第40話「あんたに追い越されたくないの」

 草薙がまさかの三振。


 草薙の表情はさっぱり読めず、悔しいと感じているかも分からないほどだ。だけどきっと悔しいに違いない。それを見せないだけだ。


 一死一二塁。 


 二番岡野がセンターに犠牲フライを上げた。

 二塁走者檜がホーム目指して走る。


 姫宮がマウンドの横で大きく手を広げ、俺に中継しろと示してバックホームの準備をしている。


 ホームに突っ込む檜のほうが速いと思いきや、姫宮のバックホームはストライク送球どころか、ストライクゾーンど真ん中といった送球だった。


「アウト!」


 檜がホームに転がり、息を整えながら空を見ている。遠園ベンチのよい流れが止まる。


「なんだよあいつ……」


 ベンチに戻った檜が体に付いた土をはたきながら、絞り出すように言った。福山も真面目な顔で前を睨むように見ている。この二人にとっても姫宮はライバルなのだろう。


「まあ香梨も三振したしな」


 うなだれる檜に、福山が何とも微妙なフォローをした。福山の言葉を草薙はしれっと無視した。


 四回裏は何ごともなく守ることができた。


 五回表。


 三番の新藤がショートライナーで打ち取られた。スコアボードの並ぶゼロが精神に圧をかけてくる。


 友樹と草薙はベンチの端にいた。椅子一つ開けて並んでいる。


「あの時もこうだった」


 緊張の中、ぽつりと草薙が話し始めた。プレッシャーが彼女を襲ったからなのだろうか。


「遠園と滝岡の一年生大会で、互いに守っていた」


 続きを早く聞きたいという胸一杯の期待を抑えつけて友樹は静かに相槌をうつ。


「姫宮が上手だと思ったけど、そう思ったのはチーム内で私だけみたいだった。一点差で私たちが勝ったけど、姫宮が落ちこんではいなさそうだったからどんな練習をしているか聞きに行った」


 無意識だろう、草薙が自らの後頭部の髪に触れた。


「髪が短かった私を男だと思ったみたいだった。話が弾んで連絡先を交換した」


「えっ……?」


「私が女だと分かったせいか、一度も連絡はしてない」


 友樹は安心した。


「連絡先を交換した後に、画面に映った私の下の名前を見て気がついたから。『男だと間違われるよ』と姫宮に言われたから伸ばし始めた」


 確かにあの動画の草薙は男子にしか見えなかった。


「そして言われたの。『髪を短くしても男にはなれないでしょ』って。あまりいい気分はしなかった」


 友樹もそれは嫌な言葉だと思うが、ではなぜ嫌なのかを言葉にすることはできなかった。感じが悪い、としか言えない。


「男になりたがってると周りから思われたら嫌だからね」


 草薙にとってそれは嫌なことなんだなと、友樹は頷いた。


「『その実力があっても女子野球の競技人口は少ないからやめておいたほうがいい』って言われて、姫宮に声をかけたのをすぐ後悔したよ」


「うーん」


 友樹は唸ることしかできない。余計なお世話だと姫宮に言ったほうがいいと思う。だけど、もうそれは言わない。口を出すのはおかしいと友樹は分かった。


 草薙が何も言わないのは彼女なりの理由があるのだろう。草薙がどうにかするしかないのだ。

 だから、その話はおしまいだ。


「草薙さん」


「なに?」


「姫宮さんのことではなくて、打球の予測のことで聞きたいことがあって」


「ええ……」


 草薙の顔が曇る。


「駄目ですか?」


「駄目」


「ええー」


 今度は友樹が曇る。


「あんたに追い越されたくないの。悪いけど他から教わってちょうだい」


「このチームで打球予測までしてるの草薙さんだけですよ」


 すっと草薙が目を細め、友樹はびっくりした。


「分かるような人だからこそ、教えたくないの」


 教えてほしいと言いたくても、静かな迫力に押されて友樹はそれ以上言えなかった。


 五回表が無得点で終わり、五回裏。


 草薙が右中間後方の風に流されるフライを見事キャッチした。スリーアウト。


「どうやって練習してるんですか?」


「さあね」


 草薙はそれしか言わない。


 六回表。


 八番檜。


 友樹はネクストバッターサークルに入りながら、草薙はなぜ教えてくれないのか考えていた。


 同じチームでも越されたくないのか。俺は草薙さんを越したいと思っているのだろうかと考えてみる。越したいに決まっている。

 草薙を映像だけで見ていたときからいつか競うことになると思っていた。


 草薙さんは俺が簡単に越してしまうと思うのですか、そんな簡単にはいかないと思います、と言えるのなら言いたい。


 檜がアウトになった。


 友樹は打席に入る。


 ピッチャーは六回から明石に変わった。ふわりと浮かぶようなシンカーが打ちずらい。姫宮がやや二塁に寄っている。あそこにだけは打たないようにしないと。


 球の内部の中心に力が伝わるように、バットに当てるだけでなく振りぬくのだ。かーん、と気持ちのいい音が突きぬける。一塁へ向かって全力で走る。


 一塁に到着。センター前ヒットだ。


「やったあ!」


 しかし、喜んでからすぐに気がついた。

 二塁よりに守っていた姫宮の予測がやはり当たっている。


 打席に入っていく草薙から、今までと違うプレッシャーを感じる。今まで草薙は打てていない。草薙は集中しているらしく鋭い素振りを繰り返している。


 一球目、シンカーを空振り。バントの構えをしない。バントを一切せずに打ちにいくつもりか。


 友樹は深呼吸をしてリードを大きくした。明石から二度けん制があったが、難なく躱した。そして明石が投球モーションに入った瞬間に走る。


 盗塁セーフだ。投球はボールだった。

 明石が投じ、草薙がボールを見ぬく。スリーボールワンストライクになった。


 明石のマウンドに内野手が集まる。草薙は足元の土をならしつつ、手で自らの髪を触っている。マウンドから内野手が散り、明石と草薙の勝負が再開する。


 しっかりと腕を振った明石の低めシンカーを、草薙の全力のスイングが捕らえた。


 友樹は二塁から走る。


 三塁コーチャーが友樹にホームまで走れと、腕を回す。友樹は三塁ベースを蹴り、ホームを目指す。


 キャッチャーが身を乗りだしてボールを逸らさないようにする。草薙ならいつもキャッチャーの後ろに手を回していた。


 友樹の手がホームをしっかりとタッチした。


「セーフ!」


 遠園が一点先制だ。ベンチの皆とハイタッチした友樹は、手に熱を感じた。


 グラウンドを見て、


「えっうそ!」


 思わず声を上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る