第37話「九番セカンド井原」
三回戦。
先攻は遠園シニア。
後攻は滝岡シニア。
姫宮が何を思うのか、知りたかったのにますます不鮮明になった。だけど俺には関係ないのだと友樹は力をなくした。
「オーダーを発表する」
軽い痺れの緊張感漂うベンチ。
自分は自分の持ち場で頑張るしかない。戦いはこれから始まるのだから、気を引き締めなくては。
「一番センター草薙」
遠園シニアの空気に薫風が吹きぬけた。友樹の士気も高く上がる。草薙は控えめながら拳を握っている。
二番はサード岡野。三番はもちろんショート新藤。
オーダーが告げられていく。無人で無機質だったベンチに、人が入ると同時にそれぞれの感情が生まれていく。
「九番セカンド井原」
友樹は目を思いきり大きく開くほど驚いたが、すぐに返事をした。
これは友樹が草薙よりセカンドとして優れているというわけではなく、友樹より草薙がセンターを上手く務められるという理由だ。草薙は友樹より足が速く、守備範囲が広い。
停滞していた鼓動に火が入れられて明るく燃えだす。与えられた場所をしっかりと守ってみせよう。
滝岡の一番手は練習試合では出なかった西。
姫宮が西に声をかけている。姫宮は穏やかな顔で西を鼓舞している。
相変わらずチームメイトには優しく温かな顔をする。その顔を草薙さんに向けて話せないのかと、姫宮に聞いてみたくなる。そうすれば草薙はどんな表情を返すのだろう。
穏やかに話す二人を想像してみる。友樹は遠くから見ているだけになる。二人は互いの健闘を讃えている。本来は認め合っている二人だから。
そこまで考えて、友樹は腑に落ちた。現実の二人も互いの能力に関しては認め合っている。だからこそ姫宮の言葉は軽くあしらえないものになっているし、草薙の拒絶が強い意味を持つ。
一回表。
遠園の攻撃。
青空は午後になり柔らかくなっているが、一番草薙の気迫は鋭い。草薙が気迫を失っていないことを嬉しいと思いつつも、またしても過剰に心配している自分に、友樹はうんざりした。
柔らかな日差しに銀のバットが照らされる。草薙にまとわりつく沢山のものを振り払えるか。
西が投げる。
草薙が一球目を見逃した。
二球目はボール。
三球目は三塁線向こうにファール。
今回草薙はバントの構えをしていない。打つ気でいる。
四球目、ややストライクゾーンより下に落ちたボール球だが、草薙が打った。
三遊間にぼてぼてのゴロになる。
姫宮があっさりと捕球してファーストへ投げ、アウト。
姫宮と草薙の視線は数秒合っていた。二人は何か無言のやりとりをしたのだろうか。友樹からは草薙の背しか見えない。
二番岡野。
シャープな軌跡のスイングで一二塁間を破るヒット。一塁を踏み、ガッツポーズ。
三番新藤。
初球から勢いよく振りぬきセンター後方へ二塁打。これで一死二三塁。いきなりのチャンスだ。
姫宮が西にボールを渡す。西の背を叩く手は限りなく優しく、友樹は姫宮という人間が分からなくなる。
四番桜井が三球目を打った。
低い山なりを描く軌道は良く、ヒットになると思ったが、そこには姫宮がいた。
ジャンプキャッチでアウトに。そして姫宮は僅かに飛びだしていた岡野をめざとく見つけてアウトに。
「悪い」
謝るなよと新藤が岡野の背をばしっと叩く。多分痛い。でも岡野はほっとしたような顔をしている。
これから守備だ。スターティングメンバーになった喜びを胸いっぱいに抱えても、動きは俊敏に。
一回裏。
エース高見がマウンドに立つ。堂々とした姿は、ダイヤモンドの支配者は彼なのかと錯覚させるほどだ。
でも内野の王様はショートである。友樹たち内野手は新藤に従う。監督からのサインを新藤が外野に――センターに伝達する。草薙がさらに両翼に伝達。ピッチャーを軸に九人が打者を封じる網になる。
高見が振りかぶる。背後からゆったりと腕を回す。白球が駆ける。
打者を素通りしてキャッチャーミットへ。ストライク。
遠園ベンチから歓声が上がる。沢や稲葉は羨望の眼差しを高見に向ける。
高見はそれらの声も視線も気にしていないのか、いや違う。声も視線も当然のものだと、エースとして受けとったのだ。
セカンドの位置からエースの背を見る。野手としてグラウンドに立つとき、マウンドに立つ存在に心を向けなければならないときがある。
東チームの皆が投げるときは守ってあげたいと、そればかりを思っていた。可愛らしくも頼りない後輩たちを、心を許せるが心許ない同級生を。
沢や稲葉、三原、鎌田……滝岡の投手たちにもいえることだが、優秀な投手がマウンドに立つことでグラウンドの空気は締まる。だが高見の待つエースの空間は別格だった。
第二球、ストライク。
掲示板に出た数字は百三十一。最速更新。
続いて第三球。勇敢に振りぬいた小柄な一番打者のバットは空を切った。柔らかな青空の下、ミットにボールが納まる音が響いた。
二番打者、姫宮が右打席に入る。右対右の真っ向勝負だ。
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