悲劇の集まる地――帝国

「楽しい時間はあっという間だったねぇ!」

「そうだな……ま、疲れもしたけど」


 湊は大きく息を吐き、そんな湊を見てミアは苦笑した。

 あの後、マキナを含めた教導隊のメンバーにはミアが誠心誠意事情を説明した。

 もちろん湊がどのような存在であるか、これから何をしようとしているのかなどは伏せ、ミアにとってとても大切な存在であると伝えたのだ。


『……ミアがそこまで真剣に言うなんてね。けど決まりは決まり……でも今日は見逃してあげるわ。次からは精々、目立たないようにするか予め私たちには伝えなさい』


 マキナを含め、他のメンバーたちもそう言ってくれた。

 本来であれば許されないし前例がないというのに、ミアが話をしただけで彼女たちは湊が訪れることを許したのだ。

 湊もただミアに喋らせるだけでなく、勝手に赴いたことの謝罪などをしたことで誠実さが見せられたのも大きい。


「マキナちゃんたち……流石にちょろいとは思ったけど、相手が湊さんだからかな?」

「どうなんだろうな……記憶にあるマキナと特に変わりはなかったと思うし、他のメンバーについては分からんけど」

「たぶんだけど、この世界で見ないタイプだからじゃない? 目的とか話さなくても、誰かの為に動きたいって優しさを感じたんじゃないかな?」


 それなら良かったと湊は笑い、隣で飛んでいるタナトスへ目を向けた。


「それでタナちゃん、話の続きをしてもらっても良いか?」


 タナトスが何かを言いかけたところでマキナたちが来てしまい、話は聞けずじまいだったのでそのことだ。


『なに、ただの提案だ――帝国の……それも辺境の村は気候の変動も激しく住む環境としては不適切だ。それならば、いっそのことネバレス城の周りに避難させればどうかと思ってな。家も何もないが、あのどうしようもない空間から抜け出せるとなれば人間たちは喜ぶのではないか?」

「……それは……いやでも……悪くないのか?」

「確かにあそこは人だけでなく魔獣すら寄り付かない……そもそも普通の人じゃ辿り着けない秘境だし、悪くないんじゃない?」


 確かにネバレス城周囲は誰も見つけられないからこその安全性がある。

 ただ食料の問題と住める家がないのだが……それに関しては、ミアがこう言ってくれた。


「ねえ湊さん、帝国は差別も酷いんだよ。それにタナトスも言ったけど環境も悪いから歩いて国外に逃亡することも出来ない。その途中でただでさえ弱っている人たちは力尽きるし……仮に国境まで行けても堅牢な壁があるから外に出れないしね」

「……それに比べたら楽園とでも?」

「その通りだよ。食材はタナトスが用意出来るだろうし、私も色々と力になれる。まずは満足に食事を摂らせて体力を回復させた後、建物とかは彼らに造らせるの。案外、助けた湊さんを王と崇めて従ってくれるんじゃないの?」

「えぇ……それはどうなの?」

『ほう……確かにありそうだな。主を王として、本来はなかった国を作るのも面白そうではないか?』


 俺はそんな器じゃないから止めてくれと、湊はげっそりしながら首を振るも提案自体は悪くないなと頷く。

 とはいえ、帝国の現状を見てからの判断にはなりそうだ。


「悔しいけどタナトスの影タクシーは便利だねぇ。如何に国境が越えづらくても容易に入れるし出れるし」

『お前までタクシーと呼ぶのは止めろ。シャドウディスタンスだ』

「良いじゃんタクシーの方が言いやすいよ」

『……タクシーはダサいではないか』


 瞳をウルウルとさせてタナトスは湊を見る。


「……ごめんタナちゃん、俺もタクシーの方が言いやすい」

『もう良い! タクシーで良いわもう!』


 ついにしくしくと泣き始めてしまった。


「おいでタナちゃん」

『こんな……こんなことで我が許すとでも……むふぅ~』


 胸に抱いてよしよしと頭を撫でれば、すぐにタナトスは機嫌を良くして喉を鳴らした。

 そして物凄く嫌そうだったが、今後タクシーと呼ぶことも認めてくれたので湊としても安心である。


「取り敢えず方針は決まったね」

「あぁ……本当にありがとう」

「良いんだよ♪ 他でもない湊さんだからね! でも一つだけ、覚えておいてほしいの」

「覚えておいてほしいこと?」


 ミアは頷き、真剣な眼差しでこう言った。


「湊さんの志は尊くて素晴らしいもの……でも、その過程の中で避けられない戦いは必ずある。湊さんは知ってるよね? この世界は残酷だってことを……私にもそうだし、タナトスにも相手を殺せと命令する時は必ず来るよ」

「っ……」

「もちろん、状況によっては……まあ指示を仰ぐ前に問答無用で殺すとは思うけど、一応あるかもって考えておいて」

「……分かった」


 分かった……嘘だ、何も分かっちゃいない。

 でもその決断が必ず必要になることは想像出来ていた……だが、果たして湊はその勇気が持てるだろうかと思い悩む。

 すぐには答えが出せないが……その時が来たら、本当の意味で現実に向き合う時だなと湊は強く胸に刻むのだった。


▼▽


 それからまた二日ほどが経過した。

 ミアから王国の方でキナ臭い動きがあることが伝えられ、そろそろ物語が動く頃合いのようだ。

 そしてこちらも、色々と準備を終えて帝国に迎える時が来た。


「って……ミア?」

「なあに?」


 出発前に法国へ寄ってほしいと言われていたため、湊は朝早くから訪れたのだが……何故か出掛ける気満々のミアだ。

 帝国はとにかく寒いので湊は用意した温かいコートを着込んでいるが、それはミアも同じだったのだ……何故と、まさか付いてくる気かと湊は思ったがどうやらそうらしい。


「いやいや! 確かに協力してくれとは言ったけど、ミアが一緒に現地に向かうのはヤバいだろ?」


 帝国は基本的に不可侵の監獄のようなものだ。

 ミアは他国からも警戒されるほどの実力者であるため、それは当然帝国だって同じ……そんな彼女が帝国に足を踏み入れたならば、法国からの干渉だと思われてもおかしくはない。


「いやさ、確かにそうっちゃそうなんだけど湊さんが帝国に行くのを黙って見送れるわけないじゃん。タナトスの力は信頼しているよ? それでも心配なことに変わりないもん」

「けど……」

「そもそも帝国は容易に入り込めないのもあるし、逆手に取るという意味でもバレないと思うよ? それに教導隊としての私が使う武器も置いていくから大丈夫だって!」

「……………」


 ミアが大丈夫と言うなら……大丈夫かもなと湊はため息を吐いた。


「それに向こうで寝泊まりとかするわけじゃないし? タナトスのおかげでどんな距離でも日帰り可能だからこっちのことに関しても問題なし。ほんと、便利すぎじゃないタナトス」

『お前にそう言われてもあまり嬉しくはないがな』

「褒めの言葉は素直に受け取るべきだよ、愛想悪いなぁ」

『黙れ』

「あ?」

『お?』


 そんなこんなで、騒がしくなってきたがいよいよ出発だ。

 何があっても良いようにミアが荷物を用意してくれたのももちろん、記憶を持っているからこそ用意出来るものも鞄に入っている。


「……………」

「怖いの?」

「……少しな」


 影に入れば即座に帝国の地へ辿り着く……この世界において、もっとも凄惨で、もっとも残酷な土地が待っている……震える手をミアがそっと包み込む。


「大丈夫、私が傍に居るから」

『我も居る。だから大丈夫だ』

「……そうだな。ありがとう二人とも」


 気合を入れるようにパシッと頬を叩き、湊たちは影を使うことで帝国の地へと入り込むのだった。

 まず、目に入ったのは銀世界……視界は全て雪に覆われている。

 真っ白で幻想的な光景と言えば響きは良いのだが、それ以上に極寒の冷たさが肌を切るように襲い掛かる。


「さ、さっむ!?」

「寒すぎるでしょ!?」

『そうか? 涼しいくらいだが……』


 流石伝説の黒龍、この程度の寒さは気にならないらしい。


「にしても辺り一面真っ白だね。どの辺に移動してきたの?」

『最東端だ――背後を見てみよ』

「……うわっ」

「おぉ……」


 言われたように背後を見ると、そこには堅牢な壁が設置されていた。

 これこそが外とを隔てる国境の壁であり、万が一に飛び越えることさえ許さないかのように魔法の膜まで張っているようだ。

 これが帝国における不可侵の壁……許可なければ出ることも出来ず、入ることも出来ない監獄の壁だ。


「うん? なんだ?」

「湊さん?」


 ふと、湊は盛り上がった雪を見つけた。

 ササッと足で雪を退けると……そこから出てきたのは、幼い少年の亡骸だった。


「っ!?」


 幼い少年……であることは間違いない。

 ボロボロの布を纏い、ところどころ白骨化している様子が見受けられるが大きさから子供だと判断出来る。


「……………」


 湊は言葉を失っていた。

 分かっていた……帝国がこういう場所であること、これほどに幼い少年が外に助けを求めるようにここにやってきて力尽きたのだ。


「……やっぱりゴミだよこの国。この子には申し訳ないけど、それでも私たち他国の者は手を出せない。自国のことで手一杯だし、好んで関わりたい国じゃないから」

『目を背けるな主よ』


 ミアの言葉を聞き、目を背けようとした湊にタナトスがそう言った。


『これから主が見るのはこういったものばかりだ。あなたはこれが分かっていて直面する絶望に向き合うと決めたのだろう? であるならば、目を背けずに受け止めよ』

「ちょっとタナトス、それ以上は――」

「……いや、その通りだ」


 湊はグッと堪え、目を背けない。

 この残酷さと向き合うと決めた……この絶望ばかりの世界に、少しでも光を照らしたいと湊は決めた……決めたのだ!


「……けど、ジッと見るには刺激が強すぎるがな」

『いや、我の方こそ強く言いすぎたか』

「そんなことない。ありがとうタナトス――よし、行こう」


 さて、ここより先にも大きな絶望は広がっているはずだ。

 それでも湊は前を見据え、一歩……また一歩とこの雪原を進み始めた。

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