第19話 どきどきしている

 姫宮が泰然とグラウンドに入ってくる。

 姫宮に憧れていたけれど、戦うとなれば勝ちたいのだ。


 友樹は草薙の背を見る。彼女は先輩であり、友樹が勝手に心配するのはおかしいのかもしれない。

 でも、友樹は草薙がきっと傷ついていると感じた。姫宮には毅然として挑まなければならない。


 姫宮はエース明石に何かを話している。エースは三年生で姫宮は二年生だが、明石は姫宮に一目おいているようだった。


 姫宮はどのような存在なのだろうか。試合で明らかになるだろうか。

 曇り空の下、プレイボール。


 滝岡シニアが先攻、遠園シニアが後攻だ。


 遠園シニアの一番手は沢だ。彼は楽しそうにマウンドに駆けて行った。


 一回表。


 一番打者が沢のスライダーをセンター前ヒットにした。


 二番は姫宮だ。右打席に入った。

 草薙に向けていた不遜で挑発的な笑みと違い、打席に入り相手チームを見渡すかのような顔は利発そうだった。


 初めは打とうという姿勢を見せたが、ツーボールワンストライクになるとバントの構えをした。いい構えだ。動きやすいしバットをコントロールしやすい。


 姫宮が一塁線上に転がる見事な送りバントを決めた。あまりに鮮やかだった。


 そこから、先制点を入れられた。


 遠園ベンチに焦りが生じたのを友樹は感じた。


「大丈夫だ!」


 新藤の声にベンチの誰もが頷いた。友樹もしっかりと頷いた。


 一回裏。


 一番の三年生セカンドの岡野がライトフライでアウトにされた。


 ベンチから彼らを見ている友樹は、本来は巧い岡野を打ち取った明石投手が気になりだしていた。


 友樹はそもそも投手にはあまり詳しくない。幼い頃から、野手の動きにばかりに惹かれてしまう。


 だが、マウンドで投げている明石賢投手は友樹が初めて生で見るサイドスローだった。プロが映像の中でもっと素晴らしいサイドスローで投げていても、同世代が目の前でサイドスローで投げている衝撃はまた違うものだった。


 上から振り下ろす動きが一切ない、柔らかな横からの動き。重力に頼らない、体の回転の力でボールを繰りだす。曇り空の重さを華麗に躱しているかのようなしなやかさだ。


 だが、三番は新藤だ。しなやかさだけで躱せないはずだ。

 新藤にヘルメットを渡す友樹は、何かを伝えたかった。


「新藤、行け!」


「沈むぞ、気をつけろ!」


「頼む!」


 友樹が言うまでもなく、誰もが新藤を鼓舞した。

 一塁コーチャーをしている草薙も新藤を信頼の目で見ている。


「ああ。行ってくる」


 新藤の言葉はたったそれだけなのだ。それだけなのにベンチに安心感が出る。


 結局無言でヘルメットを渡したが、新藤は友樹の思いを読み取ったのか、微笑みかけてくれた。


 なるほどな、と友樹はネクストバッターサークルに入っていく新藤を見ながら考えていた。周りに遠慮して言葉を出せない友樹の心を考えてくれたのだ。


 新藤は草薙にかけた言葉のことを気にして悩んでいた。俺の言葉が悪いほうに働いたのだと。だけど新藤は言葉を出せなかった友樹のことも考えてくれる人だ。


 新藤さんは悩む必要なんてないと友樹は思う。


 二番の三年生ライト山口は空振り三振。

 新藤が左打席に入る。


 一球目の変化球が分からずに戸惑っていると、二年生投手の、今回は二番手として登板する稲葉が教えてくれた。


「あれはシンカー。カーブと逆方向に落ちるよ」


「初めて見ました」


 当たり前のことだ。友樹がいた軟式はそもそも変化球禁止だ。


「あれは硬式出身もあまり見たことないと思うな」


「遠園シニアの中に投げる人はいますか?」


「高見さんが投げるけど……明石さんのとは軌道が全然違うよ」


 それは友樹も理解できた。高見はオーバースローだ。

 同じ変化球でも投げ方により、人により軌道が変わるのだ。


 あのシンカーなら、いつもなら手堅く出塁できる岡野と山口が連続で打ち取られても無理ない。


 しかし、それでも流れとしては不利になる。ここで新藤が打つことには単なるヒット以上の意味がある。


 新藤が三塁側にファールを二回打った。今までの二人より明らかに手応えがある。


 新藤を夢中になって見ているうちに、友樹と稲葉の会話はいつのまにか終わっていた。


 右のサイドから投げられるゆったりしたシンカーを焦って打てば打ちあげてしまう。新藤は丁寧に打とうとしている。

 彼だって、自分の進退がチームに及ぼす影響を考えている。

 ただ、打てた打てなかったと考えればいい下級生とはわけが違うのだ。


 新藤が打った。ベンチが湧く。

 三遊間を抜けそうだったが、姫宮が難なく捌いた。攻守交代。


 まだ一回が終わっただけなのに、この空気だ。


 言葉がなくても人を元気づけられる新藤は凄いと今までは無邪気に思っていた。


 しかし、もしかしてプレーで人を元気づけるというのは至難のことなのかと、友樹は考え始める。

 それをずっと続けてきた新藤の背を見る。


 自分だってそうだったと友樹は考えたが、新藤とは大きく違う。


 友樹のチームにベンチの空気などなかったではないか。全員がグラウンドにいて残り二人もコーチャーで、常に体を動かしていた。


 それに、悲しいが、自分たちが弱いことに慣れていた。負けて泣いたことがないのは、心が強いからではない。


 ベンチに留まることで、空気が生まれてそれが悪く作用する時もある。


 二回表。


 滝岡シニアの六番打者が沢のストレートを初球打ちして一二塁間を破った。


 そして盗塁を成功されて無死二塁に。

 そこに七番打者がレフト前ヒットを打って、無死一三塁。


 たったの二打でこんなにもピンチだ。ランナーを抱えた内野に緊張感が生まれる。マウンドの沢から笑顔は完全には消えていないのが救いだが、それでもベンチの口数は減った。


 稲葉がブルペンに移動した。


 八番打者がライト前に二塁打だ。沢が束の間、天を見上げていた。

 滝岡シニアが一得点した。無死二三塁になった。


 まだピンチが続くかと、友樹まで苦しくなってくる。

 東チームでこんなに苦しかったことはない。東チームが弱かったから、というだけではなく、やはり自分が動いている方が気が楽だ。


 マウンドの沢の元に全員が集まる。沢に普段の不敵な笑みが戻る。

 沢が九番打者を空振り三振に切った。


「よっし!」


 ベンチの三年生が声を出し、それをきっかけにベンチに歓声が起こる。


 マウンドに皆が集まると強くなるピッチャーの不思議。そして歓声の不思議。


 野球をして生きていくならこういう不思議に慣れていかなければならないのだろう。まだまだ学ぶことが多いと友樹は思ったが楽しいとも思った。


 自分が取ったわけでもない三振で、こんなにもどきどきしている。

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