第11話 逃走
完全に日が落ちるのを待ってから
ボクは酉の宅を出た。
薄闇の中、
南の方へ視線を向けると
坤の宅の灯りが見えた。
ボクは小説に書かれていた屋敷の見取り図を
思い出した。
敷地の北東の艮の方角は
陰陽道では鬼門とされているが、
そこに屋敷の入口である高麗門があった。
ボクは一度大きく深呼吸をしてから
北回りに歩き出した。
真っ暗な乾の宅の前を通り過ぎると
窓から灯りの漏れている子の宅が見えてきた。
本宅の妻子と離れて一人で生活するという
異様な状況について訊ねた時、
頼朝の表情に諦めにも似た感情が浮かんだのを
ボクは見逃さなかった。
きっと頼朝も寂しさを感じているはずだ。
そしてその寂しさを紛らわせるために
裏庭の植物を可愛がっているのではないか。
一方。
妻子である政子と頼家は
夫であり父である頼朝のことを
どう思っているのか。
そんなことを考えながら歩いていると
闇の向こうにぼんやりと浮かび上がる
高麗門が見えてきた。
ボクの足は自然と速くなった。
「どちらに行かれるのです?」
閉じられた門に手を掛けようとしたその時、
背後から声がした。
不意のことに
ボクは心臓が飛び出るほど驚いた。
恐る恐る振り向くと、
強い光が視界を遮った。
ボクは反射的に手をかざした。
「日没後の出入りは禁止されています」
声の主は竹千代だった。
「ま、眩しいです。
そ、その灯りを消して下さい」
「これはこれは。
申し訳ありません」
次の瞬間、視界がフッと暗くなった。
「日没後の出入りは禁止されています」
竹千代は同じ言葉を繰り返した。
「・・浴場でしたら午の宅になります」
そして竹千代はボクを真っ直ぐ見たまま
事務的に答えた。
「そ、そうでしたか。
えっと・・午の宅はどちらに・・」
ボクは竹千代の勘違いに便乗した。
「ご案内します」
竹千代はゆっくりと歩き出した。
ボクは小さな溜息を吐いてから後に続いた。
「リーリー。リーンリーン」
美しくも悲しげな虫の音が聞こえた。
「・・竹千代さんは、こんな時間にどちらへ?」
前を歩く竹千代にボクは問いかけた。
「屋敷内の見回りです。
あのような脅迫状が届いた以上、
不審な者が忍び込んでいる可能性があるので」
竹千代はそう説明したが、
それが建前であることは探偵でなくてもわかる。
外部の人間が夜霧家の相続問題に
興味があるはずがないのだ。
竹千代はただボクが逃げ出さないように
警備をしていたに違いない。
そしてそれは竹千代の意思ではない。
恐らく姫子の意思でもない。
それはこの物語の作者である
詠夢の意思に他ならない。
ここが物語の世界だと
ボクは改めて意識させられた。
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