第22話「最適解がないのが面白いよね」

 五回表。

 空を覆う雲が黒くなってきた。


 滝岡の七番打者の打球を新藤が処理した。


 八番打者は投手でもある明石だ。明石はこれまでもいいスイングを見せている。


 あれ、と友樹は違和感を抱いた。明石の勢いが弱くなっている。スイングの元気がなくなっている。


 滝岡シニアがこの試合で初めて三者凡退した。


 遠園シニアが勢いを得た途端に滝岡シニアの勢いが止まるのだから、不思議なものだ。


 五回裏はもう一歩攻め込んでいきたい、と思ったのだが。

 重たそうな雲から雨が降り始めた。

 静かな雨音の中、小さなベンチに押し込まれた二十五人と監督とコーチ二人。


 これは流れにどう影響するのだろう。こんなとき姫宮ならどうするのだろう。別に姫宮のことを考えたいわけではないのだが……。


 一塁側のベンチで姫宮は滝岡シニアの皆の中心に座っている。ドリンクを飲み終えると一人一人と会話をし、ときに笑って肩や背を叩いている。


 滝岡の人たちには慕われているし、姫宮も皆を慕っているようだ。姫宮が明石と話している。姫宮は明石を気遣っているように見える。


 今までピッチャーだけど卒なくスイングしていたのに、四回裏で打たれてから、五回表で明石のスイングがかなり不調になった。雨のせいかもしれないが、それだけとは思えなかった。


「あの、稲葉さん」


 そーっと稲葉に近よった。草薙の前に空気を少し変えてくれたのは稲葉だ。

 他には聞こえないように声をひそめたが、それでもすぐ隣の沢には聞こえてしまったようだ。


「打たれると落ち込みますか?」


「おっ? 煽ってんのかー?」


 隣の沢がにこりとそう言ったことに友樹はびびった。思えば、沢は序盤に打ち込まれていた。


「すみません、そうではないです」


 失礼なことを言ってしまったと痛感する。悪意がちっともないのに、空回る。


「沢はそんなに落ち込まないよな?」


「落ち込まないよ」


 一年生対二年生の紅白戦で楽しそうに投げ、強気に見えた沢が打ち込まれて友樹はショックだったのに、沢は全く平気そうだ。


「ひょっとして、明石さんの調子が落ちたことを言いたいのか?」


 稲葉があまりに的確で、友樹は驚いた。


「そうです! どうして分かったんですか?」


 沢が快活に笑顔を見せた。


「そりゃ、この流れじゃ、ね」


「あの人は打たれたら崩れるタイプなのかもしれないなあ。だって、今までは大して打たれてなかったのに、さっき突然ぼこぼこ打たれたもん」


 友樹の仮説が正しいと分かった。ピッチャーは打たれることで不調になることもある。


「もう一つ聞きたいことがあって。野手が本来のヒットをファインプレーで捕ったときって打たれたと思いますか?」


 稲葉と沢は顔を見合わせ、うーんと唸った。


「俺だったらラッキーだと思うけどねえ」


 そう言って沢が友樹の手にバナナを渡した。練習試合ということで、両チームの監督が特別にベンチでバナナを食べるのを許可したのだ。会釈して友樹も皮を剥く。


「助けられたなーと思うな」


 稲葉がそう言ってから、バナナを剥く手を止めた。


「打たれたってだけで嫌がるピッチャーもいるのかってこと?」


「はい」


 稲葉は本当に、よく気がつく人のようだ。


「まあ明石さんがそういうタイプってこともありえるのかな」


 こんなことならピッチャーのことを色々調べておけばよかった。野手にだってピッチャーのことが大きく関係あるではないか。

 自分が上手になることしか考えていなかったと思った友樹は、バナナをおいしく感じることができなかった。


 光たちにも色々聞きたいがBチームは室内練習場にいる。さすがに三年生の高見には聞きにくい。


 なんて聞けばいいか分からないが、もう仕方ないから聞いてしまおうと思った。


「姫宮さんがわざとファインプレーをファインプレーに見せないって、ありえると思いますか?」


 沢と稲葉が揃ってバナナを食べる口と手を止めた。


「ピッチャーのことを考えてそうするのが、ありえるかってことね」


 稲葉の促しに大きく頷く。

 沢と稲葉は顔を見合わせて唸った。


「まあいろんなピッチャーがいるだろうからなあ」


「正直、俺には分からない」


 稲葉がそう言った。


「そうだ。監督に聞きなよ。元キャッチャーよ」


 監督はバッテリーコーチを兼任している。


「キャッチャーにピッチャーのことを聞いても分かるんですか?」


「下手したらピッチャーよりピッチャーのことを詳しいよ」


「監督はやる気さえあれば聞いても許してくれる。ほら、そこにいるから」


 背を押され、友樹は二人に一礼してから監督に声をかけに行く。


「どうした?」


 練習中よりもにこやかな監督に聞きたいことを辿々しく告げた。監督はすぐに理解してくれたようだった。


「ありえるよ」


 自分から聞いておいて友樹は驚いた。


「そもそもバットに当てられるのさえ嫌だという人も多いんだ」


「そんなものですか……」


「そんなもんだ。で、稲葉と沢は何と言っていた?」


「稲葉さんは助かったと思うと。沢さんはラッキーだと思うと言ってました」


「稲葉はまだいいけど、沢はちょっとよくないなあ。打たれたら悔しいと思わないと」


 友樹は腕を組んだ。ある程度打たれるに決まっているのに、打たれるたびに悔しがらなければならない、か。


「ピッチャーのためにわざと平凡なプレーに見せているのだとしたら、野手としてとんでもなく優秀だな」


 監督の言葉に友樹は圧倒された。とんでもなく優秀かと。


「浅見コーチにも聞けばいい」


 監督に大きく頭を下げ、次は浅見コーチの元へ。


 友樹の話をうんうんと聞いた浅見コーチは姫宮がいるほうを見た。

 友樹もつられて見た。

 姫宮が滝岡の監督と何かを話している。


「賢い子だね。まあ香梨にあれほどのことを言うだけはある」


「やっぱり気づいてたんですね」


「あはは。彼の善意が本当に善かどうかはおいておいて、競技人口が多いほうにいけという意見はまあ、あるだろう」


「姫宮さんは気が利くから平凡なプレーに見せているのでしょうか?」


「単なるプレースタイルの可能性もあるけど、彼ならありえるね。明石くんもプライド高そうだし。だけど俺は友樹の派手なプレーにも利点があると思うよ」


「そうなんですか?」


 友樹は何を言われるか少し期待してしまいそわそわする。


「味方の野手やベンチの士気を上げるし、敵に威圧感を与える。あとは、ピッチャーによってはむしろ喜ぶ人もいるんじゃないかな。後ろを信頼できるってね。玲と風輝もそのタイプじゃない?」


 浅見コーチは女子の草薙も含め皆を下の名前で呼ぶ。


「何がいいのかは人によるんですね」


「そうだね。最適解がないのが面白いよね」


 最適解か、と友樹はまたしても腕を組む。

 最適解がないとしても、俺の中の解は少なすぎると友樹は思った。それなら、できることを増やして解を増やすと友樹は決めた。


 今回の試合、雨が止んだら姫宮みたいにプレーしてみよう。

 そうしたら、姫宮が何を考えてあんなことを言ったのかほんの少しでも分かったり、しないだろうか。

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