第23話「記録:トヨノハラ退魔伝説・中巻」

 ……。


 …………。


「…………ここは?」


 葛城結人は、見知らぬ場所で目を覚ます。


 犬立区いぬだちくの古民家に戻って眠りについていたはずなのに、どういうわけか自分の記憶にない書斎のような場所で洋風の椅子に座っていた。


「――――――」


 周囲を見ると天井が見えないほどの高さの吹き抜けと本棚、周囲を照らす照明と自分の脇の棚に上にある大きなロウソク。そして綺麗な装丁と表紙で飾られた様々な本がふわふわと浮かんだりしている。


 円形に囲む内装という、自分の記憶の中にある異世界オクネアででも見たことのないその書斎は、あまりの異様さに結人は息を呑む。


「やぁ、こんにちは。葛城結人君」

「!?」


 突然声を掛けられ、結人は椅子から反射的に立ち上がって振り向く。


 そこにはたくさんの本が積まれた机を前にして座る、片眼鏡をかけた柔和な表情の男性がいた。


 格好も昭和か大正時代の文豪を思わせるような和服に身を包み、知性を感じさせる柔和さの優男。手には非常に分厚い本を持っており首元には見たことのない形のレトロな感じの懐中時計をぶら下げている。


「誰だ、アンタ。ここはどこだ。俺のこと知っているなら、返答次第ではどうなるかわかっているよな?」

「あははは。これはとても辛辣だ。私の知っている通り、いやイメージ通りの人間って感じだね、君は。安心して。私は君を傷つけるつもりなんてないし、そんな意志もない。ここはちょっとした書斎……。記録領域のようなものさ。まぁ、夢の中の出来事だと思ってくれたらいいよ」

「……」


 男の言葉に結人は殺気……もとい毒気を抜かれた気がして、殺意を収める。どうやらこの男に敵意も何もないし何かをしようというわけではないらしい。


「さて、あまり時間がない。私と縁が出来てしまった以上、君には。無理強いをするつもりはない……と言いたい所だけど、今後の君のためにも知る必要があるというか。彼の事をよく知っていた方が君にとっても有益になるさ」


 男は片眼鏡の向こうの金色の瞳を向けながら、真っすぐに結人を見る。


「……」


 彼からは敵意も何か策を弄しているようにも見えない。

 なので、結人はひとまず椅子に落ち着き、男を見据える。


「ああ、わかってくれたのかい。うん、物分かりの良い人間は好きだよ。それでは、読書の時間だ。ごゆっくり」


 男はそう言うと、手に持っていた巻物のようなものを結人に向けて開いた。


「……!?」


 すると、結人の意識は男の開いた巻物に吸い込まれるような感覚に襲われ、全身の力が抜け、椅子に身を委ね、夢の中で眠るという不思議な。体験をするのだった。






 ◇◆◇






『ライコウよ。お主も元服し、我が家に伝わる多くの武道を修めた身。我が家宝、妖切荒綱を受け継ぐに相応しい』


 異世界「トヨノハラ」で成人した彼は家全体の祝福と共に家宝の退魔の刀「妖切荒綱」を受け継いだ。


 代々、次の当主になる者はこの退魔の刀を受け継ぐことが習わしであり、これを受け継いだ次期当主はその生涯を妖を倒すことに費やすことになる。それは彼がこの世界に転生してきて、現在に至るまで自分の使命だと言い聞かせてきたことだった。


『お任せください。人界、衆生に仇成す妖共はこのライコウが打ち倒してみせます』


 現代日本と違い、この世界では明確に殺し合いが生業としてというものが存在する。特に異世界「トヨノハラ」には、妖という明確な人類の敵が存在するため、それらの脅威から人々を守るのが責務である家に生まれた彼にとってそれは避けられぬ宿命であった。

 現代日本に住んでいた人間の魂と記憶を有しながら、ライコウはその宿命を受け入れ、その家に生まれたことに意味があるのではないかと考えた。


『兄上。どうか、ご無事で帰ってこられますよう、お願い申し上げます。もしものことあらば、私が共に参りましょう』


 そう言ったのは、同じ家で生まれながらも女であったことを理由に親類の寺に預けられていた妹。名はムツキといった。


 身目麗しい美女で早熟だったからか、ライコウと背丈が変わらず、大人びた美しさを持った女だった。華奢ながらも力強いその佇まい、そして刀を持てばライコウにも負けず劣らずの勇ましさを持つ女武者。

 ……もしも、同じ家に生まれなければ、彼女はきっと蝶よ花よと愛され、戦いとは無縁の静かな日々を送っていただろうとライコウは後に語った。


 だが、如何に武者修行まで努めていたとはいえ、ムツキは大事な家族だった。家族を危険な目に遭わせられない


『ダメだ。オレはこの家と家族、そして都を守るためにこれまで修行を積んできたんだ。お前に戦わせるわけにはいかないよ』


 何度も何度も言いつけを守るように言って聞かせて、妹が戦場に出るようなことは避けなければならないと考え、見送られる度にそう言った。


 初陣は都で発生した妖の一団との戦いだった。どういう原理でそうしたのかはわからないが、都を守る結界を素通りして内部で多くの人々を殺し始めていたことで、現場により近いライコウの家に白羽の矢が立った。


 妖の姿は千差万別だったが、前世の地球での知識も相まってほぼ似たような姿をしていた。鬼のような姿をした妖、獣から派生した魔獣のような妖、空を飛ぶ魔鳥の如き妖、人の怨霊から生まれた妖など。上げていけばキリがない。

 この時は鬼の姿をした妖たち。人間に姿を擬態し、何者かの手引きを受けて結界を素通りしたのだという。


 人外の者との戦い。恐怖はあったかもしれない。怖かったかもしれない。こういう時に前世での記憶というものは本当に邪魔になると何度も考えたことがあった。

 だが、“そんな気持ちは邪魔だと”棚上げすることで静かに、冷徹に妖たちと戦うことが出来た。これが退魔の刀の加護なのかと考えたこともあったが、そんなことはなかった。


 単純に出来た。後に自分はそのように答えを見出した。刀を握り、意識を集中させ、ただ妖を斬るという一念に集中させれば、どのような命であろうと精神が削られることはなかった。

 地球にいた頃の剣道で、いびり目的で格上の相手をさせられた時も集中していたら恐怖も何も無くなったことがあった。だからきっと、元々から本心を切り離して行動する、自己暗示のようなことが出来ていたのだろう。


 初陣は無論、完璧な勝利に終わった。言いようのない充実感と達成感。同時に得た、自分がやるべきことたる使命感。


 一切の妖を滅ぼす。それが、異世界に転生したライコウの指針となった。


 それからは何度も何度も妖が出る度に馬を走らせ、部下と共に妖を斬り続けた。本能と欲望のままに人々を襲う妖に手加減する意味も慈悲を与える理由も何もなかった。


 優秀な部下たちにも恵まれ、婚約者も得て、果てがないとしても十分だった。


 ―――――――――たった一人の妹の本性に、気づかなければ。






 ◇◆◇






 それは本当に突然のことだった。


 一時の平穏を迎えていた都に発生する鬼たちの数が急激に増え始めた。犠牲者の中には民以外にも家の者や貴族までにも被害が出始め、大きな混乱を迎えていた。


 組織的な鬼による殺戮によるものと見たライコウは配下たちと共に調査・殲滅をしながら、犯人の下へとたどり着こうとした。


 ……だが、ライコウはある疑念を抱えていた。


 妹のムツキ。隠し事が苦手な彼女はある日を境に外出することが多くなった。父から婚約者を紹介されても拒否をしたり、外出したと思えば都の外に赴くこともしばしばあった。


 この時既に三十路を超えていたが、なぜそうするのかという疑問があったライコウは配下に命令をして妹を追跡した。だが、優秀な部類に入る配下の尾行をいとも簡単に避けたりすることも増えた。

 そして、決まって同じ時間帯に妖が出現して人を襲ったりすることが多くなった。


 関連性がないとも言えない。だからといって証拠がないとも言えない。ましてや自分の妹がそんなことをするなんてありえないと、何度も自問自答を繰り返した。


 だが、その答え合わせは、妹が愛用の太刀で父を刺殺する現場を見たことで崩される。


『――――――――なぜだ』


 現場は父の自室。妹を問いただすために最初に父に話して共に訪れようとしていた時。

 血の臭いと共に父の自室の扉を開いた時、凄惨な現場を目の当たりにした。


『ああ、兄上。なぜ、と問われましたか? ええ、ええ。確かに私の今の在り様に困っておられるでしょう。ですから、真摯にお答えしますとも』


 そう答える彼女の声色は、愉悦に富んだもの。今までの人生で最も、悦びに満ちたものだった。


 彼女の利き手の右手には愛用の血に塗れた刀身の太刀。左手には苦悶に歪んだ父の首。足元にはおびただしく広がる血の池とその大元である胴体を袈裟切りでぶった切られて打ち捨てられていた。父の亡骸。周囲には斬られたせいで飛び散った血。


 そして、下手人たる妹の頭部には、見たくもないものがあった。


 妖……魔性の証たるが生えていたのだから。


『私は……。私は、生まれつきなのです。どういうえにしでこうなっているのかわかりませぬが、とうとうダメでした。私という女は、人として生きることには飽いたのです』


 そのように語る彼女の目は、ライコウがずっと見てきた黒い宝石のようなものではなく血に染まり切った赤黒いもので、その目尻から垂れる一筋のソレは―――――のようにも見えた。


『――――――――――』


 眼前の彼女を否定するように、在りし日の彼女を都合よく思い出す。




 力強さはあったけど、触れたら折れてしまいそうな儚い雰囲気があった。

                                 /今はその面影がない。


 明朗快活でお淑やかさを備えた、模範的な佇まいがあった。

                           /既に禍々しい“何か”でしかない。


 たおやかに、華やかな笑顔が向けられるはずだった。

                        /口角を釣り上げ、歪んだ笑みを浮かべている。



 ――――――――――ダメだ。彼女は、もう。


 本能的にそう悟った時、気が付けば退魔の刀を妹へと振り下ろそうとしていた。


 だが、なまくらのように意思がブレた刀の一振りは彼女には届かない。片手で自身と同じ尺の太刀を水平に構えただけの、技も芸もない防御だけで防いだ。


 気が付けば、自分の胸が鎧ごと切り裂かれていたことに、全く気づけないほど。


『――――――――――!!!??』


 声が出ない。痛みだけで声を出す気力すら無くしていた。空虚の心に痛みによる熱だけが宿ったような、そんな感覚。


『ふふ、ふふふふふふ! ええ、ええ、そうでしょう! 兄上はこれでは死にませぬでしょう! その苦悶に歪むお顔……なんておいたわしい。ですが、それでは足りませぬ』


 妹だった者が歪んだ笑みを浮かべたまま、父だった者の生首を捨てる。


『これより、この救いなき人の世を終わらせましょう。我が身を含めた全て、人も妖も神も、何もかも灰塵に帰しましょう。ですから――――――私を止めたければ、どうぞ。いつまでも、何年、何十年、幾星霜でも、私は待ちましょう』


 その言葉を残し、彼女は姿を消した。


 後に残ったものは、父の亡骸とおびただしい血、そしてライコウの胸に空いた後悔と責務だけだった。


 必ず彼女を殺す。必ず彼女を止める。


 ……彼には、もはやそれしか残されていなかったのだった。






 ◇◆◇






「……」


 いつの間にか手に持っていた巻物を手に、結人はゆっくりと椅子の上で目を開いた。


 自分の意識が巻物の中に入り、そこで物語の登場人物のように出来事を俯瞰していた。最初の時と同じで自分は幽霊のように彼らの物語人生を見ていた。


「これが……アイツの、異世界にいた頃の記憶なのか」


 筆舌に尽くしがたい感情のまま、ポツリと感想をこぼす。


「ええ。退魔の家に生まれ、それまでも順風満帆に生きてきた彼は妖となった妹の手によって家が壊滅状態に追いやられ、彼自身も重傷を負いました。中々に凄惨な出来事で、この事件が異世界にいた時のライコウに大きな影響を与えたのは間違いないでしょう」


 男が椅子に座り、手に巻物を持ったまま語った。


「だが、肝心の結末はどこにある? アンタが俺にアイツを理解させるというのなら、結末がどうなったのかを知る必要があると思うが」


 先ほど見た記憶はあくまで「ライコウの人生の転換期」と言える場面だ。そこから先、彼がどのような結末を迎えたのかまでは見ていない。


「それにつきましてちゃんと理由がありまして。この先の結末を知っても、貴方には意味がないのですよ」

「意味がない?」

「はい。現に多々見頼孝は今地球人類の一員として生きていて、弦木家本家での彼の言葉を聞いてわかるように、彼にとって本来在るべき多々見頼孝の人生は死後に見る夢だと断じている。先ほどの記憶は、それを知るための大前提となります。ですから、彼の結末を見たとしても意味がないのですよ」

「……言っていることがわからん。それなら尚更見るべきじゃないのか。なにか都合が悪いのか?」


 男の言葉に結人は顔をしかめ、問いただす。


 男の言っていることは矛盾していて、頼孝のことを知る必要があるのにその大前提として先ほどの惨劇の記憶を見せ、事の結末を見せても意味がないと言う。

 それなのにそれを見せないということは、何か都合が悪いのではないかと結人は考えた。これは彼じゃなくてもそう疑問に思うことだろう。


「いいえ。そもそも貴方には他人に興味がないと言っておきながら、その実他人をよく知ろうとする。興味がないのなら、他人との関わりを持つこともなく、ただ一人で事を成すことが出来るのにそうしない。私自身もそれが。興味がないのに他人を理解することが出来るというのは、実に矛盾した話だと思いますがね」

「……」


 男の言葉に結人は反論せず、沈黙する。


「沈黙は是とさせていただきますね。この記憶の結末を本人から聞くか、それとも読み取るかは貴方次第です。私に出来る小さな手助けの一つだと思ってください」

「!?」


 すると、結人の体が急に浮遊感に包まれ、書斎の出入り口の扉に吸い込まれゆっくりと吸い込まれていく。


「あ、お伝えし忘れていました。我が名は八意やごころ。異邦から来る、貴方の夢の協力者にございます。―――――今宵はここまで」


 男……八意の言葉と共に、結人は再び意識が眠りの底に落ちるのだった。

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