第5話 大変なところにきてしまった
紅白戦の翌日の日曜日。遠くからアラームの音が近づいてくるみたいだ。
意識が浮上した途端、友樹は全身の重さにびっくりした。腰から上は痛く、腰から下は力が入らない。
しかし練習は朝九時から始まる。
家から徒歩三十分のコンビニに茜一郎の母の車が七時半に迎えにくる。早く起きあがらなければ。
「いたたたた……」
お年寄りみたいに声を出しながらベッドから滑り落ちるように出た。
練習以上の根性で支度をした友樹は、なんとかコンビニに間に合った。
「寝癖酷すぎ!」
挨拶より先に茜一郎に笑われたが、友樹としてはそんなもの構っていられない。
茜一郎の母が二人にサンドイッチとおにぎり三つずつを買ってくれた。
送り迎えをしてくれる上に朝ごはんまでごちそうに、と感謝する余裕もなかった。
朝からおにぎり三つは無理だというのが正直な感想だった。茜一郎はぺろりと食べてしまった。
これが野球部の食べる量なのかと、友樹は先が不安になってきたのだった。
食べるというより詰めこむに近かった朝食をようやく終えると、グラウンドが近づいてくる。林の丘を切りひらいて作ったグラウンドは鳥の声が時折聞こえる。まだ肌寒いが空気は気持ちいい。
友樹は胃が一杯で気持ち悪かったが。
今日は上級生と完全に別れて、一年生だけで練習だ。
朝のウォーミングアップはスキップでダイヤモンドをぐるぐる回るというものだった。楽しさとは程遠いスキップを延々と。太腿をあげるたびによいしょと言いたくなる。
ようやく、待ちに待ったキャッチボールができる。
茜一郎とキャッチボールをする。茜一郎の投げる球は力強くのびやかだ。
新しいグラブが音を立てるたび、中に白球が納まるたび、友樹は体のしんどさを忘れて笑顔になった。
投げ返せば、常に茜一郎の胸前に寸分も乱れなく届く正確さだ。
次に、監督と浅見コーチの前にそれぞれ列になり、一人一人順番にノックを受ける。
数球取ったら列から抜けて次の人に交代する。
浅見コーチの前に並んだ友樹の捕球は見事で、他の人たちが見つめてしまうほどだった。
さあ終わった、後は次の練習まで待つぞと意気揚々と体を伸ばした友樹だが、既にノックを終えた茜一郎がネットの前にいて、友樹を手招きする。
「ほら、やるぞ」
「今はノックの時間ではないの?」
「待ってる間暇だからティーバッティングとかするの」
ほら、と茜一郎が指さすと全員がティーバッティングや素振り、キャッチボール、壁打ちをしている。誰も何も指示をしていないのに関わらずだ。
その密度が遠園東少年野球チームと違い、とんでもなく濃い。大変なところにきてしまったと、友樹はようやく気づいた。
ティーバッティングは、片方がボールを緩く弧を描くようにトスし、もう片方がネット目掛けてバットで打つというものだ。
茜一郎のトスは容赦なく、わんこそば並みに中断のタイミングを与えない。ついにバットが遅れた。
「はい、ほら次ー」
それでもトスが止まらない。浅見コーチから貰った練習用バットなのだから頑張らなければと、思うのだが。
「もう無理……」
「情けないなあ。じゃあ交代」
茜一郎のスイングが速く、息を合わせてトスを上げるのも大変だった。
午前の練習は、ひたすらにノックと、ノックの待ち時間の練習という、基礎を延々とやるものだった。
「昼休みは一時間だよ! ゆっくり食べて」
にこやかな浅見コーチの号令に「しゃす!」と全員が頭を下げ、練習の手伝いに来ている保護者たちが用意した弁当を順に受け取る。
プラスチックのパック一つにご飯、もう一つにおかずが入っていて、上下にして輪ゴムでひとまとめにしたお弁当はまだ熱々だ。
朝送ってくれた茜一郎の母も弁当作りに加わっていて、受け取るときに友樹のノックを褒めてくれた。
他の人に当番を代わってもらえて本当によかったと、母のことを思う。母は料理自体はできるがこんなに大量に作ることはできない。
茜一郎や大志たち、内野手の皆と輪になり、ブルーシートに腰をおろして弁当の蓋を開けた友樹は、気がついてしまった。
全くお腹が空いていない。胃の容量が一センチも空いていない。
「おっ。うまいじゃーん」
大志はすぐに食べ終えた。
朝に同じ量を食べたはずの茜一郎もさっと食べ終えた。
こんなに弁当がおいしそうに見えなかったのは生まれて初めてだった。
「どうした?」
二人に心配そうに見られたので、食べるしかなかった。
俺はこんなに無理をして食べることができたのだと、新たな自分を知った午後だった。
午後の練習が始まる前に浅見コーチが一年生を集めて、来週のことを話した。
「来週の日曜は一年生対二年生の紅白戦をするからね。それまで各自練習しておくこと! ちなみに、二年生対三年生の試合も同日にやるから見学して参考にしような」
「はい!」と張りのある返事が揃う。
あの人についに会えると、期待と共に緊張感が生まれた。
だがそれ以上に腹に圧迫感があった。
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