改めて決意を
「……ここは?」
ボーッとした様子で、湊はそう口を開く。
湊が居る場所はどことも分からない湖の真ん中で、美しい夕陽がその場を照らしている。
湖の真ん中にポツンとある社……そこに湊は居た。
まるで世界そのものから切り離されたような不思議な感覚があり、湖に浮かぶ無数の灯篭が更にそれを強くする。
「なんだここは……?」
明らかにどこかの家の中というわけではないこの場所で、柔らかなベッドの上に湊は体を預けている。
はて……自分は何をしていたんだったか?
それを考えた時、湊の脳裏にはいくつもの光景が蘇る――助けようとした善意の果てで……湊が助けようとしたせいで、目の前で亜人たちがその命を散らした。
「っ!?」
それを思い出した時、湊は体の体温が急激に冷えていくのを感じた。
首から上が飛び散るだけでなく、噴水のように血飛沫が上がるあの光景は二度と思い出したくないもの……だがしかし、湊の記憶に強く刻み込まれている。
「……俺のせいなのか?」
そうだよと、誰かが囁く気がした。
今回の一連の流れは、本来であれば起きなかったことだろう――いや、もしかしたら語られていないどこかで起こっていたかもしれない。
けれど今回のことは……湊が動いたからだ。
フェンリルの出現からフランとの出会い、そして今回のこと……たとえ彼らに悲惨で凄惨な未来が待っていたとしても……それでも彼らの最悪な最期を呼び込んだのは他でもない自分のせいだと湊は考えた。
「……くそっ」
こんな残酷なことが多い世界だからこそ、湊は助けたいと思った。
湊が好んでいた異世界転生系の小説……中でもゲームの中や、存在していた物語の世界に入り込み、起こる悲劇を回避していく話は多かった。
そんな風に湊も助けたかった……けれど、現実は小説のように上手くは行かなかった。
「……………」
湊は覚えている……首輪が爆発する前の恐怖に塗れた表情を。
それに気付き、恐怖の後になんてことをしてくれたんだと湊に対して向けられた憎しみの目を……。
自分の中の何かが揺らいだその時、湊の鼓膜を優しい声が揺らした。
「あぁ……かわいそうなあなた様。だから言ったでしょう? 妾の傍に居れば、悲しむことも辛いこともないのだと」
そんな声が聞こえたかと思えば、ふんわりとした柔らかな物に顔が沈んでいき包まれる。
これは何だ、そう思うと同時に声で誰かが分かった。
「ユズリハ……?」
「はい、あなた様のユズリハです」
ということは……この柔らかくも温かい物はユズリハの胸?
そう明確に認識した湊だが、この状況で恥ずかしさや羞恥のようなものが脳裏を占めることもなく……ただただ包まれ、頭を撫でられる感覚に身を委ねている。
「言ったでしょう? 妾の傍に居れば、あなた様があのような辛い現実に目を向けることさえしなくて良いのです」
「でも……俺は――」
「あなた様が考えている以上に、この世界は残酷なのです。どんなに頑張っても報われないものがある……どんなに頑張っても助けられない命がある……あなた様はこれからずっと、それと向き合わなければならない。あの光景よりも悲惨なものをもっと見ることになるかもしれない……あなた様の心はそれに耐えられるのですか?」
「……………」
その言葉に、湊は何も言い返せなかった。
タナトスに助けられた時、帝国に行った時……その時にも悲惨な現場を目にしたが、あの時と今回は訳が違う。
「妾にはどうして、ミアとタナトスがあなた様の現状を良しとしたのか理解が出来ません。だってそうでしょう? あなた様はどこまでも普通の人なのです……あぁ、誤解しませぬように。あなた様はこの世界に染まっていない人という意味です」
「……………」
「あなた様、妾の胸の中はどうですか?」
どうとは……?
そう思い顔を上げると、そこにあるのは優しい視線を向けてくれるユズリハが居る。
豊かで母性を感じさせる膨らみが安心を齎すのではなく、ユズリハがこうして全てを包み込むような優しさを向けてくれているから安心するのだと湊には分かる。
(ここに居れば……ユズリハの傍に居ればあんな光景を目にする必要もない……? 俺のせいだ、そう言うことも無くなる?)
彼女に聞こえるか分からなかったが、湊は小さな声で安心すると口にした。
「そうでしょう? ねえあなた様、どうかここに居てください。心だけでなく、全てでここに居てください。ここは妾の空間で、妾以外は入ることのない場所です。ここで永遠に愛し合いましょう? 妾とどこまでも、何人たりとも邪魔が入らないこの場所で」
頷けば……頷けば全てが終わる。
ユズリハに身を委ねれば、彼女は一切の嘘偽りがないようにその通りにするだろう。
この世界で……永遠の時をユズリハと過ごす。
煩わしさや悲しみ、苦しみを捨ててユズリハと愛し合うだけ……それは何とも心地良く、何とも幸せなことだろうと湊は思う。
(……いや)
だが、湊は違うと首を振った。
確かに今回のことは湊の心に傷を負わせただけでなく、何が正しいのか分からなくさせてしまった。
けれど……それでも湊は歩き出したのだ。
頼りになる仲間と共に、既に動き出し手を差し伸べて救った命が確かにある……それを全て投げ出して、自分だけこの甘い夢に浸るなどダメだと湊は思ったのだ。
「ごめんユズリハ。とても魅力的な提案だけど断る」
「……え?」
まさか拒否されるとは思わなかったのか、力の抜けたユズリハから簡単に離れることが出来た。
「確かに……確かにショックだった。あれは……あまりにも辛い現実を突きつけられた気分だったよ。だけどその前にごめんユズリハ……君の同胞を俺は助けられなかった」
「あ、その……謝らないでください! 確かにその通りではありますが、私たちも把握出来ていなかったことです……なのであなた様が頭を下げる必要はありません!」
どうやら、あのことはユズリハも知らなかったようだ。
やはり物語の片隅で片付けられていた出来事というわけか……しかし、ユズリハが彼らの死に胸を痛めていたことは彼女に抱かれている中で気付いていた。
何故知らなかった、何故気付けなかった、何故助けられなかったんだとユズリハの嘆きを確かに湊は感じたのである。
「俺は無力だよ。俺一人じゃ何も出来ない……でも俺には力を貸してくれる仲間が居る。だからこそ、ただでさえ真っ暗で絶望ばかりの世界だけどやれることがあると思ったんだ……それで助けられた人は居るし、ミアとタナトスは力を貸してくれている……こうやるんだと決めて、それを途中で投げ出すなんてあまりにも都合が良すぎるだろ?」
「ですが……ですがそれではあなた様が傷付くだけです! どうして、どうして分かってくれないのですか!? 妾はあなた様のことが何よりも大切で、その心さえも守りたいだけなのに! どうして妾の言葉にあなた様は頷いてくれないのですか!?」
涙を流しながらユズリハは叫ぶ。
ユズリハにも色々と考えがあり、彼女の本質がどちらかと言えば人間への憎しみで動く側であることは分かっている……それでもそんな邪悪寄りの魂を持つ彼女がこうも言えるのは、指揮官としての湊と過ごした記憶があるからであり、そんな湊を守りたいと本心から願っているからだ。
「頷けるなら頷きたいものさ……むしろ、ユズリハと最初に出会ってたらすぐに頷いたかもな――ミアやタナトス、フランやローレインと同じように思い入れがあるんだぞ? めっちゃ大好きなキャ……人なんだから」
更に、湊は言葉を続ける。
「それでも既にやろうとしたことを投げ出したくないし、手を貸してくれるみんなを……俺を慕ってくれる人たちを投げ出したくない――ユズリハの提案に頷いたら絶対に後悔するって分かるしな」
「……………」
「ありがとうユズリハ……君がこうして時間を作ってくれたおかげで気持ちを整理出来たし、頑張らないとって思えたよ」
ユズリハは下を向き続けているだけで何も言わない。
彼女の機嫌を示す狐耳と九本の尾は力なく倒れており、そんな姿を見せられると彼女の期待に沿えないことが心苦しくなる。
とはいえ……完全に立ち直れたかと言われたらまだ分からない。
自分のやりたいようにやろうとしたことが、ああいう形で牙を剥いてくることもこれからあるだろう……であれば、それを少しでも減らせるように最善を尽くすだけ……それしか湊には出来ないのだ。
「……以前のあなた様もそうでしたね。ですが、今のあなた様なら絶対に頷くと思っていました。だって苦しいじゃないですか」
「……………」
「妾の提案に頷いてくれないあなた様は嫌いです」
「……そうか」
嫌いと、直接言われるのは中々心に響く。
これは……彼女は仲間になってはくれないか、そう湊は残念に思ったがそうでもないようだ。
「ですが」
「?」
「……そんな真っ直ぐに進もうとするあなた様が素敵です。嫌い……嘘ですよ。嫌いになんてなるわけないじゃないですか」
ユズリハはトンと、湊の体を押した。
おそらくこれで湊はこの夢の世界から抜け出すことが出来ると、そう思えた。
「事はそう単純ではない……ですが、頑張ってくださいあなた様。そして時期が来れば必ず、妾にも手伝わせてくださいな」
「っ!?」
「いつまでもミアとタナトスに良い恰好はさせません。必ず……必ず妾もあなたの軍門に再び降りますからね! 覚えておいてください!」
そうして、湊は夢から覚めるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます