のうちから単打狙いはしなくていいぞ。檜、お前もな」


「はい」


 今のうちからか、と友樹は考える。浅見コーチもいつかはという言いかたをしていた。


 今が全ての完成にならなくてもいいというのだろうか。それで今勝てるのだろうか。だけど早熟であり過ぎれば高校やそれ以降で活躍できないということなのだろうか。


 ふと、潮コーチが微笑んだ。


「結果だけを考えるのではなく、思いきりやるってのを繰り返していくんだよ」


 なるほど、それならできるかもしれない。


「分かりました!」


「それが長い目で見れば結果を作るんだからな」


「はい」


 空が暗くなってきた。


「今日の練習は終わりだ」


 潮コーチに従い、それぞれが保護者と共に帰る。


 草薙が時間ぎりぎりまで浅見コーチのノックを受けていて、三年生たちもその様子をしっかりと見ていた。

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