ミア

「指揮官……指揮官だよぉ!!」

「ちょ、ちょっと……」

『……やはりミアも記憶持ちだったか』


 朽ち果てた城の中心で、照り付ける太陽の下――湊はミアに押し倒されていた。

 背中は固い地面ではなく、瞬時にタナトスが翼を差し入れたようで柔らかく痛みはない……だが、この状況に湊が固まってしまうのも仕方がないことである。

 別れを告げたはずの彼女が、ミアがここに居るのだから。


「ミア……え? でも……えっと」

「もう指揮官! どうして会った時に教えてくれなかったの!? もし盗聴器を渡さなかったらと思うとずっとすれ違ってたんだよ!? こうしてやっと会えたのに……また会えたのにさぁ!」

「ミア……? 盗聴器?」


 何が起きているのか分からない現状だが、とても良い雰囲気というのは間違いない。

 憧れだった……大好きだった推しのミアに抱き着かれている。

 柔らかく温かく、そして良い香りがする……まるで花のような香りに頭がフワフワしてきそうだった。

 だが、盗聴器という言葉が全てを台無しにした。


「ミア……盗聴器って何?」

「……はっ!? 私、盗聴器だなんて言ってないよ!?」

「今言ったよな。タナちゃんも聞いたよね?」

『うむ、バッチリと聞いたぞ』

「た、タナトスまで……あの……その……」


 先程までの雰囲気はどこへやら。

 ミアはオロオロとしながらも、それでも嬉しそうに涙を流しながら彼女は説明してくれた。


「実は……それに盗聴機能があるの」

「……入国証?」


 どうやら湊が渡されたこの入国証はタダの入国証ではなく、盗聴機能を有した物らしい。


「あの……あなたのことが気になってね? それで……つい……盗聴したくなっちゃって♪」

「なっちゃってって……」

「でも仕方ないじゃん! あなた……指揮官を都市で見た時、どうしようもなく懐かしくなって追いかけたの! それで話をしたらもっと気持ちを抑えられなくなって……どうしてもあなたが指揮官じゃないのかって、忘れているだけなんじゃないかって思っちゃったの!」

『聞き間違いかと思ったが、浮気しちゃいそうとか言ってたな?』

「私は浮気なんてしないし!? この腹黒ドラゴン! 悪質な印象操作は誹謗中傷案件だからね!?」

『……喧しい女だ』


 言い合いをするミアとタナトスを眺めていた湊は、ここに来てようやくあははと苦笑した。

 タナトスが傍に居るだけでも安心はあったが、そこにミアも加わって心の余裕がかなり出来た……もちろん困惑の方が大きいと言えば大きいのだが、湊にとってこの空間はダクレゾの世界だと思えないほどに温かい。


「……はぁ、あぁごめん。このため息は安堵のため息だから」

「そう……?」

『ようやく、少しばかり肩の力が抜けたな主よ』

「あぁ」

「……っていうかさ、私気になってたんだけど。指揮官ってずっとタナトスと一緒だったの?」


 湊は頷く……するとへぇっとミアは仄暗い笑みを浮かべた。


「お疲れ様タナトス、あなたの役目は終わりだよ。ここからは私が指揮官を守るから」

『何を言っているんだ小娘が。その役目は貴様には荷が重かろう』

「あ?」

『お?』


 バチバチに飛び交う火花に、中心に居る湊はやはり苦笑するだけ……というよりこの噛み合いの悪さがミアとタナトスなので、それを間近で見れることに半ば感動していた。

 しかし、この状況を収めることが出来るのも湊だけだ。


「突然のことにまだ整理しきれてないけれど、ありがとなミア――けど俺は指揮官じゃない……ただの一般人だ」

「……指揮官」


 湊は話す。

 この世界に来て思ったことを……自分は物語に直接関わるつもりはないし、そもそも関わる勇気がない。

 だって自分は弱いから。


「俺は弱い……俺が指示を出せていたのは、多くの戦いを勝ち抜けたのはそういう環境に居られたからだ」

「……………」

『……で、あろうな』


 そう、プレイヤーとして指示を出すだけだった。

 勝てなければ攻略サイトを見たり、SNSで最適キャラや限界突破のおススメなんかを見て……そうして操作をして勝利をもぎ取る。

 所詮ゲームだからこそ命の危険はなかったけれど、今は違う。


「俺は……怖いんだ」


 そう……怖いのだ湊は。

 タナトスには既に話していたが、こうして初めて話を聞いたミアは特に何も言わない。

 驚くでもなく、がっかりするでもなく……ただただ真っ直ぐに湊を見つめているだけだ。


「この世界は……残酷だ。今この瞬間にも人は死んでいるし、その原因は他殺や自殺……病死と様々だろう。そんな真っ暗闇なこの世界に、俺はどうしようもなく憧れていて……どうしようもなく怖くて仕方ないんだよ」


 憧れはゲームだから、怖いのは現実だから。

 湊の知る元の世界でも、ダクレゾの世界に憧れを抱き特定のキャラに愛を囁く人は多かった。

 暗く重たいストーリーに魅入られ、そこで生きる人々の姿に興奮と感動を覚え……そして登場するキャラクターたちを傍観者という視点で見守っていた。

 湊もまたその一人。


「だから俺は……指揮官にはなれない」


 でもと、湊は更に続けた。


「そう、俺は指揮官にはなれない……それはこの世界の指揮官の役目だ。でも……さっきの運命の変わった母子を見て、あの二人の笑顔を見て考えたことがあるんだ」


 そう、ここからは湊が考えたことだ。

 戻ったら話したいことがあるとタナトスに伝えたそれだ。


「確かに怖い……一人じゃ何も出来やしない。俺なんかがこの世界で動き回ったら、それこそ一日も生き延びることは出来ないだろう――けど、こんな過酷溢れる世界だったとしても、俺はあの母子のような笑顔を少しでも増やしたいってそう思ったんだ……まあ、あれだけを見ての判断だから勢いみたいなのもあるけどな」


 笑顔を増やしたい……それはある種の救済だ。

 不幸よりも幸福を、悲しみよりも喜びを……そんな世界の方が絶対に良いに決まっていると湊だけでなく、多くの人がそう思うはずだ。

 だが、それをやろうと思うのは優しさであり傲慢だ――けれど湊はそれをしてみたいと思ったのである。


「本筋に関わると何が起こるか分からない……もっと酷いことが発生する危険性もある。こうしてミアとタナちゃんが傍に居る時点でアレではあるんだが、だからこそ目の届かない場所から俺は頑張ってみたいって……それでタナちゃんどうかなって思ったんだよ」


 これが湊の考えたことであり、話したいことだった。

 しかし湊は気付いているだろうか……ミアもタナトスも口を挟まなかったのは、無謀でありながら夢を語るその姿が指揮官そのものだったということを。


「俺自身、この世界が抱える問題に比べたら甘っちょろい考えなのも分かってる。後先考えているつもりではいるけど、これがどう転ぶかも分かっていない……それでも俺に出来ること、それを……ってなんだ?」


 ミアもタナトスも、目を丸くして湊を見つめていた。

 そんな中、先に動いたのはタナトスだ。


『許可を取るまでも無かろう。我はただ、あなたに仕える龍として従うだけだ。あなたの言うように色々と考える必要はあるが、傍にあなたが居るのであれば我もやりがいがある』


 大きな体を持つ彼女は、最大限に屈んで恭順の意を示す。

 偉大なる王に忠誠を誓う臣下のように、タナトスは湊への忠誠を改めて誓ってくれた。

 そして、そんなやり取りを見せられて黙っていられないのがミアだ。


「ちょっと、私を除け者にしないでくれる? ねえ指揮官、私だって手伝うよ? その……立場的に難しい部分はあるけどね」

「ありがとうミア」


 確かに、ミアの協力があるのは嬉しすぎることだ。

 ただミアの立場上そこまで好き勝手出来るものでもなく、ミアが居なくなったら法国は揺れるだろうし……そもそもそれがどんな影響を及ぼすかも想像が出来ない。

 結論としては……その辺りのことはかなり難しいということだ。


「こう考えると最初にタナちゃんと出会い、次にミアに出会い……もしかして他にも記憶持ちが居たりすんのかなぁ」

『ここまで来るとその可能性はありそうだ……だが、不用意に動くのは難しいだろう』

「う~ん……難しい問題だよねぇ。でも少なくとも、私が個人的に出会った中で指揮官のことを覚えている人は居なかったよ。それとなく話を振っても反応が著しくなかったから」


 ということは、法国には居ないということになる。

 まあ今は信頼度が100に到達した仲間だけで考えたものの、それ以外で居るかもしれないしもう居ないかもしれない。


「まあ色々と話したけど、俺はこの世界でそうしたいと思ってる。力を貸してくれるかな……?」


 湊の問いかけに、ミアとタナトスは頷くのだった。

 こうして湊のやりたいこと、やろうと思ったことの共有は叶った……けれど、湊はまだその目で真の残酷を見ていない。

 それを見た時、彼は改めて何を思うのか……。

 かくして、指揮官ではない湊の生き様が幕を開けるのだった。

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