第15話「一軍を目指すのか?」
金曜日、新藤との待ち合わせ場所に来た。自転車に跨る新藤は制服ではなく私服のジャージで、やはり学校のものではない鞄を背負っている。
「井原は自転車は?」
「スクールバスなんです」
スクールバスは放課後すぐと部活終了後の二回走るので、友樹は部活終了の時間までに河原から学校へ戻り、帰っていた。
「そうか。大変だな。ほら、乗っていいぞ」
新藤が下りて、友樹に乗れと促してくれた。友樹はサドルに跨ると、足が付かないと気がついた。なんとかバランスを取って漕ぐと、新藤は鞄を背負ったまま自転車に並んで走りだした。
「もっとスピード出せよ」
新藤に遠慮していたが、全く平気そうだ。友樹はぐっとペダルを踏みこむ。
グラウンドに到着。既に三年生の何人もがそれぞれ練習しており、新藤と一緒にいる友樹にちらりと視線が向けられた。
「さ、やるぞ」
練習が始まれば、周りのことは気にならなくなる。
新藤とのキャッチボールが楽しい。
夕焼けのグラウンド。三年生たちが二人のキャッチボールに目を奪われる。
新藤は肩が強く、球に力があるのだ。二人のキャッチボールは振り子のようにリズムがいい。寄せては返す波のようにいい流れだ。
「新藤! もう帰るからな!」
三年生たちが何度も声をかけていたらしい。友樹は全く気がつかなかった。新藤もそのようで、驚いた様子でぴたりと送球動作を止めた。
グラウンドに残るのは新藤と友樹だけになっていた。新藤が友樹の元に走ってきた。慌てて友樹も走って新藤に寄る。もうそろそろにして帰ろうと言われると思っていた。
「もう少し、いいか」
まさかの言葉だったが、友樹はすぐ頷いた。友樹だって肩の強い人とキャッチボールできる機会を少しでも長く味わいたかったのだ。
夜の影で新藤の顔が見えなくても、新藤がどんな顔なのか分かる気がするのは、球から全力が伝わるからだ。試合中の熱い瞳を思いだす。友樹にも本気が伝染し、試合中のように目を細めて投げる。
二人のキャッチボールはもうウォーミングアップではなく、アウトを取るときのような強さだった。
急な、大粒の雨に気づくのが遅れた。二人とも雲ばかりの夜空を呆然と見あげた。
林の道の一際大きな樹の下で、少しでも雨宿りをしてから帰ろうと考えた二人だが、いつまで経っても雨の強さは変わらなかった。時間も遅い。
貴重品は学校においてないか?
井原の家の番号は?
俺の服でもいいよな?
などと手際良く新藤の家に泊まる準備をされた。
友樹は新藤の家のシャワーを浴びさせてもらい、あまりにぶかぶかの服を着させてもらった。
新藤は台所で夕食を作っている。子供だけだからレンチン食品やインスタントを食べるのだろうかと友樹は思ったが、まさかの手料理だ。手伝うと言ったがお前は座っていろと言われてしまった。
友樹は新藤宅のダイニングの、まだしまっていない炬燵に入りながら、部屋を見まわしていた。
部屋の棚という棚に、野球の表彰状や盾があるのだ。
テレビ台のガラス戸の向こうに瓶に入った甲子園の砂。
砂の隣の写真には泣き笑いの三十人ほどの野球部員とマネージャー二人と監督。
大学野球の品や、社会人野球の品。
そして、遠園中央少年野球チームの岩手県大会優勝の盾も見つけた。写真の中に新藤がいる。幼い茜一郎たちもいた。
「できたぞ」
豪快に千切られた白菜とダイナミックなサイズ感の豚肉の鍋だ。白い湯気が立つ。空腹だったと思い出した。新藤が取り皿を寄越し、真ん中にポン酢を置く。
新藤がお玉で肉を掬い、続いて白菜を掬って、友樹にお玉を渡した。友樹は肉と白菜が大体同じ量になるようにした。
かなりお腹が空いていたんだと、出汁の香りに心底そう思う。
見た目の不恰好さと裏腹に、出汁のうまみがしみた白菜と豚肉はとてもおいしく、すぐに取り皿が空になる。
友樹が部屋の盾やトロフィーを見ていることに、新藤も気づいたようだった。
「気になるか?」
「はい。凄いですね」
どれほど優れた選手であっても、その家族も同じ分野で優れているとは限らない。表彰状の名前を見る限り、父と兄二人がこの部屋の賞状のほとんどだ。家族揃って野球で活躍しているなんて凄いと思った。新藤もこの先、活躍を積み上げていくのだろうか。
「お前の家族も野球をしているのか」
「いえ」
「親は何を?」
「父は高校で登山部、母は文芸部です」
母は文学が好きなのではなく、体調が悪いから活動の少ない文芸部にいただけだが、それを言う必要はない。
「そうか」
新藤はそれしか言わない。
ふと、新藤が左手で箸を持っていることに気づいた。
「左打ちの練習ですか?」
「よく分かったな」
新藤の微笑みは気がついた友樹を褒めてくれているみたいだった。
鍋はおいしかった。苦しみのない丁度いい満腹感だ。しかし、友樹は油断しなかった。
「ちょっと待ってな」
肉が無くなりかけた頃、新藤が鍋を持ち台所に行った。
「締めの雑炊だ」
たぶん三合くらいある。
やっぱりなと友樹は思っていた。誰もがよく食べる遠園シニアの、キャプテンが鍋だけで終わるはずがないのだ。
新藤の家の電話を使わせてもらい、家の番号を押す。
『はい、井原です』
「お母さん、俺だよ友樹だよ。今先輩の家にいて」
心配かけていただろうかと、心配していたが母は平気そうだった。
『さっき新藤くんが電話してくれたの。事情は聞いたよ』
友樹がシャワーを浴びている間に、新藤が伝えてくれていたのだ。
『中学生なのにしっかりした人だね』
「キャプテンだからね」
『運動部はそういうところが強いよね』
母がしみじみとそう言った。運動部出身ではない人として思うところがあるのかもしれない。
『明日の朝お父さんが出勤前に荷物を持って行ってくれるってさ』
「分かった!」
『色々と楽しいのは分かるけど無理しないでね』
そんなに楽しそうだったかな、と考えてみたが確かに少し浮かれていたことが多かったかもしれない。動画を見ることもチームメイトが沢山いることも練習のレベルが高いことも。全てが楽しい。
無理をしないというのがどういうことなのか、楽しい最中にいる友樹にはピンとこないが、まあ頷いておこうかと思った。
「うん。大丈夫だよ」
『まあ友樹には無理をするってことが分からないかなぁ』
バレていた。その後少し話して電話を切った。部屋で待っていた新藤に仲がいいなと言われて、恥ずかしかったが悪い気はしなかった。
新藤の部屋のベッドの隣に布団を敷いてもらった。よく片づいた部屋で、机の上に推薦図書があった。
「なあ」
ベッドの上から新藤の声が降ってきた。
「一軍を目指すのか?」
「はい」
ベッドの下から小さく返した。
「そうか」
言葉はそれだけだが、声は明るかった。
今しかないと友樹は思った。
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