第43話 いつか
遠園シニアのグラウンドまでコーチや保護者の車でそれぞれ戻る。友樹は荷物と共に浅見コーチの車に乗っている。夕日の高速道路の車窓をぼんやり眺めていても、疲れは感じていない。まだ精神が張っているように感じる。
「今日はお疲れ様」
後部座席の友樹に、浅見コーチが声を張った。
「ありがとうございます」
「君を見つけてよかった」
浅見コーチの上機嫌の声に友樹は満面の笑みを浮かべた。
浅見コーチと雪の公園で出会えなかったら――浅見コーチが中央チームの監督から友樹の話をきかなかったら――今頃どうしていただろう。
「中央チームの監督さんが浅見コーチに話してくれて本当によかったです」
「中央チームの監督さんが言ってたよ。『あの子を自分が育ててみたかった』って」
とんでもない褒め言葉であり、子供ではなく選手として見られているという誇りを持てる言葉だ。
だが、抑えていたものの蓋が開いてしまった。
「きちんとしたチームにいたら俺はもっと強くなっていたでしょうか?」
この気持ちを、本当はずっと持っていた。あの冬の日に浅見コーチと出会って色鮮やかになっただけで、前から心の箱の中にしわくちゃに押し込められていたのは確かだった。
「強くなっていたと考えるのが普通かもしれないけど、実はそうとも言いきれない」
夕日の色が濃くなった気がする。
「小学生を教える監督には、君の動きかたは多分直されただろうね。いくらプロの動画を見ましたと言っても選手は監督に従わなければならない」
ミラーに映る浅見コーチは頭の中でもしもの映像を見ているようだった。
「遠園シニアは監督がバッテリーコーチだから、野手は俺と潮コーチに任せられている。だから俺たちが君の動きかたを許した」
「俺は許されていたんですね」
「そんなに大げさに捉える必要はないよ。あ、サービスエリアに寄るけどいい?」
浅見コーチはトイレに行った後、自販機の前に立ち、友樹を手招きした。
「好きなの一本あげる」
「いいんですか?」
「皆には秘密だよ」
友樹は炭酸水を、浅見コーチは缶コーヒーを飲む。
「俺だけですよね? お下がりの練習用バットを貰ったのも、グラブの割引券も」
「そうだよ。改めて言うけど監督たちには内緒ね」
他の皆には内緒だと、貰った時も言われていた。
「どうしてそこまでしてくれたんですか?」
浅見コーチが缶から口を離す。何かを考えているようだったが、やがてこちらを向いた。
「皆に同じようにするのを平等だって言う人が多分、多いと思う。でも俺は、恵まれてない人により多くを与えるのが平等だと思っているから」
「……俺は恵まれていませんか」
「環境には、ね」
友樹はあまりいい気分はしない。浅見コーチが残量を確認するようにコーヒーの缶を揺らした。
「だけど君の今までの自主的な練習が今の君を作ったんだ」
浅見コーチが残りのコーヒーを一気に飲み干す。空は暗くなってきた。
「君にとっての悪い環境とは言えないだろう」
「それならよかったです」
浅見コーチに母を否定する意図は一切ないと分かっていても、子供の頃からこの手の話にはどうしても敏感になってしまうのだ。
高速を走る。皆と合流する前に炭酸水を飲みきらないと。あと十分でインターだ。
「さっきの話だけどさ」
浅見コーチがふいに切りだし、友樹は身を乗りだす。
「俺は今の井原選手が好きだよ」
ぱあっと、友樹の顔に弾けるような喜色が浮かぶ。それがいい。今が正解であってほしい。今までが合っていたのだと、何も無駄はなかったのだと。友樹は残りの炭酸水を全て飲み干した。
「目を惹きつける守備がいつか武器になるさ」
「惹きつける?」
友樹は空のペットボトルのラベルを剥がした。
「今は今できることをしていればいい。惹きつけようとする必要はない。だけどいつか、グラウンドの主役になるかもね」
いつか、か。友樹は燃える夕日の光を浴びる。今始まったばかりなのに、もう、いつかを考えるのか。友樹の口角が緩やかに上がり、夕日を受けた瞳がきらめく。
始まったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます