幕間:ゲルマント、王都へ(2)

 アスレリア聖王暦1246年、8月24日、夕刻。

 かつて黒獅子と呼ばれたその男は、再び王都ブライトハイトへ足を踏み入れた。

 黄昏色の光が注ぐ空の下、遠くに王城の雄大な黄金の尖塔を見上げる王都の通りは、王権の庇護のもと、いつもと変わらない日々の営みに勤しむ人々が行き交っている。仲間と運搬用の荷物を運んでいる業者、友人と何やら真剣な顔で言葉を交わしている学生、道端や店先で顔を合わせて親しげに笑い合う母親と子供達、そしてそれらの光景を見回る、自警団員の紋章を胸に付けた者達。かつて聖王が願ったというささやかな繁栄と安寧は、少なくともこの町の通りを眺める限り実現されているように見える。

 とても、地下で国の存亡を賭けた計画を巡る争いが渦巻いているようには見えない。

「まったく、何も知らんで平和なもんだ……ま、悪いこっちゃねえがな」

 ため息を吐きつつ、ゲルマントは重い足を動かして人波をくぐり抜け、王都の中心にそびえ立つ王城へと向かった。

 ブライトハイトの四本の大通りに面している城門は、それぞれに二人の衛兵が常駐して、警備を担当している。ゲルマントはその内、ハーメスの方角からの通りに面している東門の前に立ち、しばしその威容を眺めてから、城門を警備している衛兵の一人に歩み寄った。

 夕闇の中、彼の獅子の鬣のような髪と髭面を見た衛兵が、雷に撃たれたようにびくりと身を直立させる。ゲルマントはもう馴染みになってしまっているその様子に苦笑しながら、衛兵に声をかけた。

「よう。元気でやってるか?」

「これは、大尉殿……巡回、ご苦労様であります」

 気さくに手を上げるゲルマントに、折り目正しく敬礼を返す衛兵。どうやら彼は、ゲルマントがアルベルトからの極秘任務に就いていることを知らないらしい。

 状況を確認しつつ、ゲルマントは言った。

「王城のアルベルト・ハインツヴァイスに面会を願いたい。奴はいるか?」

「はっ。お待ちください」

 ゲルマントの言葉に、衛兵は一も二もなく返答し、城門を開ける。ゲルマントは「ご苦労さん」と衛兵に労いの言葉をかけ、勝手知ったる王城の敷地に足を踏み入れた。

 ブライトハイトの王城は、中央にそびえ立つ王城を、王城勤務者の居住区と城壁を兼ねた外周の建物がぐるりと囲み、その間に広場のような中庭が広がっているという構造をしている。王城には内部との関係者か、事前に相応の理由のもとに予約をしている者しか入れない。

(ま、免状持ってるってのは悪いことじゃねえよな)

 既に一線を退いた己の不格好さを、ゲルマントはひとり省みて笑う。

 ゲルマントはかつては王国軍の大尉であり、『黒獅子』の異名を持つ優秀な軍人だった。その名が示すごとく、若い頃は勇敢に先陣を切り、年紀を経て一線を退くようになってからも、事あるごとに部隊を指揮する立場に就いていた。若き日の活躍と経験による風格に裏打ちされた彼を信頼する隊員は多く、彼は知らぬ間に伝説の存在のようになっていた。彼らのような衛兵に顔パスが利くというのも、その伝説がまだ衰えていないからであろう。

 だが、かつての栄光が今も自分を光らせているというその事実は、権威に興味のないゲルマントにとってさほど喜ぶようなものでもなかった。彼にしてみれば、その栄光の裏には彼ら崇敬者が知らないほどの、泥を塗られるような失敗や敗北がいくつもあったのだ。自分は決して単なる成功者ではないことを、誰よりもゲルマント自身が自覚している。

 そして、そういった感情を思い起こす度にいつも思い出されるのは、あの日のことだった。

 燃え落ちる村に隊を率いて駆けつけた時、そこに倒れかけていた、黒い髪の少年。

 血の焦げる匂いの中、一振りの剣に身を持たせ、倒れまいとしていた彼の、見上げた瞳。

 そこに映っていた黒い激情は、今でもゲルマントの心に戒めの印のように刻まれている。

 降りかかる暴力を死に物狂いで払い、必死に生きようと抗っていた、燃える瞳。

 あの痛烈に燃える瞳を思い起こす度、ゲルマントは己の無力さを思い出すのだ。

 あの日、彼を救った自分の判断は、正解だったと信じている。たとえ彼が、王家に反旗を翻すような計画に加担しているとしても。

 だからこそ、ゲルマントもまた、決意は既に胸にあった。

 事の発端に、彼――ゼクシオンが関わっているということを聞いた時から、既に。

 また、彼一人に全てを背負わせるわけにはいかない。

 それは、彼の父親代わりを務めた自分の、譲れない最後のプライドだった。

「さて……さっさとあいつに会いに行くとするか」

 中庭から王城の窓を見上げ、ゲルマントはひとり呟くと、王城内へと踏み込んだ。

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