第4話 ここにきて本当によかった

 三遊間深くに打球が飛ぶ。あれはヒットになると誰もが思い、紅チームのバッターランナーが必死に走るが、友樹はボールを追う。

 友樹の捕球に、紅も白も関係なく一年生がわいた。


 試合終了。


 試合後、解散すると一年生の皆が友樹のところへ押し寄せてきた。


「あのチームから来たのにどうして?」

「どうしてと言われても」


 心当たりは野球ノートだけど、野球ノートのことは友樹だけの秘密の練習だった。練習中に思ったことや感じたこと、たくさんのコメントを書いているので人に見せるのは恥ずかしい。


「じゃあ天才なんじゃないの」

 気分の良くないことを言ってきたのは楠木大志だった。

「天才じゃあないよ」


 少しむっとした顔になった友樹だったが、大志は全く意に介さずにやにや笑っている。大志の言葉を不思議に思わない一年生もいるみたいだった。


 不意に、友樹たちを囲んでいた十九人の一年生が、さっと左右に割れるように真ん中を開けた。

 一人の上級生がやってきたのだ。

 友樹も頭を下げる。大きい人だ。おそらく百七十センチを超えている。まだ百五十三センチの友樹は、果たしてこれからこのくらい伸びるだろうかと不安になる。


「試合を見てたよ。お前、凄いな」


「ありがとうございます」

 緊張して友樹の声が多少掠れた。


「俺は新藤しんどう晴馬はるま。キャプテンをやってる。お前は?」


「ああ、えっと」

 名乗るくらいでもたもたする自分に焦る。


 新藤は身長だけでなく体格もがっしりしていて、よく日焼けした肌に精悍な顔立ちだ。少し怖い。中学三年生ながら、友樹の父より男らしい外見といえる。


「……井原友樹、です」

「井原か」


 新藤の声が少し低くなったような気がした友樹は、態度の悪い後輩と誤解された可能性を考え、足がすくんだ。


「井原、一軍に来たら一緒に練習しよう」

「はい!」


 気に入らないと思ったわけではなかったようで、友樹は安堵した。


 新藤は一年生の数人に気さくに挨拶をした。茜一郎もだ。

 どうやら中央出身の一年生に声をかけたようだ。新藤が二、三年生の練習に戻った。普段は二軍が駐車場で練習するが、一年生の紅白戦のため特別に上級生の皆が駐車場にいたようだ。


「新藤さんに声をかけられたなあ」


 茜一郎は新藤に羨望のまなざしを向けていた。


「新藤さんも中央だったんだ?」


「うん。後輩の練習に付き合ってくれる優しい人だよ。キャプテンになって納得だなあ」


 中央所属だった一年生の誰もが、かつての先輩とまた一緒にプレーできることを嬉しそうにしている。

 茜一郎がにやっとして大志を見た。


「軟式だぞ? あの人もな!」


 大志は腕を組んだ。


「ここに来てから伸びただけかもよ!」


 大志は一歩も引かないみたいだ。


「軟式からキャプテンが出たかもしれないが、リトルからも凄い先輩がたくさん出てるよ。お前ら驚くなよ」


「なんで驚くんだよ?」


 茜一郎は不思議そうにした。


 遠園リトルは岩手県内ベストエイトになったこともある強いチームで、遠園シニアは遠園リトル出身者が最も多い。

 凄い先輩がたくさんいても驚きはしない。


 だが、大志の顔やリトル出身者の顔を見ると、驚くべき先輩がいるらしい。


『あの人』ね、という顔をしている。

 同じ人を思い浮かべているみたいだ。


 なんだなんだと茜一郎たち軟式の皆が騒ぐ中、友樹は映像の中で見た優れたショートを思い浮かべた。


 もしかして、映像の中のショートはリトル出身者が思い浮かべる『あの人』なのだろうか。喧噪の中、友樹はぐっとグラブを握りしめた。


 やはりここにきて本当によかった。


 後片づけは選手だけでなく保護者も手伝うようだ。友樹の父が手伝えない母の分まで働く。友樹の母は疲れてはいるが気持ちは元気そうだった。


「友樹、ここのチームに入れるよ」


「本当?」


 紅白戦で熱中して、キャプテンに声をかけられて緊張して、そもそもここのチームで練習できるかどうか分からないということをすっかり忘れていた。


「一年生の親御さん五人に送り迎えと当番を頼めたよ。しかも、お礼はいらないって」


「よかった! 優しいんだね」


「うん。優しい。それに、友樹の実力もあると思う」


 母によると、声をかけ頼んだ拍子に友樹がファインプレーをしたそうだ。


「関係あるのかなあ」


「あるかもよ」


 母は嬉しそうに笑う。


 帰宅して、野球ノートを書いた。

 人生で一番レベルの高い試合を四ページびっしり書いたが、書きたいことがまだまだ尽きない。

 これからはどんどん書くことが増えるだろう。新しいノートを買い溜めておかないと。


 ノートを書くのを休憩して、友樹は一年生大会の動画を見始めた。

 ショートの彼のプレーばかり見ている。


 相手チームのエース相手に綺麗にバスターを決め、打点を上げている。

 七回裏で盗塁をして、勝利の決め手になっている。誰よりもユニフォームに土を付けている。


 顔は小さくしか見えないが、きりっとした目をしていると分かった。


「もうすぐ会えますか?」


 ただの独り言なのに、彼が先輩だと思えば敬語になった。

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