練習試合滝岡シニア

第18話「善意だ」

 一年生は驚いているし、友樹に至っては固まるくらい驚愕している。


 しかし上級生は驚いてはいない。身構えている様子だった。


 姫宮が新藤に会釈し、新藤も軽く頷き返す。面識があるみたいだ。前から大会や練習試合でぶつかってきたのだろう。


 新藤に挨拶をした直後、姫宮は草薙にひらひらと手を振った。


「久しぶり、香梨ちゃん」


 姫宮の声色が優しい。


「久しぶり」


 それに対して草薙の声が、胸の前で手を握る仕草が、どこかぎこちないのは気のせいだろうか。


 姫宮は草薙ににこりとした。穏やかだが謙虚さのない笑みだ。草薙が身を固くするのが分かった。


 友樹の憧れた二人が知り合い同士らしいことに勝手な縁を感じるが、二人の仲がいいようには見えない。


 姫宮がぱっちりした目とやや曲線的な眉に改めて笑顔を乗せ、草薙にさらに半歩寄った。


「まだ野球やってるの?」


 二人の関係が全く分からない友樹たち一年生はどよめいた。友樹は混乱して、ぼんやりと二人を見た。


 姫宮の声にきつさはない。だが、はっきりとした意思で質問しているようだった。


 草薙が何かを言う前に、二年生二人が姫宮の前に出てきた。


 福山と檜だ。


「てめえふざけやがって!」


 福山が怒りをストレートにぶつけ、


「何しにきたんだ? あっち行けよ」


 檜が草薙を庇うように立った。


 姫宮は全く気にしなかった。


「香梨ちゃんの才能を人が少ない女子野球なんかに捧げるのはもったいないよ。ソフトボールにいけ。それが嫌なら陸上」


「ふざけんじゃねえよ! 香梨は女子野球を選んだんだよ!」


「姫宮が決めることではないだろ」


「俺が決めることではないけど、どうせ周りの意思で野球を始めたのなら俺が何か言うくらい許されるだろう。家族の影響だろ」


「違う」


 草薙の声は淡々としていた。


 福山と檜が草薙を振り返る。


「私の意思で始めた。家族に野球をやれと言われたことはない」


 草薙の両親が野球を反対していると、新藤が言っていた。


「へえ。応援されてないんだ」


 草薙は姫宮を睨んですらいない。ただ、じっと見つめている。

 草薙が押されていると遠目にも分かる。


「ソフトや陸上なら応援されるかもよ?」


 その言い方はあまりにずるい。誰だって家族に応援されたいはずなのだ。大人になる前なのだから、特に。


 姫宮の笑みは不遜だった。


「てめえいい加減にしろよ」


 福山が姫宮の胸ぐらを掴んだことで遠園シニアが動揺する。姫宮は目を細めるだけで特に抵抗をしない。


 まだ監督やコーチはこっちに来ていないが、ばれたら今回の練習試合は中止にされるかもしれない。


 しかしそれでも福山の行動は共感できた。


 三年生たちが福山を止めにかかる。福山は新藤にさえ抵抗する。姫宮から引き剥がされた福山はなおも怒鳴っていた。


「あいつ、ふざけすぎだろ……」


 大志の呟きは絞りだされたような声だった。大志は草薙と一緒に練習してきたのだ。


 俺よりも怒っている人がたくさんいると友樹は気づいた。


 一年生の半数以上が草薙の後輩なのだ。それぞれが怒りや困惑を顔に浮かべている。


「どうした?」


 浅見コーチの声がした。ちょうどよく姫宮が福山から逃れる。


 まずい、と遠園シニアに動揺が広がった。


「そうだ! 行くぞ、二人とも」


 一年生の最前列にいた友樹と大志の、ちょうど真後ろで茜一郎がそう言うと、強引に二人の背を押した。


「なんだ?」


「いいから!」


 そして三人は浅見コーチの見ている前で姫宮の前に来た。友樹も大志も戸惑っている。


 姫宮は困惑しつつも、突然行動した一年生三人を興味深そうに見た。


「こいつが姫宮さんの動きを凄いと言っていたんです、教えてください!」


 友樹は茜一郎のやりたいことが分かった。


「そうなんです! 俺もショートなので教えてほしいです」


 大志もぴんと来たようだった。


「こいつがいきなり姫宮さんの前に飛びだしたので先輩たちに怒られていたんですよぉ」


「そうなんです! 他所の先輩に失礼だと!」


 檜が大声で加勢した。


 新藤が一歩前に出た。


「浅見コーチ、すみませんでした」


 遠園シニア一同が頭を下げると浅見コーチは分かっているかもしれないがにこっとした。


「はいはい。ほどほどにねー」


 浅見コーチが遠くに行くと、姫宮は薄く笑った。


「愛されてるね、香梨ちゃん。やはり女の子」


 まだ言うか、と呆れる遠園シニアの面々だが、福山は再び怒りだしそうだ。


 女の子か、と友樹は考えてみる。


 確かに友樹は草薙を女の人だと思っている。いくら一緒にプレーしていようと、男の人と同じだと思う気はない。


 草薙だってそれを分かっているからあえて厳しいノックに挑んでいた。


 しかし『女の子』であることと野球選手であることは両立する。


「姫宮さん」


 ぽつりと呼んだ友樹に姫宮が振りむく。


「なあに?」


 姫宮の帽子から出た髪が跳ねていて、風に揺れた。姫宮は友樹に対しては穏やかだ。


「悪意があるんですか?」


 姫宮の顔から初めて笑みが消えた。


「善意だ」


 姫宮は強く言いきった。友樹には理解できなかった。


 滝岡シニアのキャプテンがこちらに歩いてきた。


「姫宮が悪かったな」


 キャプテンが強引に姫宮の頭を下げさせ、姫宮は渋々、といった様子で従っている。


「こちらも悪かった」


 新藤が頭は下げなかったものの謝罪したことに友樹はもやっとした。キャプテンだから仕方がないのだけど。


 そのままキャプテンと共に姫宮は戻った。姫宮の歩きかたはやはり堂々としていた。


 新藤が福山の肩を叩いた。福山も怒りがおさまっていたようで、申し訳なさそうに新藤を見上げた。


「よくやった」


 新藤のその一言で福山は明るい顔になり、遠園シニアの空気は緩んだ。


「さあ、準備するぞ」


 遠園シニアは覇気を取り戻し、駆けだした。


 新藤さんは凄いと友樹は改めて思った。少ない言葉で人の心を変えられるのだ。


 それにしても、と友樹は滝岡シニアの輪の中心の姫宮を遠くから見る。


 焦がれて巻き戻し続けて見つめていた人があんな人だったとは。

 乱暴な善意。

 善意なのかどうかも友樹には理解できない。


 姫宮はただ、滝岡シニアの中央で穏やかに笑っている。


 何事もなかったように浅見コーチが皆の前に立つ。


「AチームとBチームに分かれてAチーム同士、Bチーム同士対戦します」


「いわゆる、一軍と二軍だな」


 友樹の隣で大志がぼそっと言った。


「今からAチームのメンバーを発表します」


 新藤や高見を始め、三年生中心に呼ばれていく。


「草薙香梨」


 先程渦中にいた草薙がAチームであることが面白く、嬉しかった。


「井原友樹」


 草薙のことを考えていたために友樹の返事が遅れ、大志に背を叩かれた。


「はい!」


 一年生で唯一のAチームだ。


 友樹の周りに一年生が群がり、応援してくれた。


「あまり浮かれるなよ」


 そう言いつつも友樹の背を叩く新藤の手は優しかった。


 まずはBチーム同士の対戦だ。


 友樹は一年生の皆を応援しつつも、姫宮が滝岡シニアのBチームを真剣に、必死に応援していることに、草薙への態度とのギャップを感じて戸惑った。


 拮抗した試合だが、五対四で遠園の負け。


 そしていよいよAチーム同士の対戦だ。ベンチ前で円陣を組む。


「絶対勝つぞ!」


「おう!」


 草薙の傍の福山は特に熱くなっていた。


 友樹は守備固めとして後半に出場することになった。

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