第四十八
宮中で起こっている殺人事件の調査のため、被害者の一人である窈王の遺体が安置されている堂に向かった尚王と
突然の尚王と太子師巫の登場に戸惑う獄吏に有無を言わせず、窈王の房を案内させる。
途中、壁に向かって話しかけている者、大声で何事かを叫んでいる者、こちらに向かって何かを訴えかけてくる者たちの檻を次々通り過ぎ、階を下り、さらに奥へと進んでいく。
埃と黴と汚物の匂いで淀んだ空気に、尚王は扇を開いてそれを払うような動作をした。そんなことをしても無駄だが、気分的なものだろう。
「はあ、こんな所にずっと居たら、病になっちゃいそうだね」
「高貴なお生まれの殿下でしたら、数日と持たぬことでしょう」
「そうそう。とっても繊細だからね~」
「……」
棘をひそめた巫澂の言葉にも、全く気付いた風もなく返す。そうこうしている内に、目的地へ着いた。
錠を開けると、一段と淀んだ空気が漏れ出してくるような気がした。
「殿下はこちらでお待ちください」
「え~? 折角来たんだ。私も入るよ!」
「……お好きにどうぞ」
溜息を吐いて巫澂はもう、返事も待たずに中に入った。
先日の火災のため、消失してしまった黒宮よりも数段粗末な造りの獄だ。寝台は足が折れ掛かっているが、それでも、あるだけここではマシなのだろう。檻ばかりは、強化術を施されていた黒宮のそれより数段頑丈そうではあったが。
「……これは、酷い」
「“酷い”って?」
「寒気がするほどの濃い怨念が渦巻いています。ここにかつて入れられた者達のものでしょうが。それと……妙な“気”が。あまり感じたことのない種類のものです。報告では、窈王は寝台の横で、仰向けになって亡くなっていたそうですが」
「こんな感じ?」
躊躇無く尚王はごろりと床に倒れ込む。
「尚王殿下……」
「確か、窈王は殆ど抵抗した様子もなく殺されていたんだってね」
「……はい。皇太子殿下は、立った状態で、その者と向かい合った状態だっただろうと」
「すると、窈王は相手を警戒していなかった」
むくりと身を起こした尚王は己の膝で頬杖をつき、しばし黙りこくった。もう片方の指先で、何かを弄っている。
「……ねえ巫澂。巫祥に術を伝えた者には、“還魂”でも使えたのかな?」
「有り得ません。先程も申しましたが。いっそ、幻術の方が現実的でしょう。然れど……」
「窈王は、目が見えなかったからね」
それ故に却って、並外れて鋭い感覚を持っていた。故に、幻術などに掛かるとは思われない。
「君が言った“招魂”と“還魂”の話は、人の扱う巫術としての話だろう。もし、術者が人でなかったら?」
「――人外の存在については、断言致しかねます。なれど、彼らには彼らの掟があり、より強く、理に縛られた存在です」
尚王が、指先で弄んでいたものを、巫澂の目の前に差し出した。
「これは……毛、ですか……? 獣のもののように見えますが」
「こんなところにいるとしたら、鼠だろうけど。明らかに鼠のではない。もっと大きい獣だろう」
いつもの調子で笑いながら扇を払ってみせたあと、すいとその水晶玉の様な目を細めた。それは、へらりと笑っているようでありながら、一方ではどこか、途方に暮れているようにも見えた。
「窈王が警戒せずに向かい合える相手というと、そんな人、私にはたった二人しか思い浮かばないよ。だが……」
「お二人、ですか」
「そうだよ。私が思いつくのは、母である周貴妃と、妻である窈王妃。この二人しか居ない。その二人に加えて、お兄ちゃんであるこの私!と言いたいところだけど。あの子は私のことも殺したかったみたいだしねぇ」
「それは、」
周貴妃は窈王が捕らえられた時にはすでに死し、同時に幽閉されていた窈王妃もまた、窈王よりも先に死んでいる。しかし、窈王妃の遺体は見つかっていない。宮女の一人がそれを見たと主張しているだけだ。
「……もう一度、その宮女の話を聞く必要がありそうだね」
* * *
相変わらずの闇の中、己の青龍である――
「――あの白琵琶の男は?」
「旣魄が倒れたあと、どこかに消えた」
「消えた?」
「ああ、目の前で」
「……となると、術師か……?」
だが、あの隙のない身のこなしは、相当に名のある武人のようにも見えた。
「消える前に。“私が出来るのはここまで。もし、それ以上を望むのなら、――王を捜せ”と」
「“ここまで”? “王を捜せ”? ……なんのことだ……」
額に手を当てる。
何かが、違う気がする。だが、何が違うのかがよくわからない。酩酊感が強まり、軽い吐き気まで覚える。だが今はこんな所で止まっている訳にはいかない。
時間がないのだ。
「私は、……どれくらい気を失っていた?」
「そんなに長くはない筈だが……」
自信なさげに浧湑は返した。この暗闇の中では、時間の感覚も掴めまい。
兎に角、急ぐしかないのだろう。進むべき道を見極めるべく、旣魄は再び辺りを見回した。
とはいえ、進む先は今のところ、目の前にただ一つしかない。
少し奥に、扉のようなものがあるだけだ。凝った意匠の彫刻が施されている。戸に手を掛けるまでもなく、近づくとひとりでに開いた。
「……何故、ここだったのだろう」
「というと?」
歩みを進める度、水気を含んだ足音が響く。水滴の滴る音がどこからかしていた。
「“玄冥山”という名が書物に登場するのは、比較的新しい。少なくとも、昊代の書物には無い」
「別の呼び方をしてたってことか?」
「それもないこともないが、恐らく違う。そもそも人が住む城市や村の名に対して、人が住まぬ場所の名はそう簡単に変わるものではない。山など最たるものだろう」
山や川の名には、その地の特徴や、役割などによる呼称が付けられていることが多い。そして、意味があって付けられた名はそうそう変わるものではない。たとえ新しい名付けがされたとしても、それがすぐさま浸透・定着するとは考え難く、古い名称も併用された筈だ。しかし、その形跡はない。
さすれば、考えられる可能性は。
「だったら、」
僅かな振動を足もとに感じた途端、急に揺れが強まった。音を立てて、土や砂などが滑り落ちて来るのが見えた。先程から感じている酩酊感も手伝って、益々足もとが頼りない。
玄冥山に入ってから、何度となくこの揺れに足を取られている。とはいえ、この地域がこんなに地震が多いなどとは、旣魄は知らなかった。勿論、基本的には颱の地であるから、情報が入って来なかったというのはあろう。それにしても、魄の人々は、一体、何を考えてこの地を居所と決めたのであろう。これほど頻繁に地震が起こっては、おちおち休んでも居られなかった筈である。それとも、以前はここまでではなかったのだろうか。
思えば“地震”の語は、現存する昊籍では見かけない語だ。
類似の語に“地動”がある。何らかの理由で、大地と一体化している黄龍が動くために地面が揺れることを言ったものらしい。一方、旣魄が知る“地震”の語の古い例は、浩代に入ってから書かれた記事で「陽 伏して出づる能はず、陰 迫りて
地の震えを陰陽の二気で説明したもので、ここに大地を司る黄龍という発想は欠落しているようにもみえる。昊が滅び、黄龍の守護を持つ存在を失ったが故か。だが、事はそう単純でもないようにも思われる。
また、言葉ということで言えば、玄冥山の“玄冥”とは水の神であり、即ち玄武を指す。
故無くして付けられた名ではないだろう。それが、一体、何を意味するか。
考えれば考える程、謎ばかりだ。
「――?」
ふと、旣魄は何者かに“見られて”いるような感覚がした。ただの眼差しではない。鋭く深く、何かを抉るような、――あるいは見通す様な。
が、辺りは自分と浧湑以外の気配はない。
気のせいかと気を取り直して旣魄は先へと進む足を速める。
迷っている時間など無いのだ。
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