第25話「燃ゆる宿願」

 犬立区の中心部にこの街の大地主にして犬立区の一大企業「江取工房」の本社がある。


 開発が進んでからは「江取工房」の関係企業がこの本社周辺で開業され、そこに各地のチェーン店や個人営業店が並んだ。


 根っこからの家族経営一筋で経営され、もとより余所者を嫌う江取家のスタンスは非常に根深いことでも知られている。表にはされないが、近年そのような事情を知らない若者たちが企業したベンチャー企業が「江取家の者ではない、未熟者の輩」という理由で会社ごと追い出されてしまったという話が存在するほどに。


 だが、近年の江取家に“アドバイザー”と名乗る外部の人間が「江取工房」に現れたことで状況が変わり始める。


 江取家傘下の者たち……、古くより江取家に仕えていた家臣団の末裔たちが犬立区に持つ企業の多くは本家から直接管理を任されている霊地が数多く存在する。

 それは本家が有する霊脈の大本にして霊地の要にして中心地である「龍脈」の管理にも繋がることであり、これを外部の者に管理を委託したりそれに関する情報を渡すことなぞもってのほか。保守的な江取家がそのような手段を取ることはまずありえないと業界的にも信頼されていたほどだった。


 それが現在、江取家傘下の企業4社の内、3社が外部の者……「灰色の黎明会」の者の手に渡り、霊脈の主導権の一部を握られていた。


「ホーント、あのクソジジイ、我慢強いんだから。さっさと屈服して、アタシたちに龍脈の主導権と管理権限を任せてくれたら楽にしてやれるのにー」


「江取工房」の本社のオフィスで退屈そうに回転椅子に座っている少女、スカウトがスマホ越しに愚痴をこぼす。


『スカウト。それは貴女の杞憂になりますよ。彼の深層意識はもうすぐで我々の下に落ちることになる。持って半日……。バーサーカーがルーンによる意識への介入が行われている以上、長くは持たない。ご自身のお役目を忘れはいないでしょう?』


 スマホからは柔らかな男性の声が聞こえてくる。


「わかっているわよ、ルーラー。それにアンタも大したものよねー。アタシでも初期段階であの薄気味悪い本家の呪詛型結界に入れなかったのに、アンタは軽々と解呪してあの江取家当主クソジジイをあっという間に手の内に抱え込んだワケだし。あれって、異廻術イデアの一つなの?」

『ああ。異廻術イデアの一つであることは認めよう。とはいっても、あの御老体にかけた暗示は本当にほんの一部だ。私の異廻術イデアの本質ではない。強いて言うなら、異廻術イデアの一部に魔術を仕込んだものだ。これ以上は言えないね』


 電話口で聞こえてくる口調はどこまで穏やかで尚且つ機械的。温かみがあるようで冷たさを感じさせるそれは、スカウトの耳に嫌でも残る。


「ふーん。ま、アタシには関係ないからいいけどね。それにアタシが中国で手に入れた魔導器はどうなの? アレ、アンタとキャスターの注文でしょ。何に使うの? メチャクチャ熱かったし、脱出するのにすごいめんどくさかったんだから、それぐらい教えてくれてもいいんじゃない?」


 スカウトは中国での任務で手に入れた魔導器について質問した。


『それを教える前にちょっとした雑学だ。君は八卦炉って知っているかい?』

「? それぐらい、この業界にいたら知っているわよ。中国に行く前に予習したりしたし。太上老君が仙丹をるために使うっていうヤツでしょ? ……待ちなさい。まさか、あれって……」


 自分の口で言った言葉にスカウトは表情をしかめる。


『君の御察しの通り。君が持ち帰ったアレは、太上老君が地上に遺した、古の魔導器の一つでね。西洋の魔術世界において聖遺物レリックに該当する代物。即ち、そのものだ』

「な――――――」


 電話越しに語られるルーラーの言葉にスカウトは思わず絶句してしまった。


「そ……そんなとんでもない物……。いや、だからアタシに奪わせに行ったの? ホントにイカれているわね、アンタ……」


 頭を抱えながらも合点がいき、納得するスカウト。


 太上老君とは古代中国における道教思想の開祖・老子のことであり、現在にまで続く中国の魔術組織「太虚館たいきょかん」の創設者の師匠と言われている仙人である。


 八卦炉とはその太上老君が使っていた仙丹を煉るために使う炉であり、八卦とは天地自然・事物事象を表すとされ、いわば「万象の炉」。この炉を用いることで万物を生み出すとされる、西洋における古の魔導器、聖遺物レリックである「聖杯」や「ダグザの大釡」などと同一の性質を持つとされている。

 中国の物語における「西遊記」において、孫悟空が太上老君の怒りを買ってこの中に放り込まれ、後に脱出した際に砕かされたとされている。


 スカウトが中国の魔術組織「太虚館」の支部を襲撃して手に入れたものは「八色に燃え輝く何かの窯の欠片」、つまり「砕かれた八卦炉の欠片」でそれを持っている間は体の外側と内側が焼けそうな感覚になりつつ、周囲の「太虚館」の構成員を皆殺しにしつつ、そして出張ってきた仙人一歩手前の道士たちの追撃をかわすために、近くの街や民間人、警察、軍隊などに異廻術イデアによる炎をまき散らして大炎上を繰り返し攪乱させ、最後にキャスターの作った魔導器で脱出をすることに成功した。


 そんな中国の魔術世界における至宝の一端を奪ったとなれば、烈火の如く怒りを上げるのは必然だろう。


 異廻術イデアの性質上、炎の特性で肉体と魂を保護しているスカウトなら例え八卦炉の欠片を持っていても燃えて死ぬことはないという判断だったのだろうと彼女は納得した。


「どっちみち、あれでアタシたちは中国の連中には完全に敵視されただろうし、入国するのも厳しくなったと思うけど、そこら辺はどうなの? あそこですることがないのならアタシはあっちにもう行かない方がいいと思うけど」


 今回の一件……中国で派手にやったとなれば、表向きの中国政府だけではなく「太虚館」に完全に目をつけられてしまったとなると、入国する度に激戦となることは必須だろう。特に道士ではなく仙人と相手するとなると、相性次第ではスカウトの手に余ることになる。


『心配はいらない。八卦炉の欠片を手に入れることが出来るどうかは正直な所賭けに近い試みだった。それが出来ただけまだマシだ。後は現地にばら撒いた種が芽吹けば、あちらも我々に目を向ける余裕がすぐに無くなる。『太虚館』はともかく、中国政府は我々の相手をする暇も無くなるだろうからね』

「とっくに根回し済みなワケ。とんでもない手腕ね。アンタについて正解だったわ。……言うまでもないと思うけど、アンタの計画が成功した時、アタシの目的を叶える手伝いをしなさいよ?」


 念押しをするようにスカウトは強い口調で言った。


『無論、わかっているとも。君との協力関係はそういう契約で成り立っているわけだからね。でも、以前言った通り君の目的を叶えることが出来るのは非常に難しい試みだ。何しろ、その目的を本気で叶えるとしたら。リスクの方が大きいからね。だから君の計画を成功させるには僕の計画を成功に導く方が最短ルートだ。わかるね?』

「アンタに言われるまでもないわ。アタシはいつまでもこんな汚らわしい世界にいたくないの。アタシがアタシでいられる場所に戻るために、何を犠牲にしようが構わないと決めているのよ。こっちはアンタの計画のために対価を払っているわけなんだからね」


 嫌悪感と侮蔑を込め、スカウトは苛立ちを見せる。


 彼女にとってこの世界は牢獄だ。自分に一切の幸せを与えず、何も与えてくれなかった世界。


 今の彼女にとって、地球に生まれたこと自体が間違いであると言わしめるほどに。その嫌悪感と憎悪は今も胸の内で燃え続けている。


『約束は果たす。僕はそんな同胞たちを救うために立ち上がったんだ。僕の計画が成功した暁には、必ず君の願いを叶えるために奔走するとも。それまで、今後も手を貸してほしい』

「ふん。言われなくても手を貸すわよ。それじゃ」


 その一言と共にスカウトはスマホの通話を切った。


「スカウト様! 大変です!」


 すると、ドアを慌ただしく開いた部下の声にスカウトは目を見開いた。


「なにかあったの?」


 彼女は極めて冷静に慌てることなく部下に耳を傾ける。


「このビルを中心に、突然半径300m範囲に内因結界が張られました! 恐らく草薙機関の攻撃です!」

「なんですって? このビルを中心に?」


 部下からの報告にスカウトは思わず驚く。


 ビルにはキャスターお手製の結界が仕込まれているし、従業員のいない時間帯を狙って入り込み、江取家の龍脈を完全に奪うという計画だった。万が一時間を超過してもビルを中心に構築した結界によって民間人が入り込む余地はどこにもないはずだった。


 そのはずなのに、装置の持ち主であるキャスターが結界の仕様を変更するなんてことはありえない。彼の性格を知っているスカウトは彼が事前通告なしでそのようなことをすることはないと断じている。


「まさか……。外部から


 最悪の想定が頭の中に浮かび上がり、すぐに装置がある場所へと駆けこむ。


 場所は江取家社長室。「権力者の象徴」という概念が渦巻く部屋の中に結界の基点を作り出し、ビルの屋上を中心に結界を張るという構図になっている。


 だが、社長室にあるはずの基点装置……通称「杭」がそこにない。その代わりにその杭の内側から弾けたような残骸だけがあった。


「はぁ!? 嘘でしょ!? アイツキャスターの作った“杭”よ!? どういうこと!?」


 想定外の事に驚愕し、屋上に急いで駆け上がる。


 屋上に設置されているのは江取工房に元からある結界発生装置であり、そこを通じて機械的に霊脈に繋がっている。龍脈に近い部分であるため、本来なら強力なものになるはずなのだ。


 屋上に通じるドアを開き、装置のある場所へ向かうと、そこには首や胸を刺されて絶命した部下たちの死体があり、術式を書き換えられた鉄の箱型の結界発生装置があった。


「ふざけんな! どうなっているのよ!」


 苛立ちにスカウトは怒鳴り声を上げるが、それに応える者はいない。


「よ。随分とお怒りのようだな、クソガキ」

「!」


 聞き覚えのある声が聞こえ、スカウトはそちらに顔を向ける。


 そこには撲殺されて頭部などから血を流して倒れている部下たちを背にして黒い笑みを浮かべている、灰色のスーツと上着に身を包み、三節棍「奈苦阿ナクア」を持った男、葛城かつらぎ結人ゆいとがいた。

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