202☓年6月19日(木) 6:31 p.m.
「まず間違いなく言えるのは、一週間前に取材したこの先輩、
僕らが下校中に寄った、とあるコーヒーチェーン店。
その夕闇に包まれた駅前を望むことの出来る窓際席で、真隣に座る同級生の彼女、
こうして彼女がわざわざ口に出さずとも、そのことについては僕も概ね同意している。ただ気になったのは彼女が曵鉄錬也、かの部の部員である彼の二日前に起きた唐突な死を、原因の一端を作ったであろう彼女自身がどう思っているかということだった。
「あの人身事故による怪我で療養中だった先輩――曵鉄錬也は君の行った取材における質問において、どれも部の当事者らしい最もな受け答えをしていた。けれど今その受け答えをこうしてじっくりと吟味すると、所々矛盾めいた箇所があることに気付きます。まず冒頭に喋った部内における彼の立場ですが……」
スマホの画面をスライドさせ、一枚の写真が彼女の手によって拡大される。
曵鉄錬也のなんともいえない普遍的な顔が、ひび割れた画面中に広がった。
「一年時の彼は部活動において忙しい身であると自ら説明した。ですが直後に語る当時の三年生への批判めいた愚痴の中で、彼は自分は部内の活動においてごく簡単なものばかりしか受け持っていない、そう真逆の発言をします。それだけならばまだ言葉では説明し切れない、部内においての複雑で細かな状況があった、そう捉えることも出来ます。ですが彼は更にその後、件の
……月縄澪。
彼女はその長い説明をしている最中に自分が嫌にならないのだろうか。
たった今曳鉄錬也の通夜をその足で覗いてきたというのに、どうして彼を侮辱するような話を淡々と出来るのだろう。もしも嬉々としてそれを僕に聴かせているのなら、彼女は正真正銘あちら側の人間、あの部の人間と同種であることを示している。
そうであるならば僕もそれ相応の対応をしなければならない。そうではないことを祈るように願って、僕は牽制の意味を込めて別角度から意見してみた。
「僕らが今回の調査において念頭に置かなければならないこと……。それは調査対象である容疑者が嘘をついたかついていないかではなく、その対象が僕らを害する敵か敵でないかだけだ。そういう意味で言うならば、あの臆病者の曳鉄先輩は敵ではない。仮に敵であったとしても、脅威を感じるような相手ではなかったと思う。もしも本当に彼が僕らを敵視していたのなら、創作とはいえあの人の名前を撹乱の為に使うわけがないのだから」
――あの人。
その臆したような表現が気に入らなかったのか、彼女は熱い紙コップを持つ手を白けたようにスッとテーブルへ下げる。
そして正面のガラス窓に異様な程くっきりと映る、虚像の僕を射殺すように睨んだ。
「……月縄さん、ここらが潮時かもしれない。曵鉄錬也の急死はまず間違いなく僕らへの警告だろう。これ以上勝手に調査を続けるとなると、彼の言っていた通り、本当にあの人を怒らせることになる」
――降りると言ってくれ。
たったその一言だけを望んでいたが、彼女が言うはずもないことを僕は知っていた。
だからこそ僕は、こんな直截的な言い回しをしたのかもしれない。
彼女の間違った鋼のような意思を、さらに強固な物質へと昇華させるために……。
「
……中々冷たいことを言ってくれる。
これだけ僕らは一蓮托生でやって来たというのに、ここにきてそんな突き放すようなことを平気な顔で言うとは。
確かに僕はこの街の人間じゃない。けれどこのまま無事でいられるほど安全地帯にいる傍観者でもない。そしてそうなるよう引き摺り込んだのは、誰でもない君自身だというのに……。
「降りられるものならとっくに降りているさ。だけど降りれば僕は全てを失う。そうなるくらいならば、全てを失う前に全てを賭ける。でも君はそうじゃない。月縄さん、君はたかが九門部長に一矢報いたいだけじゃないか。そんなことをしたところで何も得られないし、何より君自身がただで済むはずがない」
「それでも」
彼女はガラス越しに行き交う人々――会社帰りや学校帰りの男女の群れを怜悧な視線で睨み据えていた。
細かな痙攣で震えた右手に持つ紙コップは、強く握られ過ぎたことで墨汁のような中身がテーブルに溢れ出ていた。
「……やらなければならないんです。あの異類異形の淫売、
彼女にしては大分詩的な表現に僕は驚いた。
本当は彼女は本を読む口実に雨の日を喜ぶような、そんな慎ましやかで大人しい女性なのかもしれない。きっとそうではないのだろうが、僕はそう思い込みたくてそれ以上言及することはしなかった。
そして僕は彼女にさよならもまたねも何も言わずに店を出ると、外の空気が思っている以上に冷え、澄んだ夜空に大きな黄色い月が出ていたことに気付いた。
――巨大すぎる満月の日は怪物が出る。
そんなチープな噂話を思い出して、僕は今さっき出たコーヒー店の窓ガラスにおもむろに振り返る。
そこにいたはずの彼女の姿はもうない。
残された紙コップの残骸だけが、ついさっきの出来事を現実として認識させた。
彼女はこの忌まわしくも満ち足りた雑踏の群れにうまく紛れたのだろうか。それとも彼女は今も僕の真後ろにいて、その研ぎ澄ました意思のナイフを突き立てようとしているのか。
――どちらでもいいか……。
呆気なくそう思うに至ってしまうと、僕は彼女こそがこの巨大な月の日に出た怪物である……そう認識してやはり雑踏の中に紛れざるを得なかった。
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