第23話 代打、友樹

 重い雲の切れ目から太陽の光が注がれる。濡れてしっとりとしたグラウンドを強く照らす。


 反撃に出る遠園シニアは一番からの好打順。


 岡野は新藤に頷いてから打席へ。

 二人は長く一緒にやってきた二遊間だ。


 滝岡シニアのピッチャーは二番手小出。

 元気の良いオーバースロー。胸を張って振りかぶり、大きな動きのゆるやかなフォームでボールを繰りだした。


 岡野のバットが鋭く止まる。

 ボールだ。新藤がベンチから身を乗りだして岡野を見つめている。


 小出の大きな動きから球が投げられる。ストライク。

 岡野は手を出せなかったようで、足元の土をならして心を落ちつかせているように見える。


 友樹は新藤を見る。岡野を見つめる新藤に一切の不安はなかった。

 信じているのですねと、なぜだか友樹まで嬉しくなった。


 沈黙していた岡野が、自らそれを破る。速いスイングで飛ばした球はレフト前に。

 新藤の手がガッツポーズに。

 そして新藤はネクストバッターサークルへ。


 二番山口も続き、ライト前ヒットだ。


 新藤が左打席へ。堂々たる力強いスイングが球を弾き返す。ライト前ヒットだ。


 無死満塁で四番。期待が高まる好機だ。センターを守る四番桜井は新藤より背が低いが、身が厚い。塁にいる三人に笑み、桜井が落ちついて構える。

 初球を捉えてセンター前に放った。ホームに岡野が還り、これで七対五にまで差を縮めた。


 二点差。

 逆転可能な点差になった。

 それほどまで遠園シニアは持ち直し、立ち向かっているのだ。


 五番の坂崎は、ホームでミットを構えている時と違い、熱くなっている。


 六番福山は草薙に声をかけてからネクストバッターサークルに向かった。


 坂崎のバットが立てた音はなかなかのものだった。打球は低く、三遊間へ突き抜けていく。


 姫宮があっさりと――あっさりに見える実際はファインプレー――捕球した。大志と茜一郎が普通にうまいだけと言っていたが、そう見せているのだ。

 姫宮と視線が合い、逸らそうかと思ったが逸さなかった。姫宮のぱっちりした目が面白そうに友樹を見つめた。


 まるで凡打のように見せられて坂崎は肩を落としている。本当はヒット性の当たりだったと気づくことができずにいる。

 なるほどなと、友樹は目を細めた。凡打を打たせたと相手に思わせることもできるのだ。


 福山が打席へ。監督がネクストバッターサークルに入ろうとする草薙を呼び止めた。


「福山の次は代打だ」


 草薙が頷く。

 監督がこちらを向く。友樹の心臓がじわっと熱を持つ。


「井原、準備してくれ」


「はい」


 高揚で声が震えそうだった。胸の奥、みぞおちの奥からばちっと電流のような疼きが湧きあがり、叫びたい衝動に耐える。福山が押されているが、今の友樹にそれは背景のようにしか映らなかった。

 打席に立てるのだ。


 ふっと、熱を持つ友樹に涼やかな視線が投げかけられた。草薙だ。彼女が片手を上げ、友樹に向けた。

 友樹はまるで、溜まりすぎた電流を逃すみたいに草薙とばちっと手を合わせた。


 草薙は静かに口角を上げただけ。友樹の電流の欠片さえ、伝わったか分からない。草薙に伝わったかどうか、それさえ友樹の頭になかった。


 福山はショートゴロ。またしても姫宮だった。チームメイトと手を上げて笑いあう姿さえ、上の存在に感じる。


 だけど大丈夫だ。友樹は打席に立つ。マウンドに立つとピッチャーは大きく見える。

 だけど大丈夫だ。友樹の猫目が細くなる。口角が上がる。小さくても戦える。子猫だって爪と牙がある。


 一球目、ストライクゾーン内に来るスライダーをぎりぎりまで待って一塁方向にファールにした。よかった、体は動くみたいだと安堵し、自信を持った。

 やっと強いチームにこれたのだ。今まで培ってきた力を全て出さないと駄目だろう!


 二球目、やっとのところでバットを止めた。ボール。

 大丈夫だと己を鼓舞する。太陽が再び陰ろうとしているが、友樹にほんの少しの不安もない。


 三球目、これだ! とバットを思いきり、ありったけの力でスイングした。


 センター前に抜ける!

 本気でそう思った。友樹だけでなく遠園シニアの誰もが。


 姫宮が横っ飛びし、べったりと全身に土を付けて捕球した。姫宮の顔に先程までの余裕は一切なく、捕れたことに安堵すらしている様子だった。


 打てなかったと、がっかりする気持ちは当然ある。体内の電流が瞬時に消え去って物足りない。


 だが、姫宮のいつもは見られない動きを引き出すことができた。

 友樹は姫宮を盗み見る。悔しそうだ。友樹の胸に、ささやかな優越感が生まれた。打ち取られているというのに。


 プロ野球選手への夢のような憧れではなく同世代への地に着いた憧れ。

 同世代ということは戦えるということ。戦えるなら、勝てるかもしれない。

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