突然の……

 タナトスの一撃により、フェンリルは消滅した。

 湊からすれば本来見えるはずのない距離ではあるものの、タナトスの魔法によって強化された視力ならば確かめることが出来る。


「マジモンのフェンリルだったな」

『うむ、まごうことなきフェンリル……我からすれば雑魚には変わりはなかったな』

「あれを雑魚って言えるのはタナちゃんくらいだよ……つうか、ゲーム的ステータスというか実際はあんな感じなのかな……とまあそれは置いておくとして」


 もちろんフェンリル以外にも目にする存在は多くあった。

 倒れ伏すフェンリルを呆然と見つめる多くの人々……その中には特に懐かしくもない指揮官の姿もあって、少しばかり湊は凝視してしまう。


「……うん?」


 その時、指揮官と目が合った気がしたのである。

 単に見間違えの可能性もあるし、そもそも視界を強化している湊と違ってただの指揮官が見えるはずもない……おそらく。


「建物もボロボロになってたな……フェンリルが出現するなんていうイレギュラーはあったけど、まだ戦いは終わらないんだろうな」


 実際のストーリーではクーデターが発生してから完全に問題が解決するまで二週間は掛かるので、まだまだ王国は大変な時期が続くだろう。

 ただ、やはりフェンリルの出現によって解決の時期に前後があるかもしれないがまあ……そこは何度も言っているが湊の知るところじゃない。


「にしてもさっきのブレスは凄かったな」

『なに、あれしきのことは容易いことよ。あれでも周りに被害がないように威力は抑えている。全力を出せば王都は消し飛んでいたぞ』

「わ~お、そいつはすげえや」


 正にロボット物のアニメで見た荷電粒子砲みたいだったなと湊は感想を抱く。

 空に魔法陣を形成し、その上に手と足を固定した体勢で魔力を圧縮させたブレス……すぐ傍で見ていて怖さはもちろんあったが、それ以上に必殺技とも言えるブレスはかなりの迫力があって興奮したのも確かだ。


「しっかし……空から見るこの世界はやっぱり綺麗だな」

『そうだな。どうする主よ、このまますぐ城へ戻るか?』

「う~ん……せっかくだしちょっと降りてみないか?」


 タナトスは頷き、徐々に高度を下げていく。

 もちろん魔法によって姿を消しているため見つかる心配もなく、無事に湊は眼下に広がっていた湖へと降り立つ。

 降り立ってすぐにタナトスは小さくなり、ちょこんと湊の肩へと飛び乗りお馴染みとなったポジションへ。


『我はあなたを背に乗せるのも好きだが、こうして肩に乗るのもやはり好きだな』

「こうしてると小動物みたいだもんな。顔面の厳つさはともかく」

『レディに厳ついなど言うものではないぞ』


 ぺしっと軽く尻尾で叩かれ、湊は悪いと言ってタナトスを手の平に乗せて撫で始めた。

 頭から背中、翼の付け根など撫でてあげるとタナトスは気持ち良さそうに体の力を抜く。


「ここ……覚えがあるな。王国領の中にあるメジリ湖か」

『よく覚えているな』

「覚えてるさ。疫病蔓延の章で訪れる場所だからな……フランと出会ったのもここが最初だった」


 疫病蔓延の章にて、病に関する情報を求めて指揮官は再び王国へやってくるのだが、その時に訪れたのがこの場所だった。

 魔獣の寄り付かない神聖さのある湖で、旅の商人たちの休憩場所としてもここは有名なだけでなく、フランのような暗殺者さえも静寂を求めて立ち寄るほどなのだから。


『ほう、もしや有名な指揮官とやらか? アタシを知っているかい?』

『いや……だがその入れ墨は見たことがある。出来ることなら、それを俺は指摘しないから見逃してくれると助かるんだがな?』

『ははっ、流石にこの綺麗な場所で血の花を咲かせたりはしないさ。それに仕事でもないから無用な殺生もしないよアタシは』


 そんな会話から指揮官とフランの交流は始まる。

 露出の多い服装でユズリハと張れるほどのスタイルの良さ……もちろん恐ろしいほどの美人で尚且つ腹筋が凄い。

 湊も画面越しに見た時はなんだこの姉ちゃんはと驚愕したくらいだ。


「……あ、すっかり忘れてたわ」


 湊はライフォンを手に取り、ミアへと連絡する。


『もしもし! もう遅いよ湊さん! 何が何だか分からないけどフェンリルが消えたって色んな意味で事件になってる!』

「遅くなってごめんミア。伝わってるなら良かった……ま、そういうことでフェンリルは処理したよ」

『あいあいさー。人によっては集団幻覚でも見たんじゃないかとか言われてるみたいだし、後は何もしなくて大丈夫そうだよ。ただクーデターに関してはもう少し掛かりそうだね』


 それから軽く話をした後、ミアとの通話を終えた。

 どうやら変わらず法国はこのことに関しては静観の方向らしく、情報を収集しながらに留めるらしい。

 またさっきのような異常があればすぐに連絡するとのことで、取り敢えず今はもう考えなくて良さそうだ。


『ぅん……中々気持ちの良い物だな』

「時折色っぽい声を出すのは勘弁な」


 人差し指でタナトスのお腹を撫でる。

 やはり彼女にとって今までこうされることがなかったのもあり、未知の感覚でありながらとても気持ちが良いらしく、お腹を晒すことに一切の抵抗もないようだ。

 太陽の光が水面に反射し、湖はキラキラと輝いている……これこそダクレゾの世界なのかと首を傾げたくなるほどに穏やかな光景だが、やはりその静寂も長くは続かなかった。


『主よ、誰かが来たようだ――大よそ二十名ほどで、かなりの実力者が勢揃いだがどうする?』

「マジか……けどこの時期にここに来るってのは流石に分からんな」

『いっそのこと寝たフリでもするか? 我が傍に居る故、どうとでもなるし何より……何となくだが知っている気配だ』

「それって……まあでも、タナちゃんが言うならやってみるか」


 どうやら少しばかり、湊にも楽しむための度胸が付いてきたようだ。

 全てはタナトスを信じているが故に……ということでタナトスが言ったように木に寄り掛かって目を閉じ、大事そうにタナトスをお腹に抱くようにする。


『ふぉ……ふぉぉ!』

「タナちゃんうるさい」


 興奮するタナトスを宥め、ドキドキしながら目を閉じる。

 タナトスがかなりの実力者と言ったものの、彼女が動き出さないことを考えるとあちらに敵意は無さそうだ。

 しかし……この残酷な世界において、湊のような青年が一人で眠っているなど異様な光景だろう……いや、だからこそ彼らからしても驚きの方が強いのか動きを止めているような印象を受ける。


(……マジで大丈夫かな?)


 とはいえ、若干の不安はあった。

 数十名と思われる足音の内、立ち止まったものの動き始めたのは一つだけで……それはゆっくりと湊の前へとやってきた。


「……………」


 目の前の誰かは黙り続けたまま、何も言わない。

 そして抱きしめているタナトスも特に動きを見せない……そうしているともう一人近付いてきた。


「こんなところで寝てるなんざ、随分と世間知らずなんすかねぇ。この様子じゃ王都の方で起こった事件も全く知らなそうだし……って姐さん?」

「黙れ、喋るな」


 男の声を遮ったのは女性の声……しかもとても凛とした声だ。

 だが、その声が聞こえた瞬間に湊とタナトスはビクッと僅かに震えたが幸いに気付かれていない。


(え……? ちょっと待てよ……この声ってまさか――)


 実を言えば……思いっきりこの女性の声には心当たりがあったし、何なら男の声もどこか聞き覚えがある。

 というか……モロにこの声の主が誰か湊には分かった。


(これ……フランだ絶対)


 だが、目を開けていないので正確に合っているかは謎だ。

 どうしようかと考える湊の前で、女性が屈んだ……そして、こんなことを口走った。


「どうやら一目惚れというのはあるらしいな……アタシは今、この青年に対してとてつもなく欲情している」

「姐さん!?」

「っ!?」


 欲情……欲情!?

 流石にそんな不穏な言葉を聞いては湊も寝たフリは出来ず、タナトスを抱えたまま咄嗟に立ち上がってしまう。

 目を開き見据えた先には驚きながらも顔を赤くするフランの姿と、腰に差すナイフを取り出そうとする男が……だが、フランが瞬時に男に蹴りを入れて蹴っ飛ばす。


「馬鹿が、何をしようとしている」

「あ、姐さん……いきなり蹴るのは酷いっすよ」

「はぁ? 驚いた彼に向かっていきなりナイフを取り出そうとしたアンタの方が酷いだろうが」

「……ごもっともで……がくっ」


 男は力なく倒れ込んだ。


『……なんだこれは』


 あのタナトスさえ唖然とするフランの奇行。

 湊も湊で目の前のフランに見惚れるのはもちろんだが、それ以上に何だこの状況はという困惑の方が強い。


「すまない、驚かせてしまったな。アタシはただのか弱い女だ――ところでアンタに女は居るか? 居なければ是非アタシと結婚してほしい」


 突然の告白に、湊は一切ドキッともせず……ポカーンと口を開けるだけだった。

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