第14話「危なっかしいなあ、友樹はさ」

 新藤が精悍な顔に驚きを浮かべた。汗を拭いてかきあげたままの前髪。耳元の髪もまだ濡れている。唇にドリンクの滴が未だに残っていた。

 その顔を見て、友樹はやってしまったと思った。完全に、相手の様子を見ずに先走ってしまった。

 そして、新藤はともかく周りの目が痛いことに気づく。大志や茜一郎たち一年生もぽかんとしている。


 本当に、やってしまった。


「あ、いえ、今度、時間のある時に……」


 友樹の声が途端に震えだす。汗がこめかみを伝う。


「別に今でもいいぞ」


 タオルで唇も髪も一息で拭った新藤の一声で、空気が和らいだ。

 キャプテンの優しさに安心した友樹は声の震えがおさまった。


「最終回の守備のプレーで聞きたいことがあります」


 細かいな、と言いたげに新藤は笑みを浮かべた。


 友樹はひっそりと唾を飲みこむ。周りの三年生たちからの視線は、『新藤に失礼なことをすればどうなるか分かってんだろうな?』という感じだ。新藤は慕われている。キャプテンとして最高の力だ。もっといい形で知りたかった。


「三遊間の打球を踏ん張って捕ってステップして投げたのは何故ですか。どうしてジャンピングスローにしなかったんですか?」


「へえ」


 新藤は前髪をざっくりと下ろし、タオルを置いた。


 力ある眼差しを束の間、陰るかのように細めて友樹からそらした。その様子に友樹はどきっとした。だがすぐに新藤は友樹に向き直なおり、友樹の動揺も落ちついた。


「できないからだよ」


 友樹は声も出せなかった。三年生たちからの視線がますます刺さる。


 友樹の頭が急に回らなくなる。血の気が引く。してはいけないことをしたような。


「俺は踏ん張って投げるのはできるが、脚の力を使わず投げるのは苦手でね」


 友樹は呆然とし、三年生たちは攻撃的に友樹に視線をロックしている。その中で新藤だけが冷静だった。


「お前はやりたいようにやればいいさ」


 お前はやりたいように。東チームでコーチによく言われた。

 見捨てられるのかな、と友樹は思った。だけどきっと俺が悪いとも思った。


 せっかくのお休みに子供たちに野球を教えてくれるおじさんに、プロ野球選手の動画で見た『正しい』指導を拠り所にして逆らってばかりいたのだ。

「ならやりたいようにやればいい」と、見捨てられたのは一度や二度ではない。


 今なら、おじさんの間違った指導を責める前に、子供たちのために行動してくれたことに感謝すべきだと分かるが、幼かった友樹には分からなかった。


 今もまた、似たようなことをしてしまったのだろうか。プレーの効率を拠り所に、いいキャプテンに失礼なことをしたのだろうか。


「あの」


 謝ろうとしたが、新藤が首を振って制した。


「一緒に練習するか?」


 びっくりした友樹の顔を見て、新藤は気をよくしたようだった。


「後で連絡先教えてやるから、待ってろ」

「はい!」


 友樹は慌てて頭を下げて、素早く一年生たちの元へ走った。


 一年生の集まりに戻ると、苦笑いをする人や友樹に呆れている人がいる。


「新藤さんは優しいな」


 茜一郎は友樹に何かを思うというより新藤に感心している。隼もうんうんと頷いている。


「危なっかしいなあ、友樹はさ」


 大志は呆れる側だった。青葉と蛍はくすくす笑っている。


 帰りの大志の父が運転する車で、新藤の連絡先が書かれたメモを何度も見る。緊張したし、駄目なことをしたかとも思ったが、結果としては大成功だった。


 キャプテンと一緒に練習できるなんてと、友樹はひたすら喜んだ。


 

 火曜日の昼休みの教室。机をくっつけ皆で弁当を食べている。

 蛍と青葉がくすくす笑う。大志がにやにやして友樹を見ている。友樹は顔を赤くして首を振っていた。


「違うってば」

「本当かぁー?」


 友樹は恥ずかしい疑いを立てられていた。


 発端は四時間目のこと。窓際の席から友樹はグラウンドを見ていた。グラウンドでは二年生が体育の授業を受けていて、体力測定をしていた。


 五十メートル走をする草薙を見つけたのだ。五人中、一番の速さでレーンを駆けぬけた。ジャージを着ていても分かる走るフォームの綺麗さ。

 続いて立ち幅跳び。跳ぶ姿はとても綺麗で、他の女子より遥かに遠くまで到達していた。

 ソフトボール投げではもちろん大遠投。


「井原、十五ページだぞ」


 張りのある腰や太ももから生まれる脚力が飛翔の秘密。


「井原、十五ページだぞ」


 結ばれた黒髪が動くたびにぴょこっと揺れる。


 草薙がこっちを向いた気がした。友樹はさっと向きを変えた。

 そして怒りに目を細めている担任と目が合った。全く話を聞いていなかったことが、クラス全員に知れ渡ってしまった。


 直後の昼休みにそのことをネタにされているのである。


「お前、香梨さんのことを見ていたんだろ?」


「見てない見てない」


 見ていた。だが認めるわけにはいかない。


「そうかそうか。香梨さんを好きか」


 青葉がくすくす笑っている。


「果たして香梨さんが友樹を好きになるかねえ」


 蛍は楽しそうに目を細めている。


 草薙を見ていたと認めたら、この三人に何を言われるか分かったものじゃない。


 その後、束の間の休戦のように四人は黙々と弁当を食べたが、食べ終えれば、また始まる。


「本当に見てないってば」


 ふっと、大志が頷いた。ようやく嘘をつきとおすことができた。


「まあ見なくて正解だよ」


 大志が頬杖を付いて、声色のトーンを下げた。


「香梨さん、五十メートル走ビリだったもんな……」


「え? ビリじゃなかったよ」


 友樹はしまったと思ったが、もう遅い。大志たちがにやーっとした。


「そうかそうか。やはり見ていたか」

「好きだねえ」

「初恋は実らないぜ!」


 友樹は納得いかず、でも何が納得できないのかうまく言えず、口を尖らせていた。


 放課後の河原での練習で、大志から一部始終を聞いた茜一郎の言葉で、第二ラウンドが始まった。


「大志も見てたんじゃねえの?」

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