亜人
結婚してほしい。
そのあまりにも真っ直ぐすぎる言葉と、どこまでも澄んだ瞳を向けてくるフランに、湊は完全に放心状態だ。
『主よ、気持ちは分かるが我に返るが良い』
「……はっ!?」
タナトスの言葉に、湊はいかんいかんと持ち直す。
目の前に立つフランの姿は全然暗殺者には見えず……なんてことはないが、少なくとも雰囲気は包容力を感じさせる女性のそれだ。
姉御肌を感じさせる凛とした女性……これはモテるだろうなと、湊は漠然とした感想を抱く。
(……すっごいな色んな意味で)
ポニーテールにされた亜麻色の綺麗な髪、豊満な胸部……見せ付けるような露出の多い服装など……だがやはり、一番目を惹かれたのは立派に鍛えられた腹筋だ。
フランの腹筋触りたい、腹筋に腹枕してもらいたい、腹筋を舐めたいなど……プレイヤーの間でとにかく腹筋をネタにされることが多かったが、確かにこれは素晴らしいと湊は内心で頷く。
「えっと……そうやってジッと見られると恥ずかしいんだが」
「……すんません」
「あぁいや、謝る必要はないさ……それでどうだ? 結婚の件は考えてくれるかい?」
「……………」
そう言えばそうだったと湊は結婚の二文字を思い出す。
ぴょんと肩に乗ったタナトスは不機嫌そうに鼻を鳴らすが、ドラゴンのように見えても小さすぎるということでフランは一切気にした様子はなくニコニコしている。
「姐さん……? いきなり何を言ってんです?」
「言ったはずだよ。アタシは黙りなって」
「……………」
湊にとって見覚えのある彼もまた、困惑した表情を浮かべるだけだ。
向こう側で待機している集団も何事かとこちらを見つめているが、いつまでもボーッとしていられないとして言葉を返した。
「いきなり結婚って言われても困る……ます」
まあ、こう返事をするしかない。
とはいえこの会話の中で分かったことがある――それはミアたちのようにフランは湊のことが分からないということだ。
「そうか、確かに突然すぎたな。いくら一目惚れとはいえ、アタシの気持ちだけで先走るのもダメだったか……すまなかった」
「あ、いえ……」
やりずらい! 非常に喋りずらい!
そう湊が考えたのも無理はなく、確かにゲームのフランは指揮官に対してこのような感情を向ける描写はあったし、何より彼女は意外とロマンチストで、見た目では判断出来ないくらいに真っ直ぐで可愛らしい一面を持っている。
だが……彼女に記憶がないにも関わらず、この世界の指揮官ではなく湊に対してこう言ってくるのは正直……謎だ。
「その……アタシも良く分かってないんだけど、アンタの顔をふと見て胸の高鳴りが抑えられなくなった……だからどうか、アタシと結婚してほしい。アンタの為ならアタシは何だってやれる」
「うん? 何でも?」
「あぁ、何でもだ」
元の世界で流行ったやり取りに反応すらせず、真っ直ぐにフランは見つめてくるだけだ。
腕の中で何も言わないタナトスが気になりつつも、湊は至極当然のことを口にするのだった。
「あの……ごめんなさい。流石にいきなりすぎて……えっと、結婚はちょっと難しいです」
フランは確かに美女だ……そして何より強い。
彼女自身はか弱い女などと嘘を言っているものの、湊だからこそフランのことは分かっている。
仮にフランの背景を考えなければ、強くて金もある彼女と一緒になればある程度は安泰だろう……だが湊は現代っ子であるが故に、いきなり結婚は流石に無理だ。
「……そうか」
フランは見るからに落ち込んでいたが、後ろに控える男はそりゃそうだろと湊の意見を尊重する表情をしている。
(いきなり結婚は驚いたけど……フランが俺を覚えてないなら、記憶を頼りにこっちに来てくれってのは無しだ……いや、こう言ってくれてるならいけそうだけど……好意を利用するのは嫌だからな)
とはいえ、本当に突然すぎてストレートな結婚宣言もどこか現実味がないが……。
『主よ、そろそろ帰ろうではないか』
腕の中で黙り続けていたタナトスもいよいよ限界らしい。
ドラゴンとはいえ彼女もまた湊を慕う存在なので、自分を放ったらかしにしてフランを構う姿は面白くないのだろう。
もちろんタナトスの声はフランたちに聞こえていないが、湊は分かったと頷く。
「とにかくそういうことなので……ごめんなさい。やらないといけないことがあるので帰ります」
「ま、待ってくれ!」
伸ばされた手に湊は引き留められる。
ガシッと握られた腕はビクともせず、湊では絶対に力づくでは離れることが出来ない。
「今回は諦める……だが、アンタの名前を教えてほしい。アタシはフランって言うんだ」
「……湊って言います。よろしく」
「湊……湊……あぁ! よろしくな湊!」
不覚ながら……いや、何も不覚ではないが湊はフランの笑みに一瞬とはいえ魅了された。
(やっぱお姉さんの笑顔ってのは凄いんだなぁ……)
ミアの笑顔も当然凄まじい威力を持つが、湊より長く生きる年上のフランにはまた別の魅力がある。
ユズリハ? 確かに彼女も年上だがアレは何百歳も上……これに関しては少々黙っておこう。
「それじゃあ帰る……タナちゃん?」
影に潜る瞬間を見られるわけにはいかないため、この会話を最後にこの場を離れようとしたが……タナトスが何かを見つけたようだ。
「さっきから気になってたんだが、それは湊のペットか?」
「え? あぁまあそんな感じです。可愛いでしょ?」
「可愛い……う~ん、見た目はドラゴンだがこんなに小さいわけがないしワイバーンというわけでもない……珍しいな」
ちなみに、ワイバーンと言った瞬間にタナトスが更にすこぶる機嫌を悪くしたのは湊も気付かなかった。
『主よ、東の方角から強い憎しみを感じる』
「憎しみ……?」
なんだそれはと気になった湊は、タナトスが言った方角へ歩く。
何故かフランとお付きの男も付いてきたが……気にせずに足を進めた先には旅をする集団があった。
それはただの集団ではない……何故なら数人の亜人が鎖に繋がれた状態で人間に無理やり歩かされていたからだ。
「あれは……」
「おそらく亜人を売るために闇市へ向かう途中だろう。だが、随分と質の悪い亜人のようだな……病気もありそうだし、何より今にも倒れそうだ」
説明してくれたのはフランだが、湊はたまらず口を挟む。
「フラン、質が悪いとか言わないでくれるか? 亜人も人も何も変わりはしないんだから」
「……そうだな。すまない湊」
おそらく、フランにも悪気があったわけじゃない。
ただこの世界において人間と亜人の間には明確な壁があり、あんな風に人間に捕らえられた亜人の末路は奴隷として使い潰されるか……薄汚い人間に売られて性奴隷にされるかしかない。
もちろん全てが全てそうであるとは言わないが、それだけ人間と亜人の間にある壁は厚い。
(タナちゃんが言った憎しみってのは……そういうことか)
その憎しみとは、自分たちを売ろうとしている人間に対する亜人たちの憎しみだ。
自由を奪われ、尊厳を奪われ、生物としてさえも見られないことに対する憎しみ……そしてその憎しみが積み上がることで、後に亜人たちによる人間への復讐の幕が上がる。
それこそが亜人族の侵攻。
『主よ、どうするのだ?』
「決まってるだろ……俺は助けたい」
あんなの見てしまったら助けないわけにもいかない。
果たして湊が誰と喋っているのか、それをフランは気になっているはずなのに一切聞いてこない。
だが、今の呟きに返事をしたのはタナトスではなくフランだった。
「分かった。じゃあアタシが周りの人間を片付けよう」
「……え?」
そのまさかの提案に、湊だけでなくタナトスも驚いている。
「姐さん? 良いんですかい?」
「好感度稼ぎは重要だろう? それに、何となくアタシが感じていた湊の不思議な部分が分かった気がするよ――なあ湊、アンタはこの世界に生きるアタシたちと何かが違うね?」
それはあまりにも的確過ぎる指摘だった。
黙り込んだ湊を見てフランはクスッと微笑み、詳しいことは聞かないと言って腰に差す二本の刀を手にした。
宝剣のような輝きを持つ二振りの刀だが、フランの魔力に呼応するように刀身が不気味に赤く揺らめく……まるで今まで吸ってきた血を思わせるかのようだ。
「さっきも言ったがこれは好感度稼ぎで、アタシ自身にはあの亜人たちに対して思い入れは何もないよ。けど、アンタが助けたいと言ったからアタシは手を貸す――惚れた男のために目立ちたいってのは女として至極当然のことさね」
そう言ってフランは駆け出し……ものの数分で亜人たちを連れていた人間は全て無力化された。
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