第20話「鬼の夢幻」

  そのバーサーカーが現れた時、スカウトの炎によって熱されていた周囲の空間が冷やされていくのを結人たちは肌で感じた。


 まるで屋内の室内暖房によって温められていた部屋が突然、真冬の寒さに切り替わるような。それほどの急激な温度変化。結人たちの額に浮かんでいた汗が引いていき、すぐに芯にまで寒くなるほどの体感温度へと変わる。


「ユイト・カツラギ、カンナ・ツルキだな?」


 バーサーカーは単調に、だが厳かに2人に問うた。


 金髪の長いウルフカットと三つ編み、頬に刻まれた切り傷と顎髭、毛皮をあしらった北欧などで見られる軽装の革鎧を身にまとっている。両手には様々な文字が刻まれた片手斧が握られており、斧の刃からは薄っすらと冷気が溢れている。


 粗野で野生的ながらも理性と知性を感じさせる佇まいをしており、顔つきもよく見れば若々しい。立ち姿には誇り高き獣を想起させ、一瞬の油断や隙を見させてはならないと結人が判断するほどだった。


「だとしたらなんだ。そういうお前は『灰色の黎明会』のメンバーだな。市民体育館に現れた時と印象がまるで一緒だ」


 結人は三節棍を握る手に力を入れたまま、相手の様子を伺うように言った。


 彼がルーラーと共に現れた時、彼からも確かな強者の風格を感じ取っていた。スカウトは逆に隠していなかったこともあったが、緊張感が特別なかったので結人の印象には残っていなかった。


「凄まじい殺気だな。お前のような純粋な殺気のみを向ける輩はオレの知る戦士たちにも中々いないものだ。同志であれば、互いに良い仕事が出来たであろうよ」

「生憎お前らと同類扱いされるのはかなりしゃくなんだけど。それで? そうやって現れたということは、その女の仲間としてあの爺さんを殺しに来たって所か?」

「あの爺さん? ああ、トウジュウロウ・ツルキか。それはスカウトの仕事でオレの仕事じゃねぇ。だが失敗したとしても、オレの仕事を完了すれば問題ないことだ」


 バーサーカーはそう言うと、姿勢を前のめりに重心を傾け始める。革鎧から僅かに見える腕の筋肉が盛り上がるのが微かに見える。


「!! 弦木!」

「水克土・盾壁じゅんぺき!!」


 反射的に結人は環菜に声をかけ、彼女も息を合わせるように結界術による高度な防御手段……圧縮した外因結界を自分と結人の目の前に展開する。


 陰陽道に由来する、五行……陰陽思想における五つの属性を操る普遍的な魔術の一つ「五行法術」。そこに結界術の応用を持たせ、環菜は眼前に弦木家の霊脈と繋がった形での強固な結界を展開する。


 その結界の後ろに結人が立ち、左手に持ったまま右手で印を結び、環菜の展開した結界を独自に強化アレンジを施し、更に固く、結界術式の補助……反動フィードバックを担当した。


 その見事な複雑な連携と工程は僅かほんの数秒のみで、常人から見れば瞬きの間に行われた一瞬の出来事だった。


「オォォォォ!!」


 狂戦士バーサーカーは獣の如き雄叫びを上げ、結人と環菜の眼前に展開された結界に突っ込み、二振りの片手斧を一気に振り下ろす。


「ぐぅぅぅぅ!」


 そして二つの刃が直撃すると、結界が浮ける衝撃の反動を全面的に受け入れていた結人に凄まじい衝撃と激痛が走り、彼を中心に石畳がクレーター状に砕ける。


 結界を維持するために使っている右腕は内部で断裂し、鮮血をまき散らすが痛みを全く無視し、結人は左手に持つ三節棍を一本の棍に変形させ、背筋をフルに動かして一気に突きを叩き込む。


「ほう。中々やる」


 突きを叩き込まれたバーサーカーは僅かに後方に飛ぶが、それもほんの僅か。すぐに体制を建て直すと、再び攻撃を開始せんと獲物に飛び掛かり、追撃として片手斧を振り下ろす。


「そうはさせん!」


 だが、それも目の前に割り込んだ頼孝の妖刀に阻まれる。


「ほう。ヨリタカ・タダミか」


 自身の片手斧の攻撃を防いだ頼孝のその姿にバーサーカーは、笑みを浮かべながら名を呼んだ。


「多々見? その姿は……」


 援護された結人は目の前の頼孝の姿に目を見開く。


 まず彼の持つ刀。先ほどまで、静かに魔力の電気をまとっていた妖刀が、その姿を変えていた。


 さっきまで見た目が普通の日本刀だった、妖刀「妖切荒綱」がまるで生物的な造形の拵えの赤黒い異形の刀と化している。


 そして、その刀を握る頼孝の姿はまた変化していた。


 頭部のこめかみには2本の真っすぐな黒い角が生え、全身の筋肉量が増え身長も伸びており、極め付きには頼孝は平安時代の鎧武者を彷彿とさせる黒い全身鎧姿になっていた。口には鬼の口のような面頬を着けており、表情が僅かに読み取りづらくなっている。


「これが、オレの異廻術イデア。名を『羅刹らせつ招来しょうらい妖切あやきり荒綱あらつな』」


 面頬越しに聞こえるその声は重みと威圧感のある、同時に威厳あるものとなっていた。


 170cm大の結人と同じぐらいの身長で中肉中背の体格をしていたはずの彼の姿はもはや別人そのもの。いや、こめかみに生えた2本の黒い角と体から溢れる瘴気にも似た、電気を帯びた魔力を纏っている姿から、鬼武者と呼ぶに相応しいか。


「我らと同じ怪帰者フォーリナーだと? いや、違う。この感じは……」


 バーサーカーは頼孝の姿と彼が帯びているこの地球世界の性質の魔力ではないとわかっていながら、自分のような怪帰者フォーリナーではないとすぐに理解した。


「その通り。オレの異廻術イデアはお前たちのような、怪帰者フォーリナーそのものになるというものじゃない」


 頼孝はそう言うと、刀を構える。


「ある事情から、オレとこの妖刀は一心同体となった。その性質から、オレは一時的に異世界トヨノハラにいた頃の自分ライコウの姿に変身することが出来る。本当はもうちょっと隠しておきたかったのだが、こうなってはしょうがない」


 多々見頼孝のそれは、いわば変身型の異廻術イデアだ。


 異世界「トヨノハラ」で彼が使用した妖刀・妖切荒綱と融合し、後に魔性殺しの英雄として天寿を全うした「ライコウ」の姿に変身するという規格外の異廻術イデア


 異世界にいた頃の能力そのものを下ろすのではなく、異世界で生きた姿に変身することができる、破格の能力である。


「……わからんな。それほどの、有り余る力を有しながらなぜこの地球世界に味方する? その力があればお前の望むものはいくらでも手に入るだろう?」


 バーサーカーは理解が出来ないと首を傾げながら言った。


 だが、当の頼孝自身は目元をわかりやすく見開くと、残念そうに目を細めた。


「はぁ。全く、葛城のヤツがキレたり呆れたりするのもわかってくる気がするな。いちいち言わないとわからんのかって言いたくもなる」

「なに?」


 呆れたような物言いにバーサーカーは眉をひそめる。


「オレはな。そもそも。確かに、わけもわからずいきなり異世界で違う自分として生きた。だが、あの異世界でのオレライコウはこっちの世界以上に必死に生きて、やりきった。後悔があるかどうかと言われたら、そりゃいくらでもある。後悔しない人生なんてないし、それが最後まで解けることはなかった」

「ならなぜその後悔をこの世界で解消しようとしない? その後悔が、今の貴様を形作っているものなのか?」

「? いやいや。あっちでの後悔や未練はこっちでは解消できないし、今の頼孝オレには関係ないだろ?」

「なに?」


 頼孝の疑問の言葉にバーサーカーは眉間に皺を寄せる。


 後悔があるかないか。それは、生きている内に誰もが抱えるものであるし、バーサーカー自身もそれがあるからこそ「灰色の黎明会」に身を置いている。


 彼にとって成功とは名誉であり、失敗とはその名誉を失うこと。生来の戦闘狂でもあった彼は自らが生きた異世界で戦いにおける名誉の味を知り、それこそ自分の生きる意味であると知ったからこそ一人の戦士として戦い続けた。


 だが、彼は満足しなかった。だからこそ病に伏せて死ぬ前にある誓いを立てた。

 そして異世界の生を終え、何の因果か地球に帰還した時、それまでに積み上げた名誉は失われ、ただの人間となった。王ではなくなった。戦士ですらなくなった。

 故に、自らの立てた誓いのもと、再び戦いの場に戻るために「灰色の黎明会」に入った。


 やり直しが出来るのなら誰でもしたい。そういう、誰もが羨み、望むからこそ、手に届くかもしれない願いというのは甘美な毒だ。


「あっちのライコウオレは、確かに色々無くしたものもあったし、後悔や未練もたくさんあったさ。だがそれを忘れないまま、オレは後に続く者たちに遺せるものは遺して、目を閉じたんだ。オレは、未練も後悔も全部飲み込んで、ライコウオレの人生を最後まで走り抜けた。それを否定したら遺したもの、失ったモノたち全てに背を向けることになる」


 後悔も未練も、その全ては異世界トヨノハラで生きた自分ライコウだけのもの。それを否定して、その後悔や未練を地球で解くということはそれに背を向けるということだと、頼孝は語った。


「だからさ、今の多々見頼孝としての人生は、ライコウが見る夢のようなものなんだ。正直、オレにとってこの世界の未来とか善悪とか、今後の人生とか別に深く考えちゃいないしあんまり興味ない。だから、最低限でも自分が正しいと感じたこと、出来ることをやるだけなんだ」

「――――――」


 あっけらかんとしたその言葉にバーサーカーは絶句し、後ろで聞いている結人はしかめっ面をした。


 ……それは、今を生きている人間からすれば頼孝の考えは理解できないもの。


 大なり小なり、生きている以上は形はどうあれ“未来”を考えながら生きるものだ。

 なにかをしたいから生きる。そうしたいから生きるとか。そういった、目標を決めたり、そうじゃなくても現状維持のまま生きることだってある。


 だが、頼孝のソレに“現在”はおろか“未来”はない。


 異世界でやりきって、彼なりに自分の人生を生きた。後悔や未練を持ったが、それを否定しないために未来を生きない代わりに正しさ過去を抱え続けることを選んだ。


 同時に、今の「多々見頼孝という男の人生」を「英雄・ライコウが死後に見る夢」と彼は断じた。


 ……それは今を生きる人間として破綻している、達観や諦観とは違う、あまりにも理解し難き考え方だ。


 現実逃避の類とかそういうものでもなく。彼は、今生こんじょうが死した後に見る夢だと考えきっているからこそ、善悪に関して本質的に微塵も興味もなく。


 多々見頼孝/ライコウの関係性は、本来真逆であるにも関わらず、彼は異世界を生き切った自分ライコウに重きを置いているのだ。


「コイツは驚いた。オレたちが言うのもなんなんだが、思っていたよりイカれていやがる。頭お花畑と言われた方がまだマシなぐらいだ」


 そう言うと、バーサーカーは武器を下ろした。


「どういうつもりだ?」


 頼孝が刀を構えたまま言った。


「しらけた。それに時間稼ぎも出来たわけだしな。オレたちはここで引き上げさせてもらう」

「な……! 何を勝手なことを言っているのです! ここまでの事をしておきながら、貴方たちを逃がすとでも……!」


 環菜がそう言って近づこうとすると、それまで刀剣類のぶつかり合う金属音や魔術行使による炸裂音が響いていた弦木家本家の各地から銃声が聞こえ始めた。同時にそれまでの戦いの音が消え、途端に静かになった。


「それじゃあな。来たければ来い。来た時には、お前たちを戦士として迎え撃ってやろう。スカウト」

「わかっている、わよ!」


 すると、いつの間にか回復していたスカウトが手に何か宝石のようなものに魔力を通して握りつぶすと、2人の姿が一瞬にして消えた。


「くそ、また空間転移か!」

「魔力の痕跡も消えている……。くそ、なんてことです……!」


 結人は追いかけようと試みたが、時すでに遅し。環菜はまたしても逃げられたことに拳を握るのだった。


「逃げられてしまったか。まぁ、よい。いずれ追いかけ倒すのだからな」


 頼孝はそう言うと、元の姿に戻った。その声には緊張感も威圧感も何もない。まるで日常会話のように。


 かくして、後に日本の魔術社会で「弦木本家襲撃事件」として名が残る事件はここで終わるのだった。

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