紀第九 深々と降り積もる雪の如く
第四十六
静かな足音が、そっと耳朶を打った。
夢と現の
己の白虎だろう。
そう判断して、そのまま身を預ける。
身体が酷く重い。瞼を動かすのさえも億劫で、朧げな意識は容易くまた、深く沈んでいってしまった。
*
目を覚ました時には、西王府の自室だった。
傍らに人の気配がして、目を寄越せば、二人の少女達が並んでこちらの様子を窺っていた。白羅が目を開いたのに気付いたのだろう、二人とも、ぱっと表情を明るくした。
「
「心配、みんな」
まだ霞が掛かったような思考の中、それぞれに心配を伝えてくる少女達に、白羅は笑いかけた。
先に口を開いたのは、白羅の実の妹・
当初、白羅達の扱う言葉も分からず、記憶も失ったらしい彼女は、右も左も分からない中で終始不安そうにしていた。が、根気強く接する中で、次第に言葉も覚えてきた。近頃では接する機会の多い白羅を始め、大雅や巍脩にも笑顔を見せるようになっていたが、特に年頃の近い白雨とは、打ち解けていた。お互いに穏やかな性格で気が合うのだろう。因みに素光という名は、白羅の母・西王が付けた。
「驚いたのですよ。巍脩様が倒れたお姉様を背負っていらっしゃったのですもの。ご自身も腕にお怪我を負っていらっしゃったのに」
未だはっきりしない頭でそれを聞いた白羅だったが、聞き間違いかと思った。
「……巍脩が……?」
確かに、倒れる直前、ともに居たのは巍脩だったが。
「三日も眠り続けていらっしゃったのです。狍鴞という妖魔の気に当てられたようです。護符が破れてしまっておりましたもの」
白雨が説明していたのだが、白羅の耳には入ってこなかった。
恥ずかしさの余り、面を伏せる。
確かに、誰かに背負われたのは覚えていた。
すっかり、自分の白虎だと思っていたのだ。だから安心しきって背負われていたのである。
だが、少し考えれば、分かることだった。白羅の白虎は、人型になることに慣れていない。
虎の姿だったら何も問題はないが、人の姿で白羅を背負った上で、まともに歩けるとは思えなかった。
(次に会ったら、一体何と言われるか……!)
確かに、巍脩は人当たりのきつい男ではあるが、だからといって、倒れた人間を黙って放置していくほど冷血ではない。寧ろ、正義感は人一倍強い質だ。
何にせよ、礼は言わなければならないだろう。が、気まずい。とてもとても気まずい。
大きく溜息を吐いた白羅の顔を覗き込んだ素光は不思議そうに首を傾げる。
「お顔、真っ赤」
「――!?」
動揺を浮かべた白羅の気も知らない素光は、柔らかく微笑んだまま、またちょこんと首を傾げた。ほんの何気ない動作にも、花が舞うような可憐さで。
覚えず白羅もまた、笑みを浮かべた。
「本当に、お気を付け下さい。西家には、姐姐しかいらっしゃらないのですから」
「ごめん白雨。気を付けるよ」
可愛らしい顔立ちに似合わない難しい表情で言ってくる白雨は、白虎の守護を得られていなかった。雪白の髪はまさしく西家の者らしかったが、その瞳は、もっと濃い翠色で、恐らく白虎の守護を得ることはこの先もないだろうと目されていた。それもあって、
白羅よりも余程しっかりした妹ではあったが。まだ十二である。それも、同世代に白雨よりも身分の高い姫君はいない。妃の位というのは、身分が最優先されるのが通例であったから、入宮すれば、いずれ皇后ともなるだろう。
そこは、恐らく、白羅が生きていく世界よりも、もっと険しい。
だから、白羅は、そんな白雨の味方として、たとえ誰を敵に回そうとも守り抜かねばならない。そう決意したのだ。
すう、と頭が冷えた。
こんな所で休んでいる場合ではない。すでに、三日も無駄にした。
表情を硬くして立ち上がった白羅を、二人がそれぞれの表情で見上げる。
「姐姐?」
「白羅様?」
「――鍛錬に行ってくる」
「はい!? ――姐姐!!」
制止する白雨の声を黙殺して、白羅は刀牀から己の剣を取り、手早く身形を整えた。扉を開けたところで、ちょうど前に立っていたらしき誰かとぶつかりそうになった。
「おっと! ――羅妹! 気が付いたんだな。どうしたんだ……?」
大雅だった。
白羅をじとりとした目で見下ろしたかと思うと、不意に笑顔を浮かべた。
「何をする気だ? ――病み上がりの体でまさか、今から鍛錬とか言わないよな?」
「そ、それは……」
にっこりと笑いながら、頬をぐいぐいと摘まんでくる大雅の指のせいで、まともに答えられない。
涙目になりながら見上げたその肩越しに、彼の後ろに立つ巍脩が見えた。恐らく、連れだって見舞いに来てくれたのだろう。
あきれたような藍色の目が、もの言わぬながらも、ますます居たたまれなさを助長して、先程一度治まった筈の恥ずかしさがまた蘇って、沸騰する様な気がした。
「――まず医者だ。しっかり回復するのが一番」
出鼻を挫かれた白羅は、大人しく頷いた。
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