聖女ミリア(1)


 魔族を駆逐せよ。

 それは女神エリンを信奉するミリアにとっては、至上命題であり生きる意味そのものだ。


 貧しい村のに生まれ、物心ついてすぐに口減らしのために奴隷として売り払われ、一日に一度だけ与えられる黴の生えたパンと泥水を啜り、鞭に怯えながら商家の下働きとして日々を生きていたミリアを、掬い上げてくれたのは女神様だった。

 主人の気まぐれで付き添わされた礼拝で、たった一度祈りをささげただけで、かの方はミリアを見つけてくださった。すぐに神官へと降ろされた託宣にて見習いの神官として教会に引き取られることとなった直後に、与えられた温かなスープの味は何年経っても忘れることが出来ない。


 女神様は、人族を心の底から愛してくださっている。そうして人族の紛いもの、魔族こそが世に蔓延る魔獣を生み出す元凶であることに日々心を痛め、人族の幸せのために魔族をこの世界から消し去るべく人族に様々なものを与えてくださった。

 魔族に対抗する聖なる武器、祈りを深めるごとに強くなる神聖力、そして人族にだけ生まれる勇者という存在。

 残念ながらミリアは勇者として覚醒することは叶わなかったけれど、それでも勇者と共に戦うに足ると認められた聖女という称号を与えられるほどには、強い神聖力を獲得するに至った。それも全ては、女神様の慈悲によるもの。


 大変に遺憾ではあるが、未だ人族は魔族を駆逐するには至っていない。魔族が擁する汚らわしい邪神ニストが、あれらを唆しているせい。邪法を使い魔族どもの能力を引き上げ、おぞましい魔具を与え、一際強い力を持つ魔人を生み出し続けているから。

 先の戦いでは辛うじて魔族を人族の領域から押し出すことは出来たものの、油断は出来ない。次の戦いは、すぐそこに。無論ミリアも、前線に出るつもりだ。

 しかしミリアには、一つの懸念があった。先の戦いで、勇者の一人に不審な点が見受けられたこと。

 その勇者が戦闘を受け持つ地域では、兵士たちの損傷の具合が少なかった。

 それだけならいい。損耗少なく魔族を屠ることが出来るならば、それに越したことはない。

 しかしながら、その地域では不自然なほどに、魔族の死骸もまた少なかった。こちら側が圧倒していたならば、増えていておかしくないそれが他の地域と比べて明らかに足りていない。

 勇者の言い分によれば、実力が拮抗していたからこそ互いに決め手になるものに欠け、倒し切るに至らなかったということだったが、それによりミリアの疑念はますます膨らんだ。

 決め手になるものが欠けるほどに拮抗していたならそれこそ、兵士の損耗は増える方が自然だ。互いの将を仕留めきれない場合、泥仕合のように双方に被害だけ増え、戦場は地獄の様相を呈す。実際にミリアが経験した戦場はそういったものだった。


 もしや、敵方と通じているのではないか、と疑いを抱くのは自然なことだろう。相手方と示し合わせて適当に戦っているふりをしているのだとすれば、到底許せることではない。女神様から力を与えられた存在だというのに、女神様のお心に背くような行動をするものは、最早魔族に堕ちたと同義。粛清の対象だ。

 とはいえ、疑念だけで勇者という存在を貶めることは出来なかった。教会内においては、聖女という称号をもってしても勇者という存在を超えることは出来ない。勇者とはつまり、女神様の愛を一番近くで受けている者なのだから。

 だからこそ許せない。女神様からの信頼を裏切るようなことは、絶対に。

 そこには己より女神に愛される存在への、無自覚の嫉妬も含まれていたために、エリンはより頑なになっていた。

 万が一、次の戦いにおいて不審な行動を取れば、たとえ差し違えたとしてもかの勇者を討つべし。

 束の間の休息、教会に訪れた善き信者に向けて柔らかに微笑む聖女は胸の中、密やかに決意していた。


 

 ――いよいよ、かの裏切り者を討つ時が来た。


 来たるべき戦いの前日。

 戦を目の前にして高揚する仲間たちの中、ミリアも同様に闘志を燃やしていた。

 そこには当然、魔族に対する戦意もあったが、それを上回る裏切り者への殺意の方が大きい。

 一度不審を抱けば、何もかもが怪しく見えてくるのは世の道理。

 戦準備の最中、さりげなくかの勇者を観察していれば、一つ、また一つと不審に思う点が増えてゆく。

 例えば、作戦会議の最中にぼんやりと集中を欠いた様子を見せていたり。例えば、己の率いる隊にあまり戦に積極的でない面々を引き入れていたり。例えば、ふとした瞬間に人のいない場所に一人消えゆく様を見せたり。

 一つならば気のせいだと思えるような些細なことだとして、それがいくつも集まれば十分に疑念を抱くに足りる。既に不審を抱いていたミリアにとっては尚の事。既に彼女の中で、かの勇者は裏切り者であるとほぼ確信持って断じるに至っていた。


(殺す。殺してやる。絶対に)


 多少強引な手を使い、かの勇者が率いる隊に聖女隊として同行することは了承させた。それに対してもあまり良い顔をしてみせなかった勇者に、また一つミリアは確信を深める。

 勇者、いや、最早勇者とも呼べぬあれが率いる隊全てが魔族と通じている可能性は否定出来ないが、ミリアの聖女隊は全てミリアの意を汲んで動くようになっている。たとえ周りが全て敵となったとして、ミリアを含めた聖女隊は元より命を惜しむ気はさらさらない。

 至高の存在を裏切るあれを取り除けるなら、刺し違えたって構わない。万が一、仕留めきれなかった場合の根回しも済ませている。どう転んだって、この戦場があれの最期だ。


(ああ、女神様、女神様、どうしてあれから勇者の力を取り上げないのでしょうか。いいえ、いいえ、女神様を疑うなんぞもってのほか。ええ、ええ、分かっております。慈悲深き女神様のこと、あれが改心するための機会を与えて差し上げたのでしょう。しかしあれに、女神様の慈悲はあまりにも勿体ない。あれは汚らわしい裏切り者です。魔族に心を売った憎むべき敵です。そうです、だからわたくしが、女神様のお手を煩わす前に必ずあれを討ち取ります。うふふ、憎き敵を屠ったら、女神様はわたくしを一層愛してくださるかしら。大儀であったと、託宣の一つでも……ああ、わたくしったらなんて罪深いことを。女神様にお言葉を賜ろうなんて。……でも、でも、もしかして。憎きあれが消えたならば、新たな勇者が生まれる可能性は高いもの。その新しい勇者としてわたくしが、女神様の愛を、……ふふっ、いけないいけない、はしたないことはいけないわ。でも、でもでもでもでもでも、だってだってわたくしが一番あれを取り除くために働くのだから、きっと女神様だってわたくしのことを目に留めるはずで、ああ、どうしようかしら。勇者になったら、ええ、そうよ、討ち取った瞬間にわたくしが勇者として覚醒する可能性だってあるのよ、そうしたらすぐさま敵陣に斬り込んで、魔人をいくつもいくつも討ち取り女神様に献上して、今度こそ魔族を根絶やしにする、ええ、そう、このわたくしが、ふふ、うふっ、うふふふふふ、そしてそして、女神様が顕現されてわたくしに、)


 教会の女神像の前。戦の前に、一層深き祈りを捧げている、ように見えて自身が英雄となった妄想を繰り広げていたミリアだったが、残念なことにその妄想は途中で強制的に中断させられることとなった。


『やあ、初めまして。愛すべきこの世界に生きる生命体どもよ。

 我は暗黒閃光魔大王終焉フィニスである』


 教会の上空に突如として出現した謎の少女によって。

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人外が配信者デビューして生命体どもを振り回す しらす @shirasumi

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