第四十七

 年が改まり、白羅は十五笄年となった。


 西王家の跡継ぎとして、皇宮に出入りすることが許される年となったのだ。真新しい白の礼装を纏い、複雑に髪を結い上げられ、慣れない化粧を施された白羅は、母とともに皇宮に向かった。そこで、同じく東王とともに来ていた巍脩と行き会った。親同士が挨拶を交わしている横で向かい合った巍脩は、いつも通りの仏頂面だ。だが、藍色の髪を隙無く結い上げ、冠を被り、東王家の直系のみが纏うことのできる藍色の礼装に身を包んだその姿は、年の割に恵まれた体格によく映えて、普段よりも数段大人っぽく見える。


 どうもその姿を真正面から見ていられずに目を逸らす。

 あの日――巍脩が白羅を背負って帰ってきたと聞いた――からだ。

 鋭くもまっすぐに過ぎるその目を、躊躇いなく見返すことができなくなった。

 何故か、というのは分からない。否、どこかで、それに言葉というかたちを与えてはならぬと分かっていたのかも知れない。


 一方の巍脩は、礼をしただけでまた黙り込んだ。


「おや。大雅――お前ももう来ていたのか」


 東王が親しげに笑みを浮かべながら、同じ目的でやってきたらしき大雅に声を掛けた。大雅は如才なく、まずは声を掛けてきた東王へ、それから西王に挨拶をした。


南王朱雀はどうした?」


 東王の問いかけに、大雅は少し表情をかためた。


「父は体調が優れぬということで。……此度は私だけで参りました」

「……そうか」


 東王は小さく息を吐いたが、大雅に対してはそれ以上言わなかった。白羅の母は厳しい表情だ。

 体調が優れぬ、などというのはただの言い訳で、南王が虚弱な今上を軽んじているのは明らかだ。今上は政務の執れぬ日も多いという。体調を言い訳にすれば、強くは出られないと踏んでいるのだろう。白羅にも、それくらいのことは分かった。


「――誰かと思ったら。見違えたなあ、羅妹。緊張しているのか?」

「う。……少し」


 こっちを向いた大雅が、いつもの快活な笑顔で尋ねてきた。

 従兄の大雅は、特に付き合いが長い。大雑把そうな見た目の割に案外色々なことに気付く。白羅の考えていることなどいつもお見通しなのだ。


「ああ。誰かと思ったら、白羅だったのか」

「――え? 気付いてなかったの?」


 いつも以上に堅苦しい、というかよそよそしい態度だと思ったら、どうやら巍脩は白羅に気付いていなかったらしい。確かに、化粧を施された顔も、幾つもの簪を用いて華やかに結い上げられた髪などは、白羅本人でも見慣れない雰囲気だったが。……流石に気付くだろう。実際、大雅はすぐに気付いた。


「ああ。すまん。泥だらけで転がってる所ばかり見ていたから」

「それを言うなら巍脩もでしょう!? ちょっと格好が違う位で分からなくなるなんて、目がおかしいんじゃない?」

「俺の視力に問題は無い」

「――問題しかない!!」


 涼しい表情で言い切った巍脩に、つい白羅はいつもの調子で大声を返す。


「こら。騒ぐな騒ぐな」


 そうこうしている内に、北王もやってきて、連れだって挨拶に向かった。

母の後に付いて殿内に入り、決まった位置に付き、頭を下げる。程なくして、皇帝陛下の訪れを告げる声が響き、白羅はその気配を探った。

 さらりと玉の涼やかな音が響き、何か、不思議な感覚が白羅の胸の内に広がった。


(……何……?)


 未知の感覚に気を取られて、白羅は姿勢を戻すのがほんの少し遅れた。


「皆、よく来てくれた」


 未だ変声を迎えていない声は、思いの外良く通った。


 十二章を玄衣と赤の裳に施し、冕冠を戴くのは昊における天子の礼装である。即位の礼や、今回の様な朝賀、祖先祭祀などの特に重要な儀礼でのみ用いられる。

 その衣を纏うのは、色白の少年だった。大柄な巍脩を見慣れていると、彼と一つしか年が違わないというのが信じられない程に線が細く小柄だ。金の龍の彫刻が施された優美な玉座に悠然と腰を掛け、静かに微笑みながらこちらへ眼差しを向けている。

 その、こちらを見遣る目も、結い上げられた髪も、混じりけの無い煌煌たる金。柔らかく、透明で、何かを解いていくような。


 金の髪も金の瞳も、“黄龍の守護”を持つことのできる者の証である。玄武・白虎・青龍・朱雀の守護は、同時に複数人がそれぞれの守護を得ることが出来る。だが、黄龍の守護だけは別だ。同時に二人以上の守護者が出ることはない。玄武が司る水も、白虎が司る金も、青龍が司る木も、朱雀が司る炎も、この世に唯一という訳ではない。だがしかし、黄龍が司る地――大地は、ただ一つである。それと同じことである。


 “黄龍の守護”を得た者は、胸に三鱗の如き痣をいだくという。故に、天子を“懷三鱗の君”とも称する。

 しかし、黄龍の守護が一体如何なる力を有しているのかは、具体的なことは知られていない。ただ、大地のもたらす――恵みに関連しているとは言われている。


(――この御方が、白雨の夫君にして、私の主君たる御方)


 単純な白羅は、このわかき天子を、俗世の塵芥に塗れていない清らかな風貌そのままの人物のように捕らえた。この時、もし、誰かがその内に巣くう歪さを理解していたら。


――“何か”が変わっていただろうか……?


 

   * 

 


 三年後。

 冷ややかな風にのって、氷肌玉骨はくばいの甘く清らかな香りがして、白羅は背筋を伸ばした。

 重く湿った雪の下から清雅な花英はなぶさを現すその姿が、白羅は特に好きだった。その香りは、厳しく肌を突き刺す冬の空気とともにあって、殊に高く薫る。その香りを風とともに全身に享ける度、力強く背中を押されているような気がするのだった。


 西家の者らしく、白い衣に身を包んだ白羅はすでに十八歳を迎えた。世子として表に出る機会の増えた白羅は急速に大人びていった。妹が入宮し、大方の見方通りに皇后になってから、その振る舞いはより慎重にもなった。加えて、以前は鋭く、少年めいていた風貌も、ここ数年でぐっと女らしいものとなり、紅梅のほころぶような、清らかな艶を帯び始めていた。こうして一面に立ち並ぶ梅園の中に佇んでいると、梅花の精のようにも思われる。或いは、梅の開花を告げる花信風でもあろうか。


 未だ夫を迎えては居ないが、世子として、遠からず結婚をすることになるだろうことは、本人を含め、誰もが考える所だった。関心の中心は、一体誰が、ということではあったが、それを決めるのは、本人ではなく、父母や一族の長老達である。


 言葉にならぬものを内に抱え込みながら、どこかに向かって動くこともままならず、然りとてきっぱりと捨て去ることもできないまま、白羅は“その時”を待つよりない。そんな諦念に似た思いが、天真爛漫だった彼女の金緑の瞳に物憂げな、それでいてどこか匂い立つような翳りを添えていた。


 ふと耳慣れた足音がして、振り向けば、大雅がこちらへ向かってくるのが見えた。

 

「雅哥」


 声を掛けてから、その顔色が、快活な彼には珍しく、はっきりと青ざめているのを、白羅は訝しんだ。


「雅哥……どうしたの?」


 再度声を掛けて、やっと白羅に気付いたらしい。「ああ、羅妹」と言ったきり大雅は黙り込んだ。夕日と同じ茜色の目に名状しがたい何かが滲んでいる。


「――南城の王府が何者かに襲われた」

「それは。南王殿下や叔母上、――麗雅れいがも?」


 麗雅は、大雅の弟である。

 彼は、幼くして仙相を見いだされ、修仙の道に進んだ。白羅も何年と会っていない。


「麗弟は無事な筈だ。――だが、父王ちち王妃ははを始め、南城王府の者は全滅だと」

「一体何があったの?」

「それはこれから調べる。兎に角、南城に戻らなければならない」

「なら、私も行く。大雅にはいつも世話になりっぱなしだもの」


 白羅が言えば、焰を宿した瞳が揺らいで、何か物言いたげな色が過った。

 しかしそれは、一瞬で霧散する。

 突然の凶報に浮かんでいた動揺ごと鳴りを潜めて、茜色の光は、やれやれと言わんばかりに柔らかく緩んだ。


 頭に手を置いて、わしゃわしゃとかき混ぜられる。


「雅哥!?」

「全く。最近落ち着いてきたと思っていたが……軽々しくそういうことを言うな。万一、お前に何かあったら、西王に顔向けできん。だが――ありがとう」


 言うや否や、あっさり手を離す。立ち上るような炎の中から姿を現した朱雀の背に乗って、空へと飛び上がり、瞬く間に遠ざかっていった。


「……雅哥……?」






――――――――――

お読みいただき、ありがとうございます。

久方ぶりに予約投稿機能使いました。

なんか嬉しいです笑


次話は、11月9日(土)7:00公開です。

尚王と巫澂、久々の登場です!

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