第38話「だけど実力は本物だよね」
一球目、姫宮のバットは清々しいほどに空を切った。
姫宮はバントの構えをした。笑みのひとかけらもない必死の顔だった。
ピッチャー前に転がったゴロを良い反応で高見が処理、ファーストへ投げてアウト。
友樹は大人しくベンチに帰る姫宮を見て、高見の背を見る。
少し悔しいと思って、俺は今何を思った? と友樹は混乱する。
三番打者も三振させ、高見は悠々とベンチに帰った。高見が座るとすぐに沢と稲葉が駆けよる。高見は憧れの存在だ。
二回表。
五番坂崎がレフト後方に打ち二塁打だ。他の選手にはあまり拍手しない高見がネクストバッターサークルで音を立てて拍手している。
六番高見。勇ましいスイングでライト前ヒット。これで無死一三塁に。チャンスだ。
七番福山。球を引きつけて丁寧にスイングし、打球が内野を越える。センターへ飛んで行く。センターが必死に走る。追いつくか、ヒットになるか。
滝岡のセンターが滑り込んでキャッチ。姫宮ほどではないものの、滝岡は外野手もいいみたいだ。
福山はアウトになったが、三塁ランナーの坂崎がタッチアップでホームを目指す。
姫宮が大きく手を広げ、ここに中継してくれと示す。
友樹は息をのんだ。ホームへの最短とセンターの投げやすさを一瞬で考慮した姫宮の位置。センターが思いきり助走をつけて投げた。友樹はベンチで身を乗りだす。うまい送球だ。姫宮にまっすぐ届く。そして姫宮はその勢いのままバックホーム。
姫宮からのバックホームを待ち構える滝岡のキャッチャーと、坂崎のスライディングの勝負。
「アウト!」
悔しそうに坂崎が帰ってくる。
「いいタッチだったよ」
坂崎が新藤にそう言うが、友樹はそうは思わない。確かにキャッチャーはうまかったが、このプレーを成り立たせたのは姫宮だ。やはり、姫宮はなんて奴なのだろう。
ぽすっと、友樹の頭に手が置かれた。草薙だ。
「坂崎さんを笑ってると誤解されるよ?」
笑っている自覚なんてなかった。
「坂崎さんを笑ってないですよ」
「私には分かってる」
草薙が姫宮を目の動きで指した。
「井原は姫宮に憧れているんでしょう」
「え?」
この前、姫宮のことで喧嘩――というより友樹が踏みこみすぎた――をしたのに、草薙はあっさり言った。
「嫌な人だと思っています」
「まあ、そうだね」
草薙が友樹の隣の椅子に座った。
「だけど実力は本物だよね」
色味のない表情で、凹凸のない声色の草薙から、姫宮をどう思っているのかが友樹には読みとれない。機嫌悪そうでもないが、決して良くもない。好きではないが評判の良い絵を見ているみたいに、草薙は姫宮とその周辺を見ている。
「さて、井原」
「はい」
草薙が何か言うかと、その何かで少しは謎が解けないかと期待した友樹だが、草薙がバットを指さしている。もうネクストバッターサークルに行かなくては。
草薙は応援の言葉も何もくれず、何の思いもないような顔をしていた。
八番檜がセンター前ヒットで出塁し、二死一二塁。
九番友樹の番だ。
打席に立つと、西は少し焦っているように見えた。姫宮の活躍で防いだものの失点しそうだったことがこたえているのだろうか。
初球を空振りしてしまった。西が少し落ち着きを取り戻したように見えて、友樹の方が焦りそうになった。
姫宮に憧れているんでしょう。焦りの中、草薙の言葉が頭の中で響く。友樹はちらりと姫宮に視線を送った。前の方で構えている。俺がぼてぼてのゴロを打つと思っているのかと、イラっときた友樹は思いきりスイングした。
浅いセンター前ヒットだ。二死満塁に。どうだ! と思い姫宮を見ると、彼はにこやかな顔をする。そんな顔をされるとは思っていなかった友樹はなぜか恥ずかしくなって顔を背けた。
二死満塁というチャンスにしてピンチの場面で、打順は一番、草薙。バントをするか打つか分からないのが草薙の強みの一つだが、二死だとバントはない。草薙は前の足を開き、球をぎりぎりまで見られる構えをする。
一球目、二球目のボール球を見た。西の制球がやや乱れているか。
スリーボール、ワンストライクでついに草薙がバットを振る。弾道は低いが速い。
面白い当たりだ。三遊間を破りヒットになっただろう。
ショートが姫宮でなければ。
俺だったら横っ飛びしても押さえられたか分からないと友樹は分析する。そんな打球を体勢を変えずに捌いたのだから恐ろしい。
ヒットになるかライナーになるかは結局、打者の力量だけでは決まらない。記録には残らないが、いい野手はヒットをなくしてしまう。
友樹は胸に手を当てる。画面越しでもなく、本越しでもパソコン越しでもなく、優れたものと対面している。どきどきする。例え姫宮であっても。
草薙が新藤に曇った顔を見せた。
「すみません」
「気にするな」
草薙が感情を出すのは珍しく、友樹はひっそりと彼女を見た。すると、草薙がいきなり友樹に向いた。
「姫宮を見るのはいいけど……」
友樹はぎくっとした。どきどきしている場面ではない。
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