第35話「雷光と冷気」

 夜の人気ひとけのない静けさ。肌に突き刺さるような寒気が、森林地帯を行く者たちに容赦なく襲い掛かる。


 森林地帯そのものが江取家の犬神の犠牲になった動物たちの墓場であり、浄化されなかった分、大きな淀みとなって未だ滞留し続けている。夜上柚希が留方寺前に押し寄せていた呪いの海を浄化した余波により、落ち着いてはいるが根本的な解決には至っていないためか、あちこちから汚染された魔力が霊脈から漏れ、彼らの道行きを邪魔する。

 並みの対呪詛防御を施していていない者だと、この森林地帯に入った時点で精神どころか明確な体調不良などを起こし、最悪に死に至るだろう。


 そんな、未だに悪影響が残る森林地帯を三つの影が走る。


「随分と汚染がひどいわね。ここ、本当に普段からちゃんと供養していたの? そこらじゅうから怨嗟の声が聞こえるわよ」


 暗い森の中を行きながら、柚希は耳を傾けて言った。


 目に見えないが、そこらじゅうで黒い煙のような……四足歩行の獣たちの形をして、彼女たちを睨みつけ、指向性の呪いを向ける。だが、彼らの呪いは届く前に霧散し、冷たい風に流されていった。


「おそらく龍脈の流れに手を加えたことで森林地帯に滞留している霊の眠りが脅かされているんだ。それに留方寺での供養祭もここ最近行われていなかった。そのせいなのかもしれない。……父上は、この事を見越して供養祭をやっていなかったのか?」


 公則きみのりは頭を痛めながら呟いた。


 現当主である実父の凶行の影響が彼の想像を遥かに超えていたこともあるが、それ以上にその影響力の大きさに驚愕しており、尚且つ江取家の術者としての責務の一つでもある供養祭をやっていなかったことによるツケが影響にも頭を抱えた。


 供養祭は江取家が主に使う呪術である、降霊術・犬神で犠牲になった動物たちを供養し、その影響が霊脈を通じて外に漏らさず、怪魔の発生を抑止するために行わなければならない恒例行事だ。


「多分だけど、あの『灰色の黎明会』の連中と接触し始めた頃に供養祭をやめたんじゃないかしら。供養・浄化されなかった動物霊たちの怨嗟と呪詛を霊脈に仕込むことで、各地で怪魔を大量発生させるなんてふざけたことをしようとしたというのも辻褄が合うし。私が逆の立場だったら、反対にここの動物霊たちを使わないなんてことはないわ」

「……夜上さんの言うことは確かに言える。それについても今後、細かく調査をしなければならないだろう」


 柚希の言葉に公則は納得し、今回の事件を解決した後にやるべきこととして脳内に刻む。


「! 公則さん!!」

「!?」


 頼孝が遠方からくる脅威を感じ取り、公則の前方に出た。


 そして、人間1人を容易く貫くことが出来るであろう氷の弾丸を手に持った刀で叩き落した。


「中々の反射速度だな。今のはそれなりに自信のあったルーン魔術だったんだが」


 そんな声と共に、森の奥から冷気と共に男が姿を現す。


 金髪の長いウルフカットと三つ編み、そして整った顎髭を持つ、獣を思わせる立ち姿。軽装の革鎧を身にまとった彼……、バーサーカーがいた。


「やはり現れたか、バーサーカーとやら。こうして目の前にいるということは俺たちの邪魔をしに来たということか?」


 頼孝が刀をバーサーカーに向けながら言った。


「当然だろう? オレの役目はお前たちをここで足止めすることだからな。不意打ちだろうがなんだろうが、殺すことに変わりはない。この程度で死ぬぐらいなら、ルーラーどころかオレと戦うなんざ無理な話だがな」


 手には冷気をまとった片手斧を握り、静かな殺意と眼差しを頼孝たちに向ける。

 その視線はまるで獲物を前にした獣のようで、今にも飛び出してきそうなほど。常人であれば、彼の視線の圧力を受けた時点で精神を削られ、卒倒していただろう。


「……公則さん。下がっていてくれ。コイツはオレがやる」


 異世界トヨノハラにおいて、歴戦の退魔士としての精神を有する頼孝にとって慣れ親しんだもの。泰然と受け止め、真っすぐに見据える。


「た、多々見君! まさか、君一人で戦うつもりなのかい!?」


 公則が頼孝に言った。


「現状、アイツ1人だけここにいると考えると、今のオレならコイツと真正面で戦うことが出来る。アンタは今ここで死ぬべきじゃないからな。夜上さん、公則さんの護衛、頼めるか?」

「……承知。多々見君、ここは貴方に任せてもいいかしら」

「応っ。この外人はここで斬り捨ててやるさ」

「OK。護衛、しかと任されたわ。公則さんは私が本家まで責任を以て連れていきます」


 そう言って柚希は公則を背にしつつ、バーサーカーの横を通り過ぎる。それをバーサーカーは静かに見過ごす。


「思いのほか、あっさり素通りさせてくれたが、なにか狙いでもなにかあるのか? お前の所のボスが黙っちゃいないはずだろ」

「狙い? くだらん。オレの目的は初めから貴様だ。ヨリタカ・タダミ」

「なに?」


 ニヤリと笑みを浮かべるバーサーカーの言葉に頼孝は顔をしかめる。


「今世の戦とやらは退屈で仕方なくてな。ドイツや北欧で色んな魔術師や転生者どもに戦いを挑ませてもらったわけだが、どいつもこいつもオレの相手にならんかった。やりがいがあったとすれば、ルーラーと刃を交えた時ぐらいか。一度あの戦いの味を覚えれば、もっと上質な戦いを欲するのは戦士のさがというわけだ」

「だから何を言いたい。それとオレにどういう関係がある?」


 バーサーカーの言っていることが何一つわからない。頼孝は刀を握り、敵意を向けたまま問いただす。


「ここまで言えばオレが何を言いたいのか、おのずとわかるものだろう? ……ようするに、オレは貴様と命をかけた全身全霊のいくさをしたい」

「なに?」


 想像していなかった回答に声が詰まる。彼にとってバーサーカーの言葉はよくわからないもので、理解が出来ないものだからだ。


「オレはかつて、ミスガルという異世界にいてな。部族のおさの子に転生したオレは、絶滅に瀕した部族を救うために戦った。それが正しき事であると信じ、狩り、戦術、技術、魔術……。一介の戦士、次のおさになるに相応しき男になるためとして学び、戦いをしてきた。……今にして思い返せば、あれほど血と泥にまみれた戦場いくさばは他になかった」


 昔を懐かしむかのようにバーサーカーは己の過去……、いや前世での事を語り始めた。


「部族の繁栄のために必要な戦、生まれ持った次代の長としての使命。ああ、確かにそれは正しい。だが、それがオレにとって首輪、枷でしかなかったな」

「……何を言っている。部族の長として生まれ、繁栄を願うのは普通のことじゃないのか」


 頼孝自身、そのような環境の責務を抱いた家の子に転生し、生涯を人々のために捧げて己の人生ライコウを全うし、地球に帰還した。確かに過酷なことも多くあったし、目を覆いたくなるような出来事も数多くあったが、それでも真正面から逃げないことこそ自分が自分としてあるために必要なことでもあると務めあげた。


 後悔なんて何もない。いや、全くないのかと問われたら嘘になるが、それでも他者に問われたら後悔はないと言える。


 自らの責任から目を背けず、後ろを向かず、全てが血に塗れたとしても、頼孝ライコウはそう言える。


「オレはな、ただ戦いたかっただけだ。いっそのこと、ただの戦士であればと何度も思ったさ。だが現実は上手くいかないことも多かったからな。故に、オレは長として多くの戦いに身を投じた。略奪も、鏖殺おうさつも、侵略も、戦いがあるのならなんでもした。そうしてかの大神にも認められ、一介の部族の長だったオレは気が付けば王になった。本当に―――――――、本当に、退屈で仕方なかった」

「……」


 退屈だと言うバーサーカーの顔は、非常に気だるげだった。


 まるであの日々はどうしようもなく面白くなかったと言うかのように。


「故に、オレはオレの魂に誓いゲッシュを立てた。オレが満足する戦いに出会うまで何度でも転生するってな。そして、こうしてオレの満足する戦いをもたらしてくれるだろう者が目の前にいる」


 そう言って、彼は手に持った斧を頼孝に向ける。


 眼差しは獲物を見据えた狼のように。あるいは、血に飢えたケダモノのように。


 爛々と輝く碧眼には一人の人間だけが移り、彼にとって自分を満たすための得物であるとして捉え、を突き立てんとしている。


「この魂最高の戦いを。この渇望を満たす至高の殺し合いを。この飢えを潤すために最大の流血を。この冷え切った心に熱き血を。さぁ、殺し合おうじゃないか。ヨリタカ・タダミ」


 冷気をまとい、狂戦士は片手斧を構えた。前傾姿勢になってこちらを睨みつける様はまさに獣の如し。絶対に逃がさないという意思すら感じる。


「――――――そうか。やっぱり、お前のようなヤツはここで殺さなければならぬようだ」


 意識を切り替える。


 思考はかつてのモノへと回帰し、手に握る刃に力がこもり、雷をまとう。


「我が名は多々見頼孝。前世においては退魔士・ライコウ。この場をもって、貴様を斬る」

「その意気だ。日本のサムライとやらが、どれほどオレの渇きを潤してくれるか――――――。その牙、全霊でオレに突き立ててみろ!」


 鬼の雷光。獣の冷気。


 その二つが、墓場の森にてぶつかろうとした。

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