一歩目の希望

 影から影へ、移動はそれで事足りる。

 しかし湊は自らの足で歩くのを止められなかった……気付けば、段々と前を進んでいく。

 肩にはタナトスが乗り、右手はミアが恋人のように手を繋いでいる。


「……デートみたい、なんて言うのは楽観しすぎかな?」

「初のお出掛けがこれでごめんな?」

「ううん、謝る必要ないよ。湊さんが居るならどこだって良いもん♪」


 しかしながら……デートという言葉にドキッとする暇さえない。

 さっき見つけた少年の死体だけでなく、少し歩けば雪を被る死体が幾つも転がっている……古い物から新しい物まで満遍なくだ。


(まるで……この世の地獄そのものを見せられている気分だ)


 もしも……もしも転生した時にここに放り出されていたら発狂していたかもしれないと、湊は背中に嫌な汗を掻く。

 まあ今も心が摩耗し続けているが、自分を保てているのはミアとタナトスが居てくれるからである。


「あ、村だよ」


 ミアが声を上げ、湊は目を凝らしてその方向を見る。

 湊よりも格段に視力が良いミアとタナトスは気付いたようだが、湊からすれば……いや、微かにだが見えてきた。


『随分と寂れた村のようだな……主よ、それからミアも我の影に入るが良い。このまま気配を殺して近付くとしよう』

「?」

「なるほどね。ねえ湊さん、何か良からぬ空気を感じるよあの村からね」

「……分かった。タナトス、頼む」


 頷いてすぐ、湊はミアと共に影の中へ入り込んだ。

 今までは移動するだけで一瞬だったが、こうして影を通じて外を眺めるというのは新鮮な気分でそれこそタクシーに乗っているような感覚に陥るほど。

 ゆっくりと村の中へ入り込んですぐ、ミアが言った良からぬ空気というのが良く分かった。


『お役人様……この村からはもう、出せる物は何もないのです』

『何を言っている。俺はそんなことは聞いていない、出せと言っているんだよ』

『ですから……何も――』

『黙れ!』


 それはあまりにも胸糞悪い光景だった。

 村の中央で行われているのは強引な徴収だ――周りの村人を守るように村長と思われる老人が役人の男と向かい合っている。

 役人の男はそこそこ綺麗な服を着ているが、対する老人や他の村人の服はボロボロで……こんな寒い場所で着て過ごせるようなものじゃない。


『貴様ら薄汚いゴミ共はまだ生きている。ということは少なからず食い物を保管しているだろう? 貴様らが飢えて死のうがどうでも良い。納めるべきものはしっかりと納めろ――さもなければ、この村人の者は全て焼き討ちにするぞ』


 役人の言葉に村人たちは絶望したように顔を伏せた。

 老若男女合わせて三十人ほどだが、おそらくこれ以上の村人は居ないだろうことも想像出来る。


「こうして帝国の中を見たのは初めてだけど、ゴミみたいな国ってのは間違ってなかったね」

「……………」


 湊の隣でミアがそう吐き捨てた。

 そう……これが帝国という場所であり、こういった辺境の村はこうして搾取され続けて絶望に打ちひしがれながら消えていく。

 しかも、この村人たちには更に深刻な問題があった。


『主よ、あの役人には見えないが……ほとんどの村人の首に痣があるな』

「あぁ……疫病の証拠だ」


 まるで首を締め上げるように彼らには痣がある。

 あれは帝国の辺境にのみ蔓延している原因不明の疫病で、あの痣は胸元から浸食して行き頭に到達したところでその人間は基本的に死ぬものだ。

 そしてこの疫病こそ、ストーリーがある程度進んだ際に訪れる疫病蔓延の章でばら撒かれる物であり、だから首謀者は帝国ではないのかと言われていた。


「あの病気を体から取り除くための薬がこれだもんね」

「おう」


 鞄に入れている道具の一つがその薬で本来ならもう少し時間が経たないと開発されないのだが、薬の分野に詳しい知り合いにミアが相談を持ち掛けたことで薬が完成し、こうして持ち込むことが出来たわけだ。

 完成するかどうかは分からなかったが、湊がゲームで覚えていた調合法が功を奏したらしい。


「現状では治療薬がなく抑制剤のみ……あの役人もそうだけど、帝国のお偉いさんに見つかったらどうなるかね」

「あははっ、考えるだけでも面倒なことになりそうだね♪」


 そうこうしている内に、役人と村人の間に変化があった。

 一人女性が間に立ち、老人を守るように手を広げて庇っている……その女性も首元に痣があり、大分病は進行しているようだ。


『お金は……必ず納めます。ですからどうか……どうかここはお引き取りください!』

『薄汚いアマがでしゃばんじゃねえぞ。どうせそう遠くない内に死ぬだろうが、今ここでぶっ殺してやっても良いんだぞ?』


 役人が拳銃のようなものを取り出し、女性へと向けた。

 女性はそれでもその場を退くことはなく……そればかりか、幼い少年が女性と老人を庇う。

 しかし……そこで少年がゲホッと咳をして血を吐き出した。


『っ……やれやれ、ここに居たら病気をもらうとも限らねえ。また今度来るから今日の分も上乗せして用意しとけよ死にぞこないのゴミ共が』


 あの疫病は空気感染などではなく、病気を持っている人間の体から出る体液が体に入ることで感染することも湊は覚えている。

 だからこそあの役人は血を吐き出した少年から距離を取り、そのまま帰ることにしたのだろう。


「こういう時、もしも選択肢であの役人を殺すかどうかって聞かれたらたぶん……迷わず殺すってしてるよ」

「やっても良いよ?」

『指示さえあれば殺すが?』


 湊は首を振った……だが、あの拳銃を構えた瞬間反射的に殺せと命令を出しそうになったことも確かで、視界に映る光景だけでも精神がガリガリと削られている証だった。


『ケイ! 大丈夫なの!?』

『げほっ……けほっ!』


 咳き込む少年に村人たちが駆け寄る中、湊はタナトスに指示を出し影から出ることを選んだ。

 村人たちからすればいきなり何もないところに漆黒な穴が開き、そこから突然湊たちが出てきたように見えただろう。


「あ、あなたたちは……?」

「お役人様……ではないのか?」

「……貴族様?」


 誰かがそう言った瞬間、一気に彼らの視線に恐怖が混ざる。

 湊やミアが来ているコートは高級品というわけではないが、それでも先ほどの役人よりも整っているため、それで彼らは貴族と勘違いしたのかもしれない。

 ミアとタナトスは特に何も言わず、湊の指示に全て従うつもりのようで傍で待機している。


「その子、随分と病気が進行しているようだな……?」


 湊はゆっくりと近付き、咳き込む少年の傍に座り込む。


「貴族様……その子は病気で――」

「気にするな。あと、俺は貴族なんかじゃない。そもそもこの帝国の人間じゃないからさ」


 そうして湊は鞄から錠剤型の薬を取り出す。

 一応湊やミアにも感染してしまう危険性があるにはあるが湊はタナトスの魔法と、ミアは持ち前の強固な耐性のおかげで病気が感染する心配はない。


(頼むから効いてくれよ……)


 ゲームのように上手くなど行かない、なんてことが起きてくれるなと湊は願う。


「げほっ!?」


 少年がまた激しく咳き込み、湊の顔に血が付着した。

 湊はそれでも気にすることなく、その錠剤を指が血で汚れることも気にせずにゆっくりと口に入れた。


「良いか? それを水と一緒に飲むんだ……よしよし、良い子だ」


 おそらくこの少年、歳は十歳にも満たないはず……この少年もまた、本来ならそう遠くない内に死んでいたのだろう。

 せっかく生きているのに、未来への希望を抱くこともなくただただ苦しんで死んだはずだ……だが今は湊が居る――そんな未来を変えたいと願う存在がここには居る。


「湊さん……どう?」

『……ふっ、どうやら成功のようだな』

「……あぁ」


 薬が体内に入ってすぐ、少年の顔に達しかけていた痣がみるみるうちに薄くなっていく。

 ちゃんと薬が効いていることに湊が安心したのはもちろんだが、それ以上に他の村人たちは目を点にして動かない……まるで、目の前に起きた奇跡に茫然自失しているかのよう。


「……ケイは……この子はどうなったんですか!?」


 女性の言葉に、湊は笑顔を交えてこう言った。


「一応、要観察ではあるけどこの子の病気は治ったと思う。この薬は、あなたたちの体にある痣の原因を取り除く物だから」

「……え?」

「俺たちの痣を……病気を……?」


 今度は全く信じられないかのように村人たちは湊を見つめ、そんな湊にミアが近付き血の付着した部分に手を当て、魔法で綺麗にしてくれた。

 腕の中で穏やかな寝息を立てる少年の様子に、村人たちの目に初めて希望の光が灯った。


「俺はあなたたちを助けに来た――まずはこの薬を全員飲んでくれ」


 話はそこからだと、湊はミアと協力するように薬を配り始めた。

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