対滝岡シニア
第36話「違うな」
三回戦は午後一時三十分から。
遠園シニアはブルーシートに集まり弁当を食べる。滝岡シニアは早い時間に試合だったため、もう昼食を終えているようだ。
友樹は視界の端に滝岡のユニフォームを見つけた。
「香梨ちゃん。さっきの見たよ」
姫宮が遠園のブルーシートにやって来る。草薙は檜と福山と共に端に座っていた。
ブルーシートにぺたんと座る草薙の前に姫宮がしゃがむ。草薙が軽く距離を取って姿勢を正した。その警戒する様子に姫宮は何を思ったか目を細めた。
「いい走りだったね。お疲れ様」
草薙は無視を決めこむ。弁当は空だが、もう一つさくらんぼが入ったタッパーがある。それの蓋を開けたものの草薙はさくらんぼに手を付けない。
「やっぱり君の身体能力は高いよ」
草薙は何も言わない。
姫宮が再び真っ直ぐに背を伸ばした。
「女子硬式野球ってさ、マイナー競技だよ」
草薙が顔を背ける。
「甲子園でプレーする女の子より、男の甲子園でノックする女のマネージャーの方が注目され称賛されんだよ?」
くだらないと友樹は思う。
称賛されるために野球をするとでも?
だけど称賛の有無以上の意味があると、二人は考えているように見える。
「そんな世界を出て行ってソフトをやりなよ」
なんなんだ、姫宮は何を言っているのだと友樹は気味が悪くなってきた。
野球に男女の格差を持ち込んで考えているのか?
それは友樹には間違っているように思える。野球にそんなルールはない。今までの人がそういうふうにしているだけだ。
現状が開かれていないのなら、なおさら硬式野球をする女性を応援した方がいいと友樹は思う。
草薙の身体能力が優れているのなら、女子硬式野球の世界の怪物になればいいのに。それだけのことにしか友樹には思えない。
「図星なんだろ」
姫宮の低い声に草薙が、ついに彼と視線を合わせる。
「やめておけと、何人の人に言われてきた?」
草薙がついにさくらんぼのタッパーを傍に置いた。
「周りに何かを言われるのは慣れているの」
友樹に話したのと同じ言葉だ。
それだけを言って草薙はさくらんぼのタッパーを檜に渡すと、姫宮の前を通り過ぎて靴を履き、監督に何かを言って去って行く。
草薙さんは姫宮さんと話す気すらないのですねと、友樹は檜の手の中のさくらんぼのタッパーを見た。
「そんなこと関係ない」でも、「あなたには関係ない」でもいい。
「ふざけんな」、「黙れ」でもいい。何も言わないのはどうしてだろう。
姫宮は何を考えてここに来たのだろう? 友樹は考えてみる。試合前の挑発? まさか。何かが違う。
友樹は姫宮の動画を繰り返し繰り返し見てきた。それこそ、草薙の一年生大会の動画と同じように。
姫宮が考えなしの人間とは思えないのだ。今まで見てきたことは僅かだが、これまでの姫宮のことを思い返してみる。
友樹は、はっとした。
「姫宮さんは草薙さんに負けて悔しいんじゃないですか」
「は?」
姫宮の声に動揺が僅かに現れていると、友樹は感じとった。
「一年生大会で草薙さんに負けて、未だに立ち直ってないんじゃないですか」
「……一年が何か言っているけど、何?」
友樹は姫宮が何を思うかまでは想像できないが、明らかなことが一つある。
「草薙さんが打球予測をできるほど努力しているのが分かっているんでしょう。姫宮さんなら」
友樹が練習試合で打球予測をしたのに気づいたのは姫宮と草薙だけ。新藤さえ『良いプレー』くらいにしか思っていなかった。分かる人にしか分からないうまさがある。
「他の観客は草薙さんのダイビングキャッチのほうに惹かれたでしょうけど」
「何が言いたい?」
姫宮が大人しく友樹の言葉を待っている。
「他の人には分からない草薙さんの凄さに嫉妬しているんでしょう」
嫉妬しているからこそ、遠ざけたいのだろう。野球から他の場所へと。それほどまでに草薙を認めているからしつこいのではないか。
「違うな」
姫宮の『違う』は明らかに本心だと彼の顔と声が語っている。やはり人の気持ちは完全には分からないかと、友樹はあっさり認めた。
「でも、やっぱり草薙さんにしつこくいろんなことを言うのはやめたほうがいいと思います」
「お前に関係ある?」
「……ないです」
友樹は途端に弱腰になる。
その通りなのだ。草薙をかわいそうだと思っても、立ち向かえるのは草薙だけなのだ。
「井原くん、だっけ?」
「はい」
「君は香梨ちゃんと何の関係がある? 香梨ちゃんのほうから声をかけられたのか?」
友樹は何も言えず、黙り込んだ。
姫宮が去ると、反対側から浅見コーチが現れてその後ろに草薙もいた。
「なんだ、そこにいたのか」
新藤に駆けよられて草薙は申し訳なさそうにしている。
「全く、困った人だね、姫宮くんはさ」
浅見コーチはそう言いつつ、タブレットを皆に見えるように持ち上げた。午前の滝岡シニアの試合だ。
「見ての通り、こないだの明石くんは午前の試合で六十球ほど投げてるから、今回は短いイニングしか投げないよ。今回は四番手まで出してくると思うなあ」
まだ見ぬピッチャーがいるということだ。
「あとは、姫宮くんが捕った時は本来はヒットだった場合があるから、次の打席に活かすこと」
はい! と声が揃った。
「大丈夫だよ、香梨」
浅見コーチがいつものにこにこした笑みではなく、柔らかな顔をし
た。
「チーム内の誰よりも俺がノックを打ったのは香梨だ」
草薙が頷く。
少女の顔ではなく選手の顔になる。
「行くぞ」
新藤に続き、遠園シニアが立ち上がる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます