第17話 ショートの姫宮ツバメ

 ついにグラウンドに到着。今日は覚悟を決めるしかない。


 グラウンドに草薙がいた。


 昨夜の話のせいで気まずくて草薙に挨拶するのさえ緊張したが、友樹に挨拶を返した草薙はいつもどおりだった。挨拶はきちんとできたみたいだ。


 新藤は友樹と違い気まずさがないように見えた。本当に、眠る直前の言葉だったのかもしれない。あるいは、新藤にとっては草薙への思いは普通のことなのかもしれない。


 草薙はドリンクを飲んでいた。そして汗を拭き、髪を結び直している。肩につく長さの綺麗な髪だ。


 草薙も朝から練習していると友樹は初めて知った。


「あれ? 友樹!」


 浅見コーチもいる。驚いて挨拶すると、彼はにっこり笑った。


「驚いたよ。練習前に会えるとは思ってなかった」


「昨日、雨で帰れなくなってしまって新藤さんの家に泊めてもらったんです」


 そうかそうか、と浅見コーチが頷いた。そこに、草薙が戻ってきた。


「浅見コーチ、お願いします」


「分かった!」


 浅見コーチがノックを始める。友樹は邪魔しないようにした。


 ぎりぎり捕れる球を浅見コーチが打ち続け、草薙が捕り続ける。草薙の動きが良く、テンポが良い。見ていて気持ちよくなってくるが、なかなか終わらない。


 五十本も続けたのだから友樹は驚いて何も言えない。


 ありがとうございました、と草薙が浅見コーチに一礼して水分補給に向かったが、俺もお願いしますと言えない。


 浅見コーチがくるりとこっちを向き、友樹はぎくりとした。


「ちなみにこれは四セット目ね」


 思わず草薙の背を見上げた。


「俺もやりま、す」


 浅見コーチの笑顔が素敵。


 五十球のノックを終えてドリンクを飲みながら友樹はしゃがんだ。きつかった。ぎりぎり捕れる位置だから、最後まで全力で追わなきゃいけない。


 急に上から何かが降ってきて、友樹の視界が途切れた。


「大丈夫?」


 降ってきたのはタオルだった。草薙が友樹を見下ろしている。


「草薙さん?」


 草薙がわずかに微笑んだ。


「井原が二セット目をやらないなら、私がまたやるけど。どうする?」


「やります」


 友樹は勢いをつけて立ちあがった。後輩とはいえ、意地があるのだ。


「そう」


 草薙はそれしか言わないが、微笑んでいるようだった。


 友樹は再びノックを受ける。


 受けている最中は全く気がつかなかったが、終わってドリンクを飲んでいると、新藤が草薙とたくさん話しているように見える。


 いや、言葉は少ないみたいだ。二人でバッティングフォームの確認をしているのでコミュニケーション自体はたくさん取っている。


 友樹が入団する前からの絆だ。それを遠くから見ていた。


 疲れ果てた友樹だが、今日の練習はこれから始まるのだ。


 ウォーミングアップの前に全員が小さな室内練習場に集められた。


主に冬場に使われる場所で、筋肉トレーニングの道具や、ネットで区切られた投球練習場がある。


 その中の会議室のような小さなスペースに集まった。ぼろい壁と対照的な新しいパソコンに、試合の様子が映しだされている。


 点差は五点。余裕のチームが最終回の攻撃をせず試合終了。


 動画を見ただけで、二、三年生はざわりとした。草薙を見ると、彼女も少し苦い顔をしている。


「来週は春季東北大会に向けた練習試合をするよ。相手は『滝岡シニア』!」


 浅見コーチが一年生全員のアドレスを聞き、滝岡シニアの短い動画を配った。


「どちらも勝ち進めば大会の三回戦で当たることになる。滝岡シニアは強いからほぼ必ず勝ち進んでくると思うな」


 それではいつも通り練習開始だと、浅見コーチがにこやかに声を張った。


 ウォーミングアップの時点できつい。予想できたことだがそれでもきつい。


「無茶しやがって」


 大志が半笑いでそう言うが、もう半分は心配だった。キャッチボールだけで足腰ががたがたである。


「心配になるなあ」


 茜一郎にも眉をひそめられたのだった。


 昼休み。友樹はブルーシートの上で全く動かない、いや、動けない置き物になっていた。


 そこに、大志と茜一郎がスマホを掲げ、友樹に見えるように角度を調整した。


 滝岡シニアの動画。ショートが淡々と打球を処理して――いるように見えたが、友樹は猫目を見開いて急に動いた。


 そして大志の手からスマホを取り、慌てて十秒ほど巻き戻す。


 その勢いに大志も茜一郎もぽかんとしていたが、友樹は何度も何度も巻き戻しと再生を繰り返した。


「この人凄いぞ」


 大志と茜一郎は改めて動画を見直す。


 ショートがぼてぼてのゴロを捌いて一塁に投げている。


「確かに上手だけど」


 茜一郎が首を傾げる。


「上手ってだけじゃね?」


 大志が首を振る。


「いや違う。この人は凄い」


 友樹はショートの守備機会だけを何度も見返す。


「休憩はあと十分だよ」


 浅見コーチが友樹の元に来た。


「浅見コーチ、この人――」


「まずは弁当を食べてくれ」


 友樹は大慌てで弁当を腹に突っこむことになった。


 午後、友樹はいくらか元気になった。


 練習が終わり、茜一郎の母の車に乗る直前に、浅見コーチを捕まえた。


「あのショートの名前を教えてください!」


「姫宮ツバメくんだよ」


「姫宮さん! 分かりました!」


 上手な人を見つけたためにテンションが高くなっていた友樹だが、帰宅して気が抜けると再び置き物になったのだった。


 滝岡シニアとの練習試合は一週間後だ。


 友樹は時間が空けば姫宮ツバメの動画を見ていた。

 もちろん、草薙の動画も見ていたが、姫宮の動画に時間を割いていた。


 三遊間のゴロを丁寧に捌く。

 二遊間へのライナーを余裕を持って捕る。


 どこが凄いかを言葉にすることができずにいたが、それでも心惹かれる。


 ただ、守っているだけ。基礎を徹底しているだけ。でも、いつまででも見ていられた。



 ついに滝岡シニアと練習試合ができる日だ。


 友樹は何十回も動画を見て、内容を覚えてしまっていた。


 姫宮は普通にプレーしているだけなのにうまさを感じさせる凄い人だ。


 遠園シニアは滝岡シニアが普段使っているグラウンドにやって来た。


 滝岡シニアのユニフォームは、上は緑で袖とロゴが赤。下は白いズボンだ。


 滝岡シニアは強者の自負があるのか、立ちふるまいにせわしなさがなく、ゆったりしていた。


 姫宮は二年生だそうだ。彼は滝岡シニアの輪の最前列ではなく一歩下がったところにいた。

 二年生なのでそれは当然だろう。


 だが最前列が姫宮を振りかえる回数が、彼がただものではないと語っていた。やはり彼は凄い人なのだと友樹は確信を強くした。


 そのとき、姫宮が輪をすっと抜けた。まるで白鳥が湖面を立つみたいにスムーズだった。


 自分の居場所から出るというのに不安も迷いも感じさせない。そして鷹の滑空のように素早く遠園シニアのほうへ歩いてきた。堂々とした姿。


 姫宮が草薙のもとに来た。

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