第44話「見ても楽しくないから」
遠園グラウンドに一番最後に着いたのが浅見コーチの車だった。
監督が皆の前に立った。
「滝岡シニアに勝ったことで、私らはベストエイトに入りました。六月の『日本野球選手権東北大会』のシードになります」
保護者たちが嬉しそうに拍手する。選手は礼を言い頭を下げる。
『日本野球選手権東北大会』は『日本野球選手権大会』の東北予選だ。『日本野球選手権大会』は神宮球場で行われる。
「分かっていたことですが、次の相手チームはあの『青森
保護者たちが先ほどから一転して険しい顔になる。
青森山桜は全国大会で優勝したこともあるチームだ。
「まずはベストエイトをかけた滝岡との試合に備えたため、青森山桜への対策が遅れることになりましたが、選手たちにはいつもどおりやってもらえばいいでしょう。今夜はゆっくり寝かせてやってください」
各家庭に一枚ずつプリントが配られた。
月曜から金曜までグラウンドを解放するので、保護者の立会いのもと一軍の選手は学年関係なく自由に練習していいと書いてある。
友樹はため息をついた。母はあれ以来体調があまり良くない。友樹の父は北上の工場で働いているので、通勤に時間がかかるため立ち会ってもらえない。環境が悪いとはこういうことかと頷くしかない。
「友樹、五時半からでもいいかい?」
「え?」
「学校で待っていて。俺が親の代わりに送り迎えするから。グラウンドではもちろんコーチとして教えるし」
「どうしてそこまで」
「さっき言ったとおりだ」
「ありがとうございます!」
今度は浅見コーチの言葉を素直に喜ぶことができた。自分が恵まれていないことではなく、恵まれていない自分を助けてくれる人がいることが、とても大切なことなのだ。
家でノートを取る。土日で三試合して学んだことを、平日五日間を使い、詳細に書いていく。まずは今夜のうちに要点を書いて、後から思いだしつつ細かいところを埋めていく。箇条書きの時点で膨大な量だ。五日で書けるか分からないが、書くしかない。
試合の動画はスタンドで新藤の父が撮ってくれて、皆に配ってくれた。
うまく打てたときと打てなかったときの自分のスイングの違いを書こうとして、友樹はペンを止めた。
相手投手のことも書かなきゃ駄目だ。今までの自分だけの野球ノートと違い、これからは相手のことも書かなきゃいけない。相手は壁ではなく人で、その時々で動きが変わる。
姫宮だって毎回違う位置に立っていた。右に一歩や、左に半歩など、細かい違いだが、それでも確実に違う。姫宮は友樹の打撃時には二塁よりにいた。友樹が右に打つと想定していた。
いいことを思いついた。姫宮と草薙のポジショニングを見ることで、ポジショニングについて何か分かるかもしれない。
チームになると、自分以外の人がどんどんノートに登場してくる。
月曜の放課後、友樹は文芸部室に練習用具を取りに来た。浅見コーチが迎えに来る五時までは大志や茜一郎たちと河原で練習をして待つことにしている。
文芸部室に人がいる。もうしばらくいるだろうかと、様子を見るためそっと、ドアの窓部分を覗く。
草薙がいる。スマホを見ながら真剣な顔でスケッチブックに何か書いている。あれが草薙の言っていた書く練習だったのだ。
ドアを開けて、どんな風に書いていますかと聞きたい。聞きたいが、聞けば多分怒られるだろう。草薙は一心不乱にペンを走らせている。そして束の間、顔を上げた。
隠れようとしたが間に合わず、二人の目が合った。草薙が立ち上がり、こちらに歩いてきて、ドアを開けた。
「あんた、覗いてたの?」
声が低い。草薙は怒っているみたいだ。
「すみません。ちょっと見ていただけです」
「それを覗いてるって言うの!」
「すみません!」
草薙がドアを閉じようとするが、
「ちょっと待ってください! 書いてるものを見せてください!」
友樹は必死にねじこむように声をかけた。
「嫌」
その甲斐虚しく、一言で拒否された。
「俺のも見せますから!」
友樹はそれでも踏ん張る。人に見られてもいい部分の抜粋をしておいて本当に良かった。
「絶対に嫌」
それでも草薙は譲らない。
「どうしてそんなに見せたくないんですか」
茜一郎や大志に見せたくないと思っていたかつての自分に言ったら、殴られそうなセリフだ。
「見ても楽しくないから」
楽しいです、と言いたかったが草薙がバタンと扉を閉めてしまった。
仕方ない、草薙さんにも思うところがあるのだと、友樹はとぼとぼ河原まで行った。
「ネット持ってこなかったのかよ!」
茜一郎と大志に言われるまで気がつかなかった。
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